最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・
そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・
というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・
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2025.3.20. 写真修行③
①上高地を歩いていると、「撮影スポットはどこですか」という質問を受ける。確かに、長年の歴史の中で上高地を紹介する映像は絞られてきている。河童橋からの穂高、大正池、焼岳と中尾峠、徳澤のニリンソウなどなど。
②何事によらず習い事は「まねる」ことから始まる。天候に恵まれれば、初めての場所でもそこそこの写真が撮れる。一生に何度も行かれないようなところであれば、記録の意味も含めて思い出になるだろう。
③本格的に写真修行をしようと思うと写真教室に入るか、同好のひとと腕を磨くことになる。私のような一匹狼はどうしたら良いのだろう。幸い田淵行男という先達に出会って、子供のころから自然に身についた映像もある。田淵行男は写真を撮るときの心得のような書物を残しているので、大いに参考になる。
④それでも「独自性」を求めるとなると、どうしてよいか途方に暮れる。習うことと独自性は全く相反するものだから、「独断」に走りかねない。芸術性とは、「所詮、そういうものだ」と居直ってもしょうがない。踏み込まない方が良い世界もある。
2025.3.19. 写真修行②
①ヒトの視角はカメラのレンズでいうと50ミリだという。普段見慣れている光景に一番近い映像を写すことが出来る。そこから望遠レンズ・広角レンズへと発展していく。
②デジタルカメラに移行した時、50ミリ単焦点レンズを購入した。久しぶりの単焦点で、人をアップで撮るには近づかなければならない。広い範囲を撮るためには下がらなければならない。思い通りの構図を得るためには、「撮り位置」を変える必要がある。
③不自由ではあるが構図を考えながら工夫する姿勢を訓練するには必要な「不便さ」の体験だと思う。ズームレンズを使うと、「視野・視覚」を安易に調整できるために安易にシャッターを切ってしまう。
④以前にも書いたが、「日の丸写真」といわれるものがある。きれいな花を見ると画面の真ん中に花を配置して、周囲を狭めることで強調する傾向がある。これでは花の図鑑を作っているようなもので、写真による「美しさの表現」とは程遠いものになる。風景でも、山の頂上を中央に迫力を強調するきらいがある。都市では建造物を真ん中にシャッターを切ることになる。
⑤人の本能からか、気に入ったものを発見すると周囲が気にならなくなる。しかし写真を見るとき、なぜか画面の隅々まで気にするようになる。満開の桜の花の近くに花びらの散った「がく」が写し込まれることが多い。運が悪いと枯れ葉やゴミが映り込んでいることもある。7分咲きの桜なら隣には「つぼみ」が映るのに、と思う。
「恋は盲目」の写真版。
⑥画面を切り取る作業は、ある程度「修行」が必要。
2025.3.18. 写真修行①
①初めて一眼レフを買った頃、カメラのテストを兼ねて「水のある風景」を求めて歩いた。荒川・多摩川・井の頭公園・野川などを歩いた。
②何故かというと、写真を見て、反省し、視点を改めるためには「繰り返し」が大切だと思うからだった。水の反射がうまく撮れなかったとき「次回はこうしてみよう」ということが可能だからだ。
③桜の写真はシーズンが限られ、花期は1週間もない。撮り直しが利かない。私が上高地をテーマにしているのは、繰り返し訪れる宿を見つけたことが最大の理由である。尾瀬も考えたが、冬季に訪れることが出来ないことや夏季も回数が限られることがあった。交通や宿の問題もあった。
④水の次は「きらめきの季節」と題して、樹木・森・山岳を主体にした。近距離から望遠まで、いろいろなテーマが選べるという理由。
⑤その後、喜多院の「五百羅漢」、高尾の「桜保存林」などを集中攻撃した。その過程で自身の「撮影意図」が落ち着いてきたように思われる。現在は「TOKYO NOW」を継続している。
⑥上高地はそれらの条件がそろっているという意味で、私のライフワークとなった。
2025.3.16. サリン事件30年
①もう30年かと、私のような年代には感慨深い。しかし、マスコミの特集報道に接していると「これで良いのかな」と思う。
②サリン事件で学生の「宗教離れ」が加速した。学生運動(過激派)の影響で「政治離れ」が起こる中で、学生の「意識の場」というようなものがなくなった。私の青年期を振り返ってみると、20才前後の心の在り方がその後の人生に大きく作用している。「学生の本分」は学問という時代は過去のものとなったが、価値観の醸成の機会が失われたように思う。
