そのうちに 2026.5.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

・・・2021年4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分

・・・・・・・10月分 11月分 12月分

・・・2022年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分

・・・・・・・ 月分 9月分 10月分 11月分 12月分

・・・2023年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分

・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

・・・2024年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分

・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

・・・2025年1月分 2月分 3月分 4月分  5月分    6月分

・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分

・・・2026年1月分 2月分 3月分 4月分  5月分    6月分

 

目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

202⒍5.31. 平均余命

①ネットに平均余命の表が出ていたので、転載します。以前から探していたのですが、初めての出会いです。(チャットに聞けば?という方も多いでしょうが、私はこのような出会いを楽しみに生きています。)

②年齢0で、男性81.09というのが一般的な「平均寿命」。

③例えば、年齢70で、男性70+15.60=85.60が「平均寿命」です。あと15.60くらい「余命」があります。私はもうすぐ75歳ですので75+12?=87?くらいかな。80歳まで頑張れば80+8.96=88.96です。先は長い。「逃げ水」というのがありますが、その通り。人それぞれ。

④大切な注意。70歳で「平均余命」15.60年と言っても、その時、半数の人は「元気」ということ。平均ということを理解してください。

202⒍5.30. 法案審議について

①東大の名誉教授の言葉
「政府が条文を作成後、最低1年程度は議論を深めるべきだ。具体的な条文があって初めてメリット、デメリットが明らかになり、賛否が言えるようになるはずだ。」
「「国論を二分するような政策に果敢に挑戦していく」と言うが、国論を二分して(まで:永原)決めるべき問題ではない。」
お名前を表記するべきかとも思いますが、個人情報の問題もあり、私が同意した考え方としてご紹介します。

②憲法審査会もそうだが、今頃になって非常事態条項の条文を検討している。審査会としての意見が集約しても国民の声は届かない。国が責任をもって原案を作り、国民の意見を聞き、それからの「審査会」ではないのか。審査会の提案をもってすぐに国民投票というのは乱暴極まりない。国民を二分する結果にしかならない。

③以前にも書いたが、「国論を二分」する問題を、賛否のみの投票で決定してはいけない。「具体的な条文があって初めてメリット、デメリットが明らかになり、」は正論だと思う。「様々な意見」は国民全体に求めなければならない、「識者」と呼ばれる国が選んだ人たちの意見は原案をつくるところまで。国民の批判を受ける必要がある。

④むかし反対意見を言った委員に、「なんで、こんなやつを委員にしたんだ」という暴言を吐いた「識者」がいたそうだ。公聴会や審査会も国の「アリバイ作り」ではいけない。吉永さんが何かの時に、「委員会の委員は断っている。頑固だから。」と笑いながら答えていたのが印象に残っている。

⑤ついでながら、トランプさんがSNSに書いたことが世界に報道され、世の中が反応している。高市さんも真似をしているきらいがある。SNSは一方的に情報を発するだけで、質問や疑問には応えない。対話の無い世界である。民主主義社会ではあってはいけないこと。
まあ、発信する方としては、こんなに便利の良い道具は無い。

⑥江戸時代の「高札」を連想した。お上の「お達し」。オールドメディアがんばれ!!

202⒍5.29. 新旧・教育基本法比較

①「不当な支配」に関わる条文

旧・教育基本法(1947)
第十条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
現・教育基本法(2006)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない

②「政治教育」に関わる条文。特に変更はありません。
旧・教育基本法
第八条(政治教育)  良識ある公 民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
現・教育基本法
第十四条  良識ある公民として必 要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の 政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

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③旧・教育基本法では戦前の反省から、教育の主体を政治権力から独立させ、現場に委ねました。そして行政は教育環境の整備に専念することを求めました。
しかし、現・教育基本法では「法律の定めるところにより」と述べ、教育内容の権限を立法府に移行しています。

