最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・
そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・
というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・
・・・2021年4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
・・・2022年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
・・・2023年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
・・・2024年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
・・・2025年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
2025.4.23. 単願制見直し
①公立高校の入学選抜で、「単願制」を見直そうという。新しいことに問題点を挙げて、反対意見を述べるのは年寄りの弊害なので慎みたいが、現状把握と克服すべき問題点を紹介しておきたい。
②まず、第一志望に不合格の場合、第二志望の学校に受験データを送付しなければならない。技術的には簡単なことのように思われるが、マイナカードの処理を見ていると非常にこころもとない。最近は入試処理をコンピュータ化している学校がほとんどだと思うが、自校作成のシステムのためデータ構成はそれぞれ。不合格の受検生のデータをそれぞれの第2志望の学校に「間違いなく」送るシステムが必要。
③採点基準の問題。共通テストだから基準は同じであるから、公平な採点が行われるように思われがちだが、私の専門の数学の証明問題・作図問題など、中間点の扱いに意見が分かれる。国語も同じ。表現力を重視する傾向であるから、歓迎すべきことなのだが・・・。公平性を理由に〇×・択一問題が増えるのは、時代に逆行。
④私立志望の受検生には関係ない制度のように思われる。滑り止めは他の私立・公立にするだろうし、公立高校は大体第一志望で定員を満たすだろう。第二志望が有効なのは、募集が定員に満たない学校だろうから・・・。
⑤東京都が群制度(1969頃)を採用した大失敗を繰り返すように思えてならない。公立高校の魅力を高めて、私立と競える努力をした方が良い。同じことが教員採用にも言える。志望者が減っているのは魅力に欠けているということを認めなければいけない。
2025.4.18. 政府備蓄米
①備蓄米の放出のニュースがかまびすしいが、どうもよくわからないことが多いし、効果の出る訳もないことを真面目に原因を議論している。こういう議論を「喧々諤々」というのだろう。
②まず、「入札」での放出。高い額の入札ほど落札の可能性が高い。時価より高い入札はあり得ないから、時価を少し下回る価格になる。これで効果を期待するのはあり得ない話。
③落札した業者は、翌年同じ量を同じ額で返納することになっている。来年、米価が下がれば良いが、来年も高騰すれば大損になる。政府と付き合いのある JA 以外はこわくて入札できない。
④今年放出した備蓄米を来年「同量」補充すれば、翌年の収量はその分だけ減少する。供給が減れば価格が上昇するのも経済学の道理。そうなったとき、備蓄米は無いか減少している。より「まずい」備蓄米の放出となる。
⑤政府は輸出米を5倍に増やし、米の「輸出国」となるように舵を切ろうとしている。しかし、農業の生産力を上げる手立ては、何一つ示していない。
⑥思い出すのは数十年前、米不足でタイ米を輸入するという大騒ぎをしたことがあった。その時、岩手県の知恵者が種籾を沖縄に送り、二毛作をすることにより難局を乗り越えたという。
⑦知恵者がいないのが、現代の政治社会ならば、これほど恐ろしいことはない。参議院選の票読みをしているヒマはないと思う。
2025.4.16. きもちことば
①自身の気持ちを表現する言葉(単語)が代表的なものだけで100個くらいあるという。それに対して「やばい」から始まる現代人の語彙力が、あまりにも乏しいというTV番組の感想。
②当然のことながら、自分の気持ちを表現する言葉が乏しければ、それを相手に伝えることは出来ない。まして、相手の感情を理解することはさらに難しい。