③最近になって「宗教」というものを考えるようになったが、ひとが生きていくこと、社会の在り方を考える時、無くてはならないもののように思うようになった。日本人は「生き方」に反映するような宗教を持たない人が多いように思うが、これで良いのかと不安に思う。
④世界情勢が宗教の価値観に基づく紛争で混迷をきわめている様子。また極端な価値観の暴力的な行使が世界を揺るがしている。善悪の価値観には人それぞれであるが、基盤となるものが失われつつあるように思われる。
⑤サリン事件を考える時、若者がオーム真理教に賛同した社会の分析がなされていない。科学者としてもなぜ賛同したのか、政治に対する反動はなぜ起こったのか。そのような分析がなされないまま AI の世界に突入していることに大きな不安を感じる。
2025.3.12. 高校授業料無償化
①橋本さんが「日本の教育にものすごい弊害」と発言している。真意は想像するしかないが、結論は私の考えと同じ。そこで、私の意見。
②まず、公教育をなんと心得ているのか。国民の教育の基盤を形成する公教育を「貶める」判断だと思う。私立は、その「設立理念」から賛同する保護者・生徒に理想の教育をすればよい。その自由が保障されているのが民主国家である。しかし、公教育は国家を支える人材を育てるためにある。「公教育第一」でなければ、国家は迷走する。
③「教育の平等」とは、教育を希望する子供たちにその障壁を取り除くこと。親の経済力がその機会を奪ってはいけない。今回の授業料無料化はそのような子供たちを対象としていない。結果的に豊かな家庭の子供に援助したことになる。私学は、授業料以外の出費が大きい。授業料も値上げされかねない。
④今回の決定では、「公教育の改善」は全く取り上げられていない。教師は仕事量の多さにあげき、新規採用は低調で、予算は増えず裁量の余地は少ない。新しい教育内容の導入が求められているが、ハードはともかくソフト面の人材の採用は教員定数の壁で、身動きが取れない状態である。
⑤維新の会の至らなさだけを批判するものではない。103万円の壁も、高額医療の問題も、政治家が国民の実態をいかに理解していないか。そのことが表面的に表れたのが「少数与党」の功績かもしれない。
⑥ただし、その人たちを選んだのは、私たち。おおいに反省しよう。
2025.3.11. 未来への伝承
①TVの特集で・・・
②津波で助かった父子のその後。母と弟・祖母の3人を亡くして二人きりになった、その後の14年を追っていた。息子が結婚し、初孫との対面の映像で終わる。言葉ではなかなか表現できないが、私なりの感想。
③悲しみを乗り越えていこうとする父子の会話が残っている。「二人で幸せになろう」という言葉が響いた。番組は編集されていて、そんなに簡単なことではなかったとは思うが、それを成し遂げた家族があるのは、人々の励ましになるだろう。
復興の遺産とでもいうべき、日本中の困難に対峙している人たちに「勇気を与える言葉」なのではないだろうか。
④両親を失って、孤児になった子供も多いだろう。逆に子供や家族を失った人もいるだろう。悲しみの中で今でも乗り越えられないで、闘っている人もいると思う。震災とは全く関係なくとも、人生を見失っている人もいるだろう。誰しも、多かれ少なかれ困難と闘っている。そのような人たちへの、解決への道であり励ましであるように思える。
⑤原爆の影響で今なお苦しんでいる人たちがいる。一方でその苦しみのエネルギーを「平和」を求めることに向けた人たちがいる。彼らを同じ日本人として誇りに思う。
歴史の中での、ユダヤの人たちの苦しみは学習・理解できるが、宗教を挟んで憎しみが憎しみを生むように進展・拡大している現実がある。当事者でないと理解できない「感情」があるのだろうが、結果的に両者ともが苦しみ悲しむ世界が生れている。
⑥「歴史は繰り返される」という言葉があるが、争いはもういい加減にやめるべきだと思う。そのためには災害の本質をとらえて、改革するしかない。
⑦「解決への道」を用意するのが政治の責任であると思う。国会審議を見ていると、目先の問題を金銭で解決しようとしているに過ぎない。彼らを選んだのは私たちなのだが・・・。
2025.3.10. 3月10日
①毎年同じことを書いているようだが、3月10日の東京大空襲と11日の東日本大震災の特集がマスコミを賑わせる時期である。この二つを比較することは全く意味が無いがニュースの扱い方にはさみしい思いをぬぐえない。
②人災と天災の違いもさることながら、災難を後世のために伝える姿勢がさみしい。「体験」を伝える人は年々減少していく。しかし、記憶を知識に、そして行動に発展させていく活動が意識的に行われていない。私は「体験」を「経験」に昇華する作業が大切だと思っている。
③体験は現場にいた人にしか語れない。体験をいかに語ったとしても、聞く側の受け取りも感情的な同意が多く、行動に移せる人は少ない。私も残念ながら、気持ちは理解できてもこの欄に感想を書くことしかできていない。被災者の貴重な体験を昇華して、人類の経験として役立てることは出来ないだろうか。
