そのうちに 2024.4.~

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2024.4.24. 教員の労働評価②

①もう一つの観点は、「教育」の職務内容。予備校は進学実績を求められており、労働評価の主たる要素となる。しかし、「教師」と呼ばれる職業にはそれ以上の期待がある。

②よく話題になるのが、クラブ活動。体育の教師以外は「専門家・指導者」はいない。素人集団である。私も軟式野球部・ソフトボール部・陸上部・演劇部・アウトドアクラブ・山岳部などその時々の人事の都合で担当した。運動部などは事故がつきもので、補助的な役割しかできないが、今、振り返ってみて「死亡事故」が無かったことが幸運としか言いようがない。

③甲子園などを見ていると、資材を投げ打ち家族が犠牲になったような例が「美談」のように報道されることがある。それはそれでとやかく言うことではないが、英語の教師が夏休みに自費で語学研修に行くこともできない制度を押し付けているのが現状。社会科の教師も同様。私も登山の経験を積むのに苦労した。那須の雪上訓練の事故など、痛ましい事件であった。演劇なども、国際高校の「教科・演劇」を立ち上げるにも、なんの援助もなかった。ある私立高校では、事務職員として野球部のコーチを雇っていた。

④学校行事なども、旅行社を有効活用しようとすれば、業者との関係が微妙になる。コンピュータの活用も教員に専門知識が少ないので、勉強するのは大変。生徒には予算が付くが指導者の研修は見て見ぬふり。教材を作成するのは至難である。

⑤愚痴っぽくなってしまったが、これらの働きが「労働」として評価の対象になればよいが、数年ごとに入れ替わる校長の評価で、6年以内に異動があるようでは効果的な学校運営など望めない。70年代の都立高校は多くの矛盾も含んではいたが、ここ半世紀、着実に「悪化」している。

2024.4.21. 教員の労働評価①

①直近で必要なのは、教育にかかる時間の評価。まずは授業時間。週16コマが標準だろうが、クラスを分割したり複数教員の配置などの工夫がある。次にその授業準備に必要な時間の評価。既存の教科ならば数十分の配当で良いだろうが、ITを活用する「新しい授業形態」を模索するならそれなりの時間が必要。小テストをすれば問題作成から採点までどれくらいの時間が必要かを査定するとどうなるか。

②次に学習以外の生徒との触れ合いの時間。生活指導で必要が起こる前段階での時間。休み時間の雑談・放課後のクラブ活動・進路相談などなど。教員に余裕がないと生徒は寄ってこない。職員室でお茶を飲みながら談笑しているところに生徒の個人情報がある。

③さらに学校運営に関わる時間。体育祭や文化祭などの学校行事もそうだが時間割の調整なども突然割り込んでくる仕事もある。生徒に問題が起こったりしたときは、緊急出動である。すべての仕事をキャンセルして半日、生徒と語り合ったこともある。山での遭難事件のため終業式をすっぽかしたこともある。緊急事態は生徒の命にも関わる場合がある。

④これらを積み上げて、週40時間の勤務時間の中に収めることが出来るだろうか。一般企業であれば仕事内容が定められているから、開発部門には余裕を、事務・総務は仕事量を計算して、仕事量が増えた部門は増員することもできる。学校という組織ではそういう対応が難しいので、給与で「教育職調整」の措置が決められた。

⑤それをいいことに、あとからあとから、あめあられと仕事を押し付けてくる行政がある。査定が難しいことは確かなので、余裕のある改善が必要で。本質を理解しないで4%から10%に給与を引き上げて済む問題ではない。

2024.4.19. 教職調整額

①公立学校の教員は、超過勤務手当が支給されない代わりに4%の調整額が支給される。残業が無くても支給されることから問題視されていたが、文科省が教員不足の解決のため10%に引き上げるという。

②教員の残業時間を測ることが難しいことからの発想だが、そのため無制限の労働を強いてもかまわない状況が本来の問題点であり、解決策としては的外れも甚だしい。それだけの予算があれば教員定数を増やして、負担を減らすことがまず取り組むことだと思う。

③私も試験の採点を自宅に持ち帰ることもしばしばであったし、修学旅行の代休措置をとれなかった状況もあったが、それらは「あまり苦にならない」。それよりも、教育委員会から雨あられと降ってくる「雑用」がたまらない。コンピュータに関連していたので、普及割合や台数、教員の習熟度、使われているソフトなど、メール一本で調査できると勘違いしているようである。