③番組では小学生低学年の学校生活を舞台に、子供たちがどのようにして「ことば」を理解していくかの「さわり」を紹介していた。私自身も思い返せば幼児から「転校」が多く、友達の少ない環境に育った。周囲の大人たちの会話から成長していったように記憶している。
④教師になって、ベテランと呼ばれる教師たちが生徒の心の中に語り掛ける様子を見て、「学習」した次第。本来は「学習」ではなく「実習」でなければならなかった。今頃になって、見えぬ相手にこのような文章をつづりながら、「きもち」を伝える努力をしている。
⑤SNSなどを見ていると、前掲の100個くらいの「きもちことば」のうち10数個くらいしか登場してこない。番組の中で詐欺の「かけ子」などのリクルーターが、いかに青年を犯罪に引き込むことの安易さを証言していた。
⑥丁寧に話を聞いてやることにより、ほとんど「いいなり」になる人間関係が築けるという。逆に、そのような人間関係がほとんどない境遇にいた人たちなのだろうと推測される。恐ろしい世の中になっている。
2025.4.13. 万博
①私のように頑なに「無視」を決め込んでいる者でも、あまりにも無視できない状況なので。
②入場券・パビリオンの入場順など、スマホで予約するとか。最近はコンビニなどで予約できるようにしたとか。案内地図も紙の地図を求めて長蛇の列。アプリでダウンロードして地図を見てくださいとか。
③とどめは、キャッシュレス。つい最近ETCがダウンしたばかりだというのに、現金は使えないとのこと。日本国内に現金が使えない地域ができるとは、何を考えているのだろう。プリペイドカードくらい用意しないのだろうか。
④私自身スマートフォンの必要性を感じてなく。それでも平穏な毎日を送っているが、ガラケーの画面すら白内障で老眼となれば小さな字は読めない。画面の光の反射について行けないこともある。スマフォの地図も文字も眼鏡をかけなおさなければ見えない。
なんだか、「万博には来るな」と言われているに等しい。
⑤マイナンバーカードでいえば、国民の4人に1人が持っていない状態で健康保険や運転免許証など普及を広めようとしている。クレジットカードなどと一本化されれば、生活できなくなる。ETCも、これだけ普及してやっと安心してカードオンリーにした矢先のトラブル。
⑥「弱者」を置いてきぼりにした社会変革だと思う。
⑦真の安全保障とはなにか、議員さんには理解できないのではないか。危険は外からではなく、内側から迫っているような気がする。
2025.4.11. 落雷
①最近、落雷による事故が相次いで起こっていて、「山屋」としてはひとこと。
②雷には熱雷と界雷の2種があることをご存知だろうか。熱雷は真夏の暑い日に起こる雷。界雷は低気圧の接近に伴って寒冷前線に沿って発生する雷。最近は地表(高温)と上空(低温)の気温差から発生するものが天気予報などで報じられている。界雷の一種?。
③熱雷は地表が太陽に熱せられて上昇気流が出来て起こるもの。水蒸気の補給が得られれば発達して時間も場所も限られる。真夏の夕方が多い。水蒸気の補給が必要なので、多摩川に沿って発達するような現象がみられる。
④熱雷はその生い立ちから「予想が立つ」ため、夏山などでは午後の行動に注意すればよい。むかしは山小屋には昼過ぎまでには入るように教えられた。
⑤界雷の予測には、天気図の知識が必要になる。気圧配置が理解できれば予想は付くのだが、上空との「気温差」が決め手になる。通常の寒冷前線は暖かい大気につめたい空気が潜り込むような状態で発生する。季節も時間も関係ない。
⑥ここ数日の雷は、上空に寒気(寒冷渦)が来ることによって起こっているようで、最近の気象観測の発達で解明された現象。情報の伝え方に工夫が必要ではないか。
⑦山岳での雷は、はなはだ厄介で(下から上に落ちる?)、夏山においては、まず、午後の行動をつつしむことであろう。山岳部の顧問になったとき、山岳指導者講習会で気象庁の方が「我々の観測隊もやられたことがある」と言っていたように、判断は非常に難しい。
2025.4.8. メモ
①気がかりなこと
②トランプさんの一言で世界中が大騒ぎだが・・・株が極端に上下するときは必ずうまい汁を吸っている人がいる。
③彼の発言の動向を事前に知ることが出来る人物がいたら、今、株式投資して株価の上昇の機会を窺うことが出来る。
④トランプさん自身が「大儲けするチャンスだ」と公言しているくらいだから。
⑤世界中の人が注目しているので、憶測はいけないが「千載一遇」(少し古いかな?)の機会でもあるのだろう。
(4/13で疑惑報道がなされた)
2025.4.6. ETC不調