④日本と韓国・中国の関係がいつまでもしっくりいかないのは、感情的な対立のように思えて仕方ない。被害を受けた人たちが感情的になるのは仕方ないが、日本人も戦争中に起こしたことを素直に正直に証言することが難しい点にあると思う。戦場から帰国して、その出来事を家族に話す人は少ないだろう。私の父も語らなかった。
④「戦争」というものを掘り下げて、戦時下の兵士の感情を理解することは出来るだろう。「鬼畜米兵」とか「皇国日本」のような国民意識の変化を分析して、二度とそうならない努力をすることは戦争を体験していなくてもできるのではないか。
⑤ヒロシマ・ナガサキの惨禍が、「憎しみ」ではなくて「平和」への原動力となっていることを思うと解決の道はあるように思う。福島の原発事故なども、事故責任や対処のありかたが問題になっているが、並行して「エネルギー問題」を「平和」を求めることと同じように扱えないか。
⑥戦後処理が終わらないような、漠然とした不安の中、真の解決への努力が必要ではないか。
2025.3.9. 自民党大会
①自民党が党大会を開いて、次の選挙で国民の信頼を得るためにどうすれば良いかを話し合った。どうすれば良いかを分析できるのなら、そうすればよかった。それをしなかったから、今がある。わかっててやらないのが、最も悪い。
②小泉さんが、選択的夫婦別姓で党議拘束を外してほしいと主張している。これには自民党にとって根源的な矛盾が含まれている。
③まず、夫婦同姓を主張している集団が論理的な主張で自民党を代表しているのではない。自民党の多数を占めているわけでもない。しかし、夫婦同姓を支持する団体が大きな「票田」であることは確かである。結果的にその主張を認めれば、政権を維持できる。
④一方、党議拘束は自民党に集まった議員にとっては必須である。自民党が国会の過半数を占めているため少数意見であっても「自民党案」となれば国策を左右できる。そこに「旨味」がある。
⑤自民党の中で政策が一致していなくとも、党内の「調整」で少数意見を通過させることが出来る。そうなれば党議拘束で国策とすることが出来る。
⑥少数与党が現実になったとき、野党総てが合意すれば政権を取れる。その合意が難しいから少数与党が政権を維持している。小泉さんが党議拘束を外すことを主張しているのは、自民党にとっては自殺行為。野党連合が党議拘束を出来れば、政権が取れる。
⑦いずれにしても、国民にとっては「本当の政治」にはほど遠い。ちなみに、自民党は世情の混乱があるとたくらみを実行する。トランプさんのおかげで世界中が混乱している時、自民党にとっては「チャンス」。これを利用できるかどうかが命運を握っている。誰の?
2025.3.4. 口論術②
①数学者と物理学者の1時間近くの対談があった。それを一緒に聞いていた友人の感想。
②1時間のうち7~8割は数学者が話している。理路整然と正論を説いているので反論は難しい。物理学者の方は黙って聞いていて、ときどき相槌を打つ。簡単な質問をしたり、話をまとめてみたりしている。対談が終わったあとの感想は、物理学者の勝ち。勝ち負けというか、印象に残ったのは物理学者の発言。
③人間は後で聞いたことが記憶に残りやすい。正論もどこかにあやうい点がある。そこを指摘されると、聞いているほうは全部の発言があやういような印象になる。
④数学者は論理が命だから、正確に丁寧に話したがる。一方、物理学者は予算を取るのが命だから、少々論理が弱くても聞いている人の同意が目的で話す。私自身、専門が数学であって、論理を大切にする癖があるが勝負には弱い。
⑤誰かが言っていた、負けてはいけない、どうしても勝たねばならない対談は「相手にしゃべらせろ」。どんなに頭のいい人間でも長い時間のうちには間違いがある。最後にそこを取り上げて、徹底的に攻撃する。観衆は最後の勝ち負けしか記憶に残らない。
⑥ゼレンスキーさんの気持ちはわかるが、つまらない言葉をとりあげて、徹底的に攻撃するトランプさん術中に入ったように思う。まして会場は敵陣の真っただなか。
「仮定の話はお答えしない」くらいが良かったのかもしれない。結果論だが。
2025.3.4. 口論術
①トランプさんの口撃を見ていて、昔を思い出した。議論が白熱してくると、相手が話し終わるのを待っていられなくなり、話している途中に割り込んでいくという習性。
②私も歳をとってくると、なにか反論があっても、はなし終わるまで待っていては話したいことの内容を忘れそうで、「忘れないうちに」という焦りから割って入りたくなる。逆に、自分がそうされると反発からついつい声が大きくなる。ゼレンスキーさんが「大きな声を出さないでも」と言っても気づかないのがトランプさん。
③私の友人にも一人話の途中に割り込む習性を持っている人がいて、私もヒマな時、面白がってわざと彼の話に割って入ると、みるみる話がエスカレートして声が大きくなる、周囲に迷惑をかけることになる。周りがシーンとなってくるとやめるのだが、周囲には喧嘩が始まったと受け取られているようで、すみません!!!