④最近は特に、上司の指示に従うことが徹底しており、職員会議で話し合うことがなくなった。職員会議そのものが禁止されている。そのような環境で仕事に情熱を傾けられるだろうか。一般企業であれば、ブラック企業と言われる前に、つぶれる。

⑤警察・消防・教員などは危険性があり仕事も厳しいが、それでも志望者が絶えないのは仕事の内容に「ほこり」のような充足感を持っているからである。それをいいことに、次々とおかしな命令がくだり、異議を唱えれば処分されるようであれば、応募者が減るのはあたりまえだろう。

⑥教員不足の解決案に、新採教員は担任につけない、授業の持ち時数を軽減するなどがあるが担任も授業も教師のだいご味であり、生徒と触れ合う貴重な時間である。私も新採で2学年の担任を割り振られたが、周囲の教員の目に見えないバックアップで無事卒業生を送り出すことができた。

⑦勤務時間も問題だが、大切なのはその内容。今回の文科省の提案は問題解決には「ほど遠い」。

2024.4.18. 書店の廃業

①全国の書店の廃業が進んでいることに関わって、経産省が動き始めたようだ。その真意がどこにあるのかわからないが、予算のバラマキ程度くらの発想しか出ないだろうと思う。

②若者は、スマフォの活用で書店は必要ないように言うが・・・私は納得できない。そもそもスマフォを通じて得られる情報は、「誰かがアップした情報」に限られる。その動機は、決してボランティア的なものではない。人工知能の開発で、内容そのものの真実性すら疑われる。政府がその気になれば、国民を洗脳することすら可能ななってきた時代である、

③むかし、修学旅行の担当になり、岩手県を中心とした企画に携わったことがあった。宮沢賢治とか遠野物語などで有名だが、調べていくとその資料の少なさに驚いた。東北地方の知名度でもダントツに低い。あらゆる分野の資料を漁っているうちに、「岩石図鑑」の「岩」の地が目に留まり苦笑したことがあった。現在ではネットで検索をかけることが出来るが、例えば「犠牲者を出さなかった百姓一揆」とか「遠野の太陽光発電」などにたどり着くことが出来るであろうかと疑問に思う。

④最近(この欄でも触れたが)、川端康成の「骨拾い」など、出会うチャンスはまったくと言っていいほどない。それが必要ないと言ってしまえばそれまでだが。

⑤新宿などを歩いていて、ラーメン屋とイタリアンが多いことが気になる。駅の広告は医療関係と予備校が殆ど。口では「多様性」と言いながら、文化がうすっぺらになっていくような、そんな心配をしている。書店の廃業は「ここまで来たか」という思いである。

2024.4.18. 島根1区

①NHKが島根1区の選挙戦を報じた。与野党支持者の双方に、「決めかねている」事情があるようだ。

②根底にあるのは、「地元の振興」である。政府与党の実力者を選出しておけば、予算はとりやすい。逆に野党なら困難を極める。実際の動きは知らないが一般的に、高速道路・新幹線・空港・原発など、知事を越えたレベルでの政治判断が伴う。

③同じことが知事選でも問題になる。国会議員と強いつながりがあれば、なにかと「便利」である。最近の北海道での高圧的な議員の姿勢なども、その弊害としか言いようがない。

④地方自治は、その地方の発展のために精一杯やるべきで、地方の代表であるべきである。しかし、国会議員は地方の擁護者であるべきであろうか。小選挙区制がもたらした象徴的な弊害のように思われる。狭い選挙区の代表として選ばれ、利害を共有する自治体に優位な滝場で君臨する。そのような態勢が出来上がっているように思荒れる。選挙区が広いと選挙運動に金がかかるとかで、地元のカバン・カンバンに気を配らなければならなくなる。

⑤参議院は「都道府県の代表」の色彩が強いが、半期ごとに半数の改選が余儀なくされ、1票の格差の是正のため、都市部を小選挙区に分割し、それでも足りないので「合区」が進んでいる。地盤を死守するための選挙区でしかない。

⑥問題点を指摘して、愚痴を言っていてもしかたない。思うには、ふるさと納税ならぬ「ふるさと投票」くらいの柔軟な発想をしてみてはどうかと思う。マイナンバーとコンピュータの発達で可能になったのではないか。立候補者は地元の発展は知事に任せ、国政に専念してはどうか。それができる人材が政党に求められているのではないか。党議拘束を外せばタレント議員も減ると思う。