①ETCで不具合が無くならないように、二重にも三重にも安全装置が準備されている筈のシステムが止まってしまった。何とか、人海戦術で乗り切ったようだが、それはそれとして、別の視点から対応を考えておかなければならない。
②例えばキャッシュレスのシステム。お金の流通の6割くらいまで広がっていて、現金を持たない人も多い。1日2日なら何とかなるが、地震などの影響などがあると一か月二か月は覚悟しなければならない。
③情報がストップした場合。情報を得られないという問題とともに、誤った情報を選別する姿勢を鍛えておく必要がある。
④物流が止まったとき、復興には時間がかかる。日本は暴動のような事態が起こることは考えにくいが、なぜそうなのかを分析して対応を考えているという話を聞かない。ともすると外国人に対する排他的な思想に向かいがちであるが、なんの解決にもならない。
⑤年をとると心配事が増えて、解決方法が消極的になりがちで、若い世代の足を引っ張るケースが増えてくる。システムが高度化し複雑化していく世の中でシンプルな対処方法を準備しなければならない。
⑥ETCは長い期間を費やして普及し、信頼を得てきたシステムなので利用者も平成に対応できたようだ。効率化を極限まで追い求めると、破綻を起こした時の人々の対応が試される。クレジットカード、SNSなどの情報の入手、マイナンバーカードの利用など、これからの時代に無くてはならないシステムと思うが、トラブルが起こったときの「対処する姿勢」を心しておかねばならない。
2025.4.5. ソメイヨシノ
①私の誤解であれば良いのですが。
②ソメイヨシノは突然変異でできた品種で、「種ができない」。そのため「接ぎ木」で幼木を育てるしか増やす方法がない。
③一方、遺伝子は成長のために細胞分裂するたびに「短くなる」。受精した細胞のみが遺伝子をもとの長さに戻せるという。つまり「接ぎ木」では延命措置にはならない。
④ソメイヨシノは「絶滅種」なのである。環境の影響で多少の延命の可能性があるかもしれないが、数十年後を考えると・・・。
⑤日本中の桜の名所が徐々に別の品種に植え替えられている。そのような時代を覚悟しなければならない。
2025.4.5. 四色問題
①世界地図が印刷され始めたころから、国を色別に表示するには4色あれば十分だということが知られていた。もちろん、4色以上を使った方が分かり易いし、国の数が増えた時も可能かという疑問がある。
②問題自体が分かり易いことと、「出来そう」な雰囲気が漂うので数学愛好家の格好の材料になった。大学の研究室にも「解けた!」という論文が寄せられた。数学者も幾何学や組み合わせ理論・トポロジーなど関連分野が広いのも研究対象として魅力があった。
③球面ではなく、ドーナツ(円環体)であれば7色が必要だということが証明されていると聞く。展開図が書けることが要因と思われる。
私が学生の頃、「解けた」という論文が認められたというニュースが話題になった。
④国の数を2000以下に帰着させ、コンピュータを駆使して「2000以下なら可能」という結論を得た。前半の「少数に帰着」は数学的に解決されたものと認めても、後半のコンピュータ利用部分はプログラムの信頼度に問題が残った。
⑤その後、国の数を減らす努力と、プログラムの改善の努力が行われ、現在に至っているという。皆さんはこの「証明」を認めるだろうか。
⑥最近、アーベル賞を日本人が受賞したというニュースがはいった。アーベル賞は21世紀になって設立された症だというし、表彰のテーマは一般人には理解すること自体が困難な時代になってきた。
⑦「数学って何だろう」という疑問が、より未解決な問題として湧き上がってくる。
2025.4.1. メモ
①4色問題を扱おうと思って、なんとなく検索していたら・・・
②過去に「4色問題が解決された」というニュースが流れて大騒ぎになったという。
③しかしこのニュース、エイプリルフールだったという。
④ささやかなエピソードだが、現代では笑ってばかりもいられない。
⑤誰も「検証」しないのだから。AIはエイプリルフールを理解して判断しているのだろうか。
2025.4.1. 芸術性
①むかし、演劇の授業で「仮面劇」を扱った時、伝統芸能の「能」とアフリカの民族舞踊を取り上げた。その話の中で能の芸術性を特別扱いすることについて生徒から異見が出た。授業の進行もあったのでその場は深入りしなかったが、指摘した生徒は「スゴイ」と思った。
②人が「なにか」を表現する手段として「ことば」を使うことが、「人がヒトたる由縁」かとも思うが、最近の研究では「鳥」にも言葉での意志疎通があるとか。人間の専売特許ではないようだ。
③話がそれたが、言葉以外の「表現手段」は?
