村長ありき

Book-19

村長ありき         及川和男
ーー沢内村 深沢晟雄の生涯ーー
新潮社 1988
  序章
昭和40年1月29日、岩手県和賀郡沢内村は、降りしきる雪のなか、深い悲しみに沈んでいた。
・・・

村を南北に貫く沢内街道のあちこちに、大勢の村びとの姿があった。深沢村長の遺体が、まもなく帰村する。沿道の人びとはもちろんのこと、腰までつかる雪をかきわけ、除雪された街道にたどりつき、深沢村長の無言の帰村を迎えようとする村びとの姿は、刻々とふえつつあった。雪で全身を白くしながら、人びとはじっと佇んで北の方を見ている。

1988 37歳

山々に囲まれた過疎の村。冬は雪に埋もれる出稼ぎの村。その村で、乳児死亡率 0 を達成し、老人医療の完全無料化をおこない、結果?、国保を黒字化した。その結果だけを聞けば奇跡としか言いようのない歴史がそこにある。昭和32年から8年間、沢内村の村長を務めた深沢晟雄の村政である。
国道の除雪のためブルドーザーを導入し、保健婦を組織し村びとの健康を改善し、病院の待合室をサロン化し病気の早期発見を促し、老人が家族に気兼ねしないで診療を受けられるように医療を無料化した。それらの工夫は目を見張るものがある。

「沢内村奮戦記」(あけび書房)を出版したあけび書房代表・久保則之氏をして「こんな素晴らしい村があっていいのだろうか」と言わせた村である。その写真集にも、村びとの生き生きとした生活が紹介されている。

故・深沢晟雄(第18代村長)の言葉(「沢内村奮戦記」より)

ニューギニアの奥地ではあるまいし、生まれた赤ん坊がコロコロ死んでゆくような野蛮な条件、また、年老いた人々が農夫症に苦しみながら、じっと我慢して枯れ木の朽ちるように死んでゆく悲惨な状態を、根本から改革して行かねばならない。与えられた人間の生命が完全に燃焼しつくすまで、自分たちで自分たちの生命を守り続けることが、主義主張を越えた政治の基本でなければならない。教育も経済も文化も、すべてがこの生命尊重の理念に奉仕すべきものである。私の生命は、住民の命を守るために賭けよう。(昭和36年4月)

2015.10.15. 記

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