⑦思い付きなので、今日はここまで。

2024.4.15. 駐日大使が

①ライシャワー大使だったと思うが、記憶違いだったら、ごめんなさい。

②アメリカの駐日大使で、日本語に堪能な大使であった。テレビの座談会で、通訳なしで話題に参加していたが、突然、英語で話し始めた。駐日大使として「責任を持った発言」が必要になったので英語に切り替えたのだという。平均的な日本人よりも美しい日本語を話すアメリカ人という印象だっただけに、記憶に残った事件だった。

③大使という立場が、発言に責任を持たせ、正確さを必要としたのだ、

④岸田首相がアメリカ議会で発言した言葉に、「誤解を招く」ような表現があったと話題になっている。わざわざ英語で話したのだから、「誤解を招いたこと」は弁解させてほしいというわけにもいかないだろう。そもそも「誤解を招く」という表現がアメリカにあるのだろうか。あるとしても、どちらが悪いのだろうか。誤解して受け取った方の責任にすることは通用しない。

⑤国会答弁で「内容のない答弁」で議会を切り抜ける習慣はそろそろやめないと、「ヤバイ」ことになる。「舌禍」という言葉を思い起こす。

2024.4.14. ミサイル攻撃

①イランがイスラエルをミサイル攻撃した。第5次中東戦争とか、第3次世界大戦とか日本での報道が賑やかであるが。

②他国からミサイルを撃ち込まれた国の人たちはどう考えるであろうか。わがこととして考えてみる必要があるだろう。どちらが先に火ぶたを切ったかとか、どちらに正義があるかということは、問題にならない。自国の国土が、国民がミサイルの攻撃を受けた事実が先行する。

③敵基地攻撃能力を発動すれば、お互い、五十歩百歩。イランとイスラエルの仲介をすることは至難。どちらかが、どちらかを組み伏せるまで続くだろう。

④そのような状況にならないために、なにをするか。失敗した時は泥沼の争いが待ち受けている。それくらいの「覚悟」の下に「攻撃能力」を備えなければいけない。

⑧中東での争いを、わがことに置き換えて考えてみる必要があろう。

追記 : 「喧嘩両成敗」という言葉があった、争いが起こったときは「両者が悪い」ことにしないと、仲直りはできない。キリスト教とイスラム教の仲介を仏教徒がするのも良いかと思う。

2024.4.13. 台湾地震

①以前、台湾に「登山」で行った時の経験からすこし。

②ユーラシア・プレートとフィリピン・プレートのせめぎあいの上にあって、意外と地震が多い地域です。南北に山脈があり、玉山(3952m)雪山(3886m)があります。北回帰線の真下にあり頂上の植生は日本の穂高連峰(3000m)と同じくらいです。森林限界が3500mくらいだったように記憶しています。1895年に日本が植民地化した時、富士山より高い山という意味を込めて、新高山・次高山という無粋な日本名を付けました。真珠湾攻撃時の暗号「ニイタカヤマノボレ」はここに由来しています。

③西側は平地に恵まれ、交通インフラも整えられていましたが、東側はフィリピン・プレートが押し寄せて来ているようで年に数センチくらいの「目に見える」くらいの変動があり、東西を結ぶ道路は急峻な谷を縫うように走っています。そのため洪水が頻発し、台東の川を横切る鉄道が鉄橋ではなくトンネルで川を越えるという、世界でも珍しい施設があります。

④東側は、ほとんど平地が無く人口も少ない地域ですが、太魯閣(タロコ)渓谷などの景勝地のほかに、中国を意識した軍事基地があります。花蓮には断崖に掘った格納庫?が記憶に残っていて、北の基隆は軍港として有名です。

⑤地震への対応の早さが話題になっていますが、台湾は対中国の軍事態勢下にあり、年に数回の空襲避難の全国規模の「抜き打ち」訓練があると聞きました。ホテルには地下への避難経路が示されていました。そういえば、西側の高速道路は電柱が無く、飛行機の離着陸が可能になっていました。

⑥食べ物がおいしいことと、故宮博物館の展示には圧倒されました。以上、何かの参考までに。

追記 : 玉山がさらに高くなった模様。再測量とのこと。花蓮で45cm隆起した。

2024.4.1. 笑い事では

①今朝テレビをつけたら、春山で雪庇を踏みぬいた映像が流れていた。春山の危険を報道したもので、タイムリーなのだが扱いが「あまりにも甘い」。経験者として最悪の場合を紹介しておく。

②まず、落下する直前。左手にストック、右手にスマフォらしきものを握っている。これでは自身のバランスが取れないし転んだ時なにかに「つかまれない」。両手が塞がっているのだ。むかし、春の富士山で滑落して、必死になってしがみついたのが「遭難者」で、その救助隊に救出されたという事例がある。