④この条文以外にも、事細かな内容が盛り込まれました。

⑤全体の比較は改正前後の教育基本法を参照してください。

202⒍5.28. てぃ先生

①体罰について「てぃ先生」の提言が賛同を集めている。私には紹介する力が無いので、関心ある方は直接、検索してみてください。ここでは、教育に携わった者のひとりとして、個人的な意見を、ご参考までに。

②教師の中で指導力があるとされる中に、思い通りのクラス経営が成り立つことを評価している場合がある。教師の「思い通り」の裏には「異なる思い」の生徒が必ずいるし、他のアイデアを持っている生徒もいる。担任教師の言うとおりにしていれば内申点はよくなると、打算的な生徒もいる。

③初任の教師の中には、思い通りにできなくて自信を失う場合もある。私の場合は、周囲の教師集団が全力でバックアップしてくれたことが、無事に初年度を切り抜けることが出来たことだと思う。生徒たちも、のびのびと生活できたのではないかと勝手に思っているが、手助けの必要だった生徒を援けることが出来なかった例があるとすれば謝るしかない。また、ひとり一人の伸ばせる力を伸ばせなかった可能性もあると思う。

④功罪共に教師の責任の大きさを感じる昨今である。遅すぎますよね!!。でも、それが社会というものだと、最近感じている。自身の生涯を振り返っても、「ああすればよかった」「こうしたばかりに・・・」という想いがあるが、それも人生。

⑤さて、本題に。最近の政治家を見ていると、「想いを遂げる」という言葉を聞く。金に飽かして票集めをやって、成功したら権力を使ってやりたい放題の国があったり、国民が反対できないような仕組みの社会構造を作って自分の正義を唱えたり、そんな国が増えている。それを真似する国も着々と増えている。国民が「のびのびと」生活できる国は絶滅危惧国となっている。

⑥日本など、世界がうらやむほどの安全な国であったのに、たまたま多数を得た政治家が誤解して同盟国の真似をしているような気がする。
政治家がだらしなかったのが功を奏して、「お天道様が見ている」で済んでいた社会が「・・・防止法」とか「・・・破壊罪」とかを制定しなければならなくなった。

⑦昭和の終わりに、監視カメラに対する反対運動が盛んだった時期がある。過激派と呼ばれる学生運動を監視する目的だったが、現在はどうだろう。私は監視カメラの功罪を取り交ぜても、心から喜べないでいる。犯罪捜査には役立っても、結局犯罪の多い社会に「なってしまった感」がぬぐえない。どうも、人間社会は後退していると思う。防衛力を高める議論も、その必要性が高まった結果のように思える。後追い政治はもうやめよう。

202⒍5.28. 旧・教育基本法(1947)

10 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

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②戦後の教育裁判で取り上げられたのが「不当な支配」という文言であった。裁判で取り上げられたのは権力による支配だった。教育内容が政治権力によって統制された戦前の反省から生まれた言葉であった。教育に携わる人間は「国民に対し直接に責任を持つ」のであって、時の政権・権力に対しての独立性を持たねばならないということ。行政は教育環境の整備を本務とし、教育内容について教育現場に介入してはいけないというのが、戦後の最高裁判例であった。

②今回の辺野古の事件に対しても、安全管理や保護者との連絡などに不手際があったことは十分推測されるが、平和教育という観点から、一方的な政治思想を植え付けようとしたと「断定」したことは逆に権力が「あるべき教育」を押し付けたことにほかならない。

③学校側はその権力の介入に対して提訴することもできるが・・・できないと思う。

④さて次回は、2006年に第一次安倍内閣が制定した、新・教育基本法についてお伝えする。

⑤現在、憲法改訂が自民党の「党是」もしくは「悲願」とまで言われているが、この新旧の教育基本法の改訂を見れば、自民党がどのような意図で憲法を改訂しようとしているか、明らかになると思う。
なお、自民党は憲法改訂の試案を発表している。一部OPINIONに紹介してあります。

