2026年2月13日 控訴審の第一回弁論が東京高等裁判所で行われました。
後で聞けば、控訴審の約70%がたった1回の弁論で結審となるそうですが、
次回5月29日が設定されました。今回の弁論の内容をご報告します。
まず、原告代表の陳述。
これまでの経過や原告本人の気持ちが分かり易く表現されているので、
多少長くなりますがご紹介します。
東京「君が代」裁判第5次訴訟控訴審・原告意見陳述要旨
2026年2月13日 原告 ** *
これから2つの意見を述べたいと思います。
まずは、何度も処分を受けながら、私が不起立を繰り返してきた理由についてです。それは、端的に言えば、都教委が特定のシンボルへの敬意表明を無理強いする、そのやり方を受け容れることができないということです。
「日の丸・君が代」に対する人々の感情には複雑なものがあることは周知の事実です。そのような人々に「正しい態度」と称する特定の態度を一律に強要することは個人の思想・良心の自由を侵害します。公教育の現場でこのようなことがあってはなりません。
都立高校の卒業式等においては、1990年以降、学習指導要領改訂にもとづいて「君が代」が全学校に導入されましたが、多くの学校では生徒や保護者に「内心の自由は保障される。起立や斉唱を強制するものではない」との事前説明を行うことが定着していきました。これは教師集団の中に「強制は問題」「人権侵害は避けたい」という意識が共有されていた結果であると思います。
ところが2003年に「10・23通達」が出されると、指定された座席で「国旗」に向かって起立し、「国歌」を斉唱すること、などという職務命令が校長から全教職員に出されただけでなく、都教委は生徒・保護者に対する「内心の自由」に関する事前の説明を禁止し、式場はおろか事前のホームルームでの発言すら禁止するようになりました。
都教委は国旗に正対して起立し国歌を歌うことが「正しい態度」であると主張し、教職員にその態度を率先垂範することを命じましたが、このことはその行為に違和感を持つ生徒らには多大な同調圧力をかけることになりました。
さらに都教委は、通達直後の全都立学校での起立状況を監視、集約し、不起立の生徒がいたとの報告を受けると、各学校の卒業式の進行台本に「起立しない生徒には、起立を促す」という指示を書き込ませるようになりました。中には「起立しない生徒には『起立しなさい』と発言する」と書き込んだ学校もありました。この事態を「生徒に対する起立斉唱の強制」と言わずして、どう表現できるでしょうか?そして公権力の末端の位置に立つ教員が、このような行為をすること、あるいはこのような行為に加担するよう命じられることが、憲法上許されるものでしょうか?
憲法上の原理として最も優位に立つべき「個人の尊重」が崩されていくことが、卒業式・入学式という高校生活の節目の舞台で起こっていくことは、生徒の人権を擁護する使命を負っている教師としては看過できません。私は、教師としての信念から、また憲法尊重義務を負う公務員の立場からも、生徒の思想・良心の自由を侵すおそれのある行為に加担することはできません。
また、「10・23通達」発出以降、欠かさず職務命令を出す校長に対して、私はその都度異議を申立ててきましたが、職務命令が撤回されたことは一度もありませんでした。このような状況下で行われる式に際して、私は、「国歌斉唱」の業務においては、非協力、不服従の態度で臨むほかはありませんでした。
2つ目の意見を述べます。本訴において都教委が、本件通達と職務命令は国旗国歌法と学習指導要領の趣旨・要請にもとづくもので、かつ命令によって改善すべき事情があったのだから「必要性・合理性があった」と主張し、原判決はそれを受け入れていますが、このような裁判所の評価・判断は改めていただきたいと思います。その根拠は、控訴理由書で示した通りですが、私が高裁での裁判所に特に吟味していただきたいと願うのは、都教委が通達を出す必要性を感じるに至ったほんとうの経過です。