幼児期から成長するに従って、「音楽」が最初なのではないのだろうか。言語の発達より先に「音」による感情の表現が天才たちによってなされている。素材がすべて「抽象音」であることも注目に値する。
④次が「絵画」のように思うが、具象画から始まる場合が多いので音楽のような感情の表現は「抽象画」となるが、意志を伴なったものであったら、スゴイと思う。
⑤その年ごろから「詩」が始まる。これも具象と抽象の間があいまいなので表現の手段としてさまざまな段階がある。「小説」など、抽象にチャレンジする作品もあるが、私の理解レベルを越えているようにおもう。
⑥晩年になって大成するようなのが、「焼き物」であり「書」なのではないか。そうなると、理解する方も大変で、ときどき「まゆつば」ではないかという鑑定家?批評家?もいて、あまり関わりたくない。
⑦私がチャレンジしている「写真」はあまりにも具象であり、工夫の余地が少ないが、「風景が心にうったえるもの」を意識してとらえることが出来れば・・・と思う。
夢のまたユメ。頑張りましょう。
2025.3.20. 写真修行③
①上高地を歩いていると、「撮影スポットはどこですか」という質問を受ける。確かに、長年の歴史の中で上高地を紹介する映像は絞られてきている。河童橋からの穂高、大正池、焼岳と中尾峠、徳澤のニリンソウなどなど。
②何事によらず習い事は「まねる」ことから始まる。天候に恵まれれば、初めての場所でもそこそこの写真が撮れる。一生に何度も行かれないようなところであれば、記録の意味も含めて思い出になるだろう。
③本格的に写真修行をしようと思うと写真教室に入るか、同好のひとと腕を磨くことになる。私のような一匹狼はどうしたら良いのだろう。幸い田淵行男という先達に出会って、子供のころから自然に身についた映像もある。田淵行男は写真を撮るときの心得のような書物を残しているので、大いに参考になる。
④それでも「独自性」を求めるとなると、どうしてよいか途方に暮れる。習うことと独自性は全く相反するものだから、「独断」に走りかねない。芸術性とは、「所詮、そういうものだ」と居直ってもしょうがない。踏み込まない方が良い世界もある。
2025.3.19. 写真修行②
①ヒトの視角はカメラのレンズでいうと50ミリだという。普段見慣れている光景に一番近い映像を写すことが出来る。そこから望遠レンズ・広角レンズへと発展していく。
②デジタルカメラに移行した時、50ミリ単焦点レンズを購入した。久しぶりの単焦点で、人をアップで撮るには近づかなければならない。広い範囲を撮るためには下がらなければならない。思い通りの構図を得るためには、「撮り位置」を変える必要がある。
③不自由ではあるが構図を考えながら工夫する姿勢を訓練するには必要な「不便さ」の体験だと思う。ズームレンズを使うと、「視野・視覚」を安易に調整できるために安易にシャッターを切ってしまう。
④以前にも書いたが、「日の丸写真」といわれるものがある。きれいな花を見ると画面の真ん中に花を配置して、周囲を狭めることで強調する傾向がある。これでは花の図鑑を作っているようなもので、写真による「美しさの表現」とは程遠いものになる。風景でも、山の頂上を中央に迫力を強調するきらいがある。都市では建造物を真ん中にシャッターを切ることになる。
⑤人の本能からか、気に入ったものを発見すると周囲が気にならなくなる。しかし写真を見るとき、なぜか画面の隅々まで気にするようになる。満開の桜の花の近くに花びらの散った「がく」が写し込まれることが多い。運が悪いと枯れ葉やゴミが映り込んでいることもある。7分咲きの桜なら隣には「つぼみ」が映るのに、と思う。
「恋は盲目」の写真版。
⑥画面を切り取る作業は、ある程度「修行」が必要。
2025.3.18. 写真修行①
①初めて一眼レフを買った頃、カメラのテストを兼ねて「水のある風景」を求めて歩いた。荒川・多摩川・井の頭公園・野川などを歩いた。
②何故かというと、写真を見て、反省し、視点を改めるためには「繰り返し」が大切だと思うからだった。水の反射がうまく撮れなかったとき「次回はこうしてみよう」ということが可能だからだ。
③桜の写真はシーズンが限られ、花期は1週間もない。撮り直しが利かない。私が上高地をテーマにしているのは、繰り返し訪れる宿を見つけたことが最大の理由である。尾瀬も考えたが、冬季に訪れることが出来ないことや夏季も回数が限られることがあった。交通や宿の問題もあった。
④水の次は「きらめきの季節」と題して、樹木・森・山岳を主体にした。近距離から望遠まで、いろいろなテーマが選べるという理由。
⑤その後、喜多院の「五百羅漢」、高尾の「桜保存林」などを集中攻撃した。その過程で自身の「撮影意図」が落ち着いてきたように思われる。現在は「TOKYO NOW」を継続している。
⑥上高地はそれらの条件がそろっているという意味で、私のライフワークとなった。