202⒍5.27. 意見交換

①自民党の法務部会?で再審制法案の議論が熱気を帯びている。誤解かもしれないが、自民党の中でこのような議論がなされるのを「初めて見た」ような気がする。内部では議論がなされていたのだろうが、外部に出すときは一本化して採決は「議員拘束」がなされ、野党の意見を「数で抑える」状況であったと思う。

②選挙が近づくと、支持者たちの集会への参加を誘われることもある。私は「私の意見を述べる機会はあるのか?」「意見が生かされる環境なのか?」と問いかけると、まず、二度と勧誘されることは無い。私も勧誘を撃退して喜んでいるわけではないので、「またか」と思って忘れることにしている。

③以前は、酒の席で政治の話が盛り上がることは常であった。最近は、全くない。たまに理解し合える友人と議論が盛り上がっていると周囲では「喧嘩」が始まったとばかり、沈黙が広がる。ひと段落して世間話に移行すると「安堵の雰囲気」が広がって、店の人も話に参加してくる。

④辺野古の事故の報道を聞いていると双方の発言を伝えるだけで、問題点を掘り下げる扱いは少ない。さらに掘り下げた意見に持論を述べるべきコメンテーターの発言は、打ち合わせで封じられている?そんな気がする。

⑤「話し合い」というのはお互いに思うところを出し合って、違いを明確にするところから始まる。自民党も共産党も、傍で見ている限りだが政党の主張に反することを発言すると、つまはじきにされかねない、党内での出世街道から外される、選挙での推薦が得られない、そんな目で遠くから観察している。

⑥民主主義国家で生活しているのに、なんと情けな状況かと思う。再審制の問題をナナメから見ると、次の選挙で大敗が予想されるという「危機感」が法務部会を活性化させているのではないかとおもう。「猿は木から落ちても・・・」という言葉を思い出すが、早めに気づいただけ「猿よりマシ」と言っては猿たちに怒られそうだ。どうも「党議拘束」が意見を封じているような気がする。

⑦国民としては、こんなコーナーでぼやくのが精いっぱい。

追記 : 現在の教育基本法は第一次安倍内閣が強行した改定案。1947年のものではない。このことを報じたマスコミは現在ナシ。(知らないだけ、では済まない)

202⒍5.24. データセンター②

①AIが5秒間の動画作成に必要な電気量は、電子レンジ60分の電気量と同じだという。番組では電力の消費増からデータセンター周辺の気温の変化、冷却水の問題、めぐり巡ってCO2の増加・温暖化と展開した。

②私の心配は、AIの利用が増えると処理すべき情報は雪だるま式に増えること、おそらく指数関数的増加を凌ぐスピードで増えるのではないか。それに比例して電力消費が増える。つまり、電力消費の増え方は今まで人類が経験したことのないスピードで増える。

③その時世界的にはその増加について行ける国とそうでない国に分かれ、AIを使用できる国が支配権を握る世界ができる。日本は、ついて行けない。国土が狭く、エネルギーを自足できないから。原子力発電所を作ろうにも土地がない。

④その後の世界を想像すると、文化の崩壊のような気がする。少数の国が情報を握り、操作するとしたら、今の原油どころではない問題が生じるのではないか。私も喜寿を迎える年齢になったが、この変化のスピードでは安穏と生きていることは出来そうもない。

202⒍5.24. 辺野古事故②

①学校行事を企画するには、目的・方法・結果を明確にすることが求められるであろう。今回の事案については、目的が「平和教育」であったことは確かであり、米軍基地が集中している沖縄が選ばれたことも自然な結果だと思う。日本の軍事的安全保障を考える機会を提供することは17歳という成人直前の高校生には必要なテーマだと思う。

②高校生を含む二人の命が失われたという「結果」については徹底的な検証がなされ、今後の「方法」に役立てられなければならない。縮小するもしくは実施しないという方向性は避けるべきで、有意義な方法を模索する必要がある。