私は通達直後の2004年3月の卒業式で不起立し、戒告処分を受けたのち150名あまりの被処分者とともに東京都人事委員会にこの処分に対する不服申し立てを行い、その後人事委員会審理を行いました。この審理では60名を超える校長、副校長のほか、通達発出時の教育庁指導部長、人事部長、高等学校教育指導課長らへの尋問を行い、私はほぼ全ての尋問に参加しました。ここでは通達発出前後の教育委員会や都議会文教委員会の議事録、臨時および定期の校長および副校長連絡会での伝達内容、通達発出時の説明会の記録などの開示請求を行って得た文書や刊行物に記載された関係者の発言や記述内容などにもとづいて、尋問で事実確認をする作業がくり返されました。その結果、明らかになったことは、学校現場への「日の丸・君が代」の導入について独自のこだわりを持った一部の都議会議員、教育委員による不当な介入があったという事実です。そしてこの介入が都教委担当者たちに通達発出の必要性を惹起し、対策本部の設置、通達の発出、職務命令発出を校長らに強要する行為へとつながったのです。
この異常な介入の実態は、通達発出後に不当な介入した当事者自身がその真の目的について各方面で語っています。たとえば、米長邦夫教育委員は園遊会で当時の天皇に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけ、「強制になるということではないことが望ましい」と返された話は広く報道されましたし、鳥海巌教育委員が通達発出翌年の教育施策連絡会で、通達に反対する教職員について「半世紀の間につくられたがん細胞のようなもの。少しでも残せばすぐ増殖する。徹底的にやる」などと述べたことも広報に掲載されました。彼らの介入は、個人的信念の実現や特定の教職員に対する弾圧を意図したものであり、不正な動機にもとづくものです。
このような不当な介入によって発出された10・23通達は、現在も改廃されることなく生き続けています。そしてこの通達下の卒業式・入学式は、学校のさまざまな教育活動の中で唯一、学校ごとの教育課程の編成権を無視して、一から十まで全て都教委の指示に従った内容で実施される特別な行事となっています。そしてこの行事は「国歌斉唱」の40秒間にピークを迎えます。
都立学校では2017年を最後に、不起立を理由とした懲戒処分は発令されていませんが、現在に至るまで、すべての教職員に職務命令が発令されて続けています。私には、2017年以降、式進行中も式場外で警備や受付などの業務にあたれという命令が出されていますが、「国歌斉唱」を命じられている同僚たちの間には、「服務事故」に対する恐怖心を生じさせています。都教委は「国歌斉唱」時に最大限の教職員を動員するよう指導しており、式場内タトで誘導、受付、救護などの業務にあたっていた教職員も「国歌斉唱」予定時刻前には会場内の指定された座席に着席させ、「国歌斉唱」後は再び本来の業務に戻らせるといった命令も出されています。たとえば今年の入学弍では、撮影による記録を担当している教員には次のような動きを命じられていました。「9時20分、会場の撮影開始、9時38分、写真担当者はカメラ撮影を中断、録画担当者は固定してあるビデオを録画状態のままにし、それぞれ決められた座席へ移動、着席。10時5分、国歌斉唱が終了して着席後に、担当者は座席を離れ、撮影再開。」という塩梅です。
着席が命じられた同僚は、指定された時間に着席していないと「服務事故」で処分されかねないと、緊張感をもって会場へと移動します。そして「国歌斉唱」の際は、副校長が不在の者、不起立者が生じていないか職員座席表を手に監視します。これが都教委の求める「厳粛な式典」の、最も「厳粛な」瞬間なのです。今、10・23 通達とそれにもとづく職務命令は、「国歌を斉唱するものとする」という学習指導要領の目標を超えて、年に2回、教職員に「服務事故」への恐怖を背景に服従させるシステムへと転換してしまっているのです。
このような通達と職務命令に必要性・合理性があるとは到底考えられません。裁判所には原告らが提出した通達発出に至る経過に関する証拠や主張を再度吟味していただき、不十分だった事実認定を改め、「10・23 通達」が持つ本質的問題を捉えた賢明なる判断をしていただきたいと思います。
続いて代理人弁護士2人の陳述がありましたが、
内容を簡潔にまとめることは私には難しいと判断しました。
関心ある方は、別途お問い合わせください。
弁護代理人の陳述で「保護法益」が話題になりました。
「そのうちに」で取り上げています。