④まあ、相手のいうことを最後まで聞いて、論点を整理して反論することが出来れば「聖人」に近いと思うので、広い心で受け止めるしかない。
⑤そういえば、私がよく見るニュース番組にそのような癖のある年配の男性のコメンテイターが居る。被害者の女性のコメンテイターが迷惑そうな表情で話を中断される。そろそろ二人とも後輩に譲る歳だと、自分自身に照らして反省している。
2025.3.3. 口論
①執務室で、群がるマスコミの前で口論することではなかったと思うが、日本人の「受け取り」が気になった。
②興奮はしていたが、感情的ではなかったと私は思う。興奮すれば声も大きくなるし強い言葉使いにもなるだろう。しかし、双方とも冷静な論理的な主張をしていたように見えた。論理の正当性はゼレンスキーさんの方が正当で、トランプさんは「大国の驕り」のように思う。バンスさんは「トラの威を借る・・・」で、論外。
③誰かが言っていたが、トランプ・バンスの計画的な作為があったとすれば「老獪」であり、ゼレンスキーさんの若さも否定できない。
④日本ではこういう率直な意見交換が理解されない場合が多く、喧嘩と間違われて周囲が「シーン」とすることがしばしば。人間関係が深まるチャンスに、率直さをぶつけ合うことが出来ない風潮がある。
⑤ただ、今回の討論は舞台裏で行って、部屋を出る時はさわやかな顔であってほしい。昼食会をキャンセルしたことはトランプさんの「大人気なさ」であり、計画的な作為ではないと思う。世界の指導者がどのように理解したか、トランプさんがどのような修復をするか、器の大きさの見せどころなのだが。子供じみた影響が無いことを祈るのみ。
2025.3.1. トランプ会談
①過去の大きな戦争のきっかけとなった事件を、〇〇事件ということがある。今日のトランプ・ゼレンスキー会談が将来そうならないことを祈るのみ。
②まず、EUは団結を固めるだろう。アメリカに対して「あてにならない」友達と思うだろう。それまで「頼りになる」としていただけに落差は大きい。
③プーチンはニヤリとしただろうが、旧ソ連邦の周辺の国々が真の独立に動くことを警戒するだろう。戦争が激化すれば「絶好のチャンス、隙あらば」と身構えるだろう。
④中国は「高見の見物」。いま動いても利益は無い。国内の立て直しが安心してできる。台湾を攻めれば、トランプは「国民の目を外に逸らす」材料になる。
⑤インド・アフリカは静観。
⑥さて、日本は。石破さんがトランプさんに取り持つだけの人間関係があれば、だが。日本のマスコミや評論家に「言いたいだけ言わせて」否定も肯定もしないこと。今までそうやって乗り越えてきた日本だが、今こそ積極的にそうする場面だと思う。
⑦解決には、難しいがトランプさん自身が「謝る」こと。それを勧める側近はいないから、自分の意志で「保身のために」謝らなければいけない。「相手がよけてくれる」という前提で生きてきた人に、それができるか。
「謝ったら?長く付き合える友達は大切よ」と、どこかのコマーシャルで言っていた。アメリカでは放送していないだろうが・・・。
2025.2.28. 反トランプデモ
①大規模な反トランプデモのニュースが流れた。その中に、参加者は99%白人だったという。その理由は、もしも暴動に発展した時に、黒人などが身の危険を感じているからだという。インタビューに答えたその白人女性は「その人たちのために」代わりに参加しているという。
②1960年代、高校生であった私の友人がAFSの留学から帰国した。ワシントン広場?での独立記念日の写真であった。友人は「白人ばかり」であることを指摘して、「自分は白人のグループに入れてもらっているから、そこに居る」ことを教えてくれた。
③当時、黒人と白人は異なる学校に通い、通学バスも異なる。プロ野球すら別々のリーグであったという。ケネディ大統領が共学を行うために、軍隊が警護したという。
④半世紀前の時代に戻ったように感じるとともに、「差別」の解消はそれほど難しいものだと再認識した。オリンピックの水泳で黒人選手を見かけるようになったのは、つい最近?のような気がする。日本でも差別の感覚は「根強い」。
⑤トランプさんが軍のトップ(黒人)を更迭したようだが、閣議のメンバーの中に黒人は居たのだろうか。そういう視点からアメリカの行方を見守る必要がありそうだ。残念なことだが、この状況を修復することはとても困難だと思う。
追記 : その後閣議の写真を見ている限り、全員白人のように見えます。