③問題として提起したいことは、文科省が「教育基本法違反」を持ち出したことである。その理由の一部を報道で聞いていると、「結果」・「方法」についての言及が多く「目的」への指摘が少ないことが気になる。取り上げた条文は「政党に対する偏った指導」を定めた条文であり、その目的のための指導がなされていたかどうかに争点がある。

④もしも、違法性が認められるならば裁判所に提訴して判断を仰ぐべきで、記者会見で一方的に違反を断定すべきものではない。この会見の方がよほど教育基本法に違反していると考えます。さらに京都知事までもが違反を前提として補助金の減額を発言するなどしている。「特定の政党」の考えを背景に補助金の減額をちらつかせるなどもってのほかである。

⑤さらに言えば、この教育基本法は1947年に作られたものではなく、第一次安倍内閣の時に自民党が押し通した改訂・教育基本法であり、両者を比較すれば政権与党の「使い勝手の良い」条文になっている。旧教育基本法は、施行された憲法に教育に関わる条文が少ないことを補うために作られた、憲法に準じるものであった。政治の教育への介入を厳しく禁じる内容であった。

202⒍5.22. 辺野古事故

①案の定、文科省は「教育基本法違反」を持ち出した。教育の中立性を理由に、辺野古の修学旅行は特定政党に反対する教育活動であると宣言した。

②確かに手続き上の問題は多い。免許の問題もある。注意報が出ていた事実もある。引率教員が乗船していなかったことも重要。しかし、これらの理由が教育基本法の教育の中立性に反していると言えるのであろうか。政府に都合の悪いことをしたら、法律違反??なのか。

③議論が伯仲している場合は、双方の立場に立って物事を考えることが大切。中立ということはどちらの意見も取り上げないということではない。双方の意見を聞いて、自己の意見を育むことが教育の神髄ではないのか。現場を知ることは、自己の意見をまとめるためにはもっとも大切なことだと思う。

④今回の事件は二人の命が失われた。その原因は徹底的に究明され、二度と起こらないようにする施策が求められている。しかし、ひとりは沖縄の軍事力拡大に疑問を持つ人であり、高校生はその状況を自身の眼で確かめようとした若者である。平和な日本を求める人と成人になる前に自身の知見を広めようとした17歳である。考え方や方法に相違があっても、国の安全保障の在り方を行動で確かめようとしている真摯な二人であったと思う。

⑤学校現場で、国旗に敬礼し国歌を唄えと命令し、従わない教師は首にするといったことがまかり通る日本にしてはいけない。それこそ教育基本法違反である。
国民に愛国者と売国奴というレッテルを貼るようなことをしてはならない。

追記 : 教育基本法は1947年に制定されたが、2006年に安倍内閣により改訂され、内容は大幅に後退した。「不当な支配」という文言も当時の公明党の主張でかろうじて残されたが、骨抜き状態となった。

202⒍5.22. 英語力

①ネットで見ていたら、小学校で英語の授業を導入したことの弊害、または、中学以降の英語教育への接続障害が話題となっていた。教師として海外帰国生に対応していた経験から、感想をまとめてみたい。

②未就学児で海外体験をした帰国生は外国語に対するアレルギーのような感覚は少ないように思う。むしろ、デメリットの方が多くみられる。昔と違って外国語に接する機会が豊富な現代はあまり変わらないように思える。

③小学生年齢(6~12歳)で海外で過ごした生徒が帰国後一番てこずるのが、家庭科・保健体育の科目。意外と思われるかもしれないが、家庭内で生活に関わる言葉を意識して使っていないと子供同士では使うことの少ないボキャブラリーが蓄積されない。逆に、日本で育った大人が海外で戸惑うのもこれらの言葉ではないかと推測する。