③アンザイレン(ザイルで同行者が結び合うこと)。この場合アンザイレンしていなかったことが幸いして、後続の同行者が巻き込まれずに済んだ。事故を最小限に止めるためザイルを使用しないこともあるが、映像では数メートル後ろに同行者がいる。むかし、超ベテランがアンザイレンしていて、前方の仲間が落下した時、反射的に反対側の谷に飛び込んで、二人が無事だったことがある。

④落下するとき一度岩に触れたとの証言だが、このようなケースでは岩に激突してボロボロになることが多い。岩に衝突しなかったのは「奇跡」に近い。むかし、穂高連峰の涸沢で滑落した登山者が「背中で」滑り落ちて命は助かったのだが背中の皮が全面はがれて、ひと夏、うつ伏せで暮らしたという。

⑤運よく停止したとしても、雪崩で埋まった場合は耳や鼻に雪がつまり、三半規管がマヒして上下の判断すらできない状態になるという。この場合埋まらず自力で脱出でき、目撃者がいたことは「幸運」でしかない。

⑥この時期は、ピッケルが必須アイテムだが、ピッケルを使用するには相当の訓練が必要である。転んだ時、ピッケルで腹を刺したという事例もある。

⑦この報道内容からして、「無謀」としか言いようがない。「気を付けて」という段階ではない。

追記 : 新潟県・高松山 妙高・火打山の西・雨飾山との間
登山道は無い様子で、積雪期のみ登山可能な1700級の里山
日本海に近く、豪雪地帯と思われる

2024.3.15. マルハラ

①そもそも、日本語には文字がなかった。そこに中国から漢字が伝わり、カタカナ・ひらがなが作られ、漢字の中国読みから「音読み」、日本語に合わせての「訓読み」ができ、当て字などの工夫もされて、世界でも難解な言語世界ができた。

②「句読点」が漢文を読むときの「ここまで読んだ」という目印だったという話もあり(本当?)、句読点は明治のころの発明かな?という話もあり、発生は最近のことと初めて知った。
逆に考えると、SNSやショートメールに慣れた現代人??にとっては句読点は不要なものになりつつあるのかと思う。

③英語やドイツ語などを読めることが教養人の証し?であった明治の人たちは、「カンマ」や「ピリオド」が当たり前なので句読点も自然に受け入れられたのではないか。

④思えば句読点は、「詩」などには使わないし、俳句や短歌などには無縁の世界。むかしポーランドの作家の小説で、100頁以上句読点の無い文章で訳されていたものがあった。叙事詩のようなジャンルに入るのであろう。

⑤要は、伝えたいことが明確に伝われば良いのであって、英語などは単語ごとにスペースがあるが日本語の文字は粘着性があるので句読点が必要になるのではないか。私もこの欄に思い付きを書いているが「正確に伝わること」を考えると句読点が増える傾向にある。「誤解を招くような」表現を「するのか避けるのか」、それが問題。必要に応じて使い分けているのが「霞が関文学」。

⑥「。」があることによって、「圧力を感じる」などと言わないで、必要に応じて聞き流す(読み流す)ことが必要。このことが問題視されること自体が別の問題。

2024.3.10. 3.10.

①東京大空襲が忘れ去られようとしている。当時の写真を見ると、今のガザでありウクライナである。いずれも「人類の力」で避けられたことというのが私の想い。

②「天災」という言葉がある。「いつかは起こるもの」「避けられないもの」「協力して復興するもの」というようなニュアンスで使われるが、大切なことは、「可能な限り準備しておく」「少しでも早く復興できる準備」することが出来る自然現象であること。

③今回の能登地震では、耐震構造が有効であったし、石川県の公務を三重県が肩代わりしたとか、ふるさと納税のシステムを使った直接の援助など、「すこしは」進展があった。災害から学ぶことは多いし、「人の力」で災禍を減少させることはできる。

④しかし、国と国との争いは避けることが出来るはずなのに、「起こってしまった時」のことが議論され、「起こさないための努力」が一向に論じられない。それどころか、起こったときの「勝利するための努力」に対して優先順位を発揮している。

⑤平和憲法を話題にすると「理想論だ」と一蹴する風潮がある。理想に向けて努力して何が悪い。それでも起きてしまった争いは、「天災」なのか「人災」なのか。そういう議論をすべき時ではないか。3.10.と3.11.の狭間で話し合う機会を作るべきと思う。

追記 : もし世界のどこかで「核」が使われたら、「ヒロシマ」が積み重ねてきた努力が3.10.のようにならないか。毎年、この時期になると、考えさせられてしまう。

 

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