④中学生くらいの年齢で海外生活を送ると、自我が芽生えて社会にも関心を持ち始める年齢でもあるから、環境によっては完全なバイリンガルとなる可能性がある。ただし、本人の苦労は想像以上のものがあるのだろう。

⑤それ以降は自我・日本文化の定着が完成しているから、感性を外国語で表現する努力を意識して行えばそれなりに表現力がついていくと思う。そのための組織的な英語教育が日本には欠けていたように思われる。
文法から入る語学力は、明治の頃は必要だったかもしれないが現代ではAIを用いて効率化するべきだと思う。なにより大学入試をターゲットとする「教科英語」は全面的に改革すべきだと思う。

⑥ネットで指摘されていた中に、母国語(日本語力)がまず第一に育てられなければならないことがあった。第一言語が確立されてこその第二言語なのである。文法や古典・漢文は選択制にして表現力中心の日本語を鍛えなければならない。そこでSNSの弊害が問題となる。後日。

202⒍5.21. 枕落ち

①落語には最後に「オチ」がある。「枕」で観客の関心を誘い、主題に引き込むのとは逆に、話の最後に「思いもよらぬ一言」で爆笑させることにより、観客を現実世界に引き戻す作用がある。落語「芝浜」で、「これも、夢になるといけねえ」のひとことは「警句」として人々の記憶に残る言葉になった。

②しかし、なかには爆笑を誘わないで「怪訝な気持ちで終わるもの」もある。「どこにオチがあったのだろう」と首をかしげながら席を立ち、出口で下足番から履物を出されたとき、「ハッ」と気づいてニヤリとするのが「下足オチ」。夜、布団に入って「そうだったのか」と気づくのが「枕オチ」。

③具体的な例を示せないのが、私の力量不足なのだがチャップリンの短編映画に似たような例があった。「洪水」と題する短編で、洪水で屋根の上に逃れた主人公の前に、助けを求める美女が流されてくる。命綱をつけたチャップリンは勇敢にも濁流に飛び込み、救出する。

④次々に女性の母が、父が流されてきて救出される。両親が感謝の涙とともに「娘と結婚してくれ」というセリフと同時にチャップリンはすっくと立ちあがり、再び濁流の中へ飛び込む。さて、今度は誰が流されてきたのか。そこで「ジ・エンド」。会場は静まり返ったままで、笑ったのは私ひとり。まさに「枕オチ」。解答は「そのうちに・・・」。

⑤最近のテレビを見ていると、わきの下をくすぐられるような「笑い」に満ちている。わたくしには、無理やり笑わせられているような気持になり、チャンネルを回して(切り替えて)しまう。はじまりはドリフターズの時代に遡ると思うが、落語好きな私にとっては徐々に「笑い」が減少してきている。年寄りには、よくない現象と反省している。

⑥「映える」という言葉の羽振りがよい。つかの間の感情の高まりを追いながら生活しているように思えてならない。ときどき、「腰を据えて」ものごとに取り組んでいる若者を見て、明るい未来を感じる。女性の落語家が高座に上ったり、アニメから映画化されたり、楽しみにしている。

202⒍5.17. 合区解消

①憲法改正と合区解消。どういう関連か想像がつかないので、私の想い違いであったら、ごめんなさい。

②国会議員の選挙で一票の重みが話題になる。国政選挙をするたびに、特に参議院選挙のあとでは違憲判決が出て、国会では選挙区の合区・分割が話題になる。さすがの最高裁も選挙のやり直しを命ずるところまでは踏み込めないでいる。

③特に参議院だが、1都道府県に1名の枠を基本として、人口の多い自治体は細分して一票の重みを調整している。調整しきれなくなってきているから、例えば島根と鳥取を「合区」して乗り切ろうとしている。参議院は3年ごとに半数が改選されるから、議員数はその2倍になる。

④どこかが間違っているのだが、誰も発言しない。議員が地方の利益代表で、自分たちの意見を代弁する役割を果たしているのだから、1地域1代表は死守しなければならない。議員も「地元」の代表として地盤を形成しているから選挙区の改変は命取り。

⑤原点に戻って、国会議員は「国の政策」を任務としているのであるから、自治体の仕事は知事に任せて(地方自治)国会運営に専念すべきだと思う。選挙区を全国区とすれば、「地元の権益」から離れることが出来る。そのような発想は現在の国政からは望むべきも無い。

⑥衆議院も選挙区の広さが選挙活動に費用がかかるという理由で、中選挙区から小選挙区に移行して現在に至っている。そのため、選挙区の縮小が進まず、議員数も増える一方となる。

⑦話を戻して、憲法の改正に選挙制度の固定化を盛り込むのは、これらの権益を守る行動とも思われる。ここで問題なのは、議員数の適正化という「分かり易い」理由で憲法改正の機運を高め、一緒に戦争放棄や天皇制を通そうとする姿勢である。

⑧以上、私の想い違いであることを願うのみ。

202⒍5.16. 皇室典範

①皇室の存続でもめているようだが・・・。

②女性皇族の維持 : 配偶者や子供たちを皇室に入れなければ、現在の方たちで跡継ぎはいなくなる。また女性皇族の配偶者を希望する人がいるとは思えない。
(自分も、子供たちも基本的人権を失い、将来が見通せない)

③旧皇族の養子縁組 : 先日のニュースでは11人くらい該当者がいるそうだが、了承する人がいるとは思えないし、「誰でもいい」というわけでもなく、数人の候補者に天皇家の存続を押し付けることになる。

④それ以外にはなんの方策も検討されていないようだ。こんな無責任な審査会?、とりあえず報告して終了。次回は「手遅れ」。

202⒍5.16. データセンター

①ニュースを見ていたら、東京都内のデータセンターの数が111か所とか。新しい建設予定地の反対運動がテーマだった。以前にこの欄で取り上げたことがあるが、視点が表面的であるので、ひとこと。

②データセンターの問題点の第一が近隣住民の環境問題。データの反応速度を早くするには都市部に建設することが望ましいが騒音や廃熱・景観が問題視される。第二が電力消費が大きいこと。変電所ならともかく発電所となると、電気代の高騰が予想される。マスコミが取り上げているのはここまで。

③本質的に問題なのは、取り扱うデータの範囲。広ければ広いほど役に立つ情報が得られるのは当たり前の結果。人間関係でも、個人なら大したことは無いが、二人の関係となると難しい。これが、三人・四人のグループになるとその調整はだんだん困難になる。国会など見ていると・・・。データも、視野が広ければ広いほど正確・適切な答えを返すことが出来る。

④このように多くのデータをまとめようとすると必然的にコンピュータの稼働時間が増加する。その増え方が、「指数関数的」であることに問題がある。発電という視点から見ても、アメリカなどではコンピュータ会社が自前の原子力発電所を建設している。それほど電力の必要量が求められるということ。これが可能な国は?日本は?ということになると、国際競争に勝てるかどうか、絶望的である。

⑤むかし、人口増加が問題となっていたころは食料生産が追い付かないという警鐘があったが、今の時代は情報の必要性に電力が追い付かないというところに問題があり、一部の国だけの専売にもなりかねない。
(ちなみに、最近の研究では地球上の人口の適正数は23億人だとか。)

⑥食料の安全保障が問題となっているが、人口が減れば済むこと。(悲惨な事態を避けたいが)しかし、情報の安全保障は情報そのものの減少が望めない以上、解決策を思いつかない。AIを使わない社会を目指せばそれも可能かもしれないが・・・。

⑦私の予想で、今夏にも「計画停電」が必要?。それが来年に延びても、「眼前の問題」であることには違いない。日本が国家として発電計画を準備する必要があるが・・・。

202⒍5.13. 余計なことですが

①ナフサに限らず、石油の国内消費は十分に確保されている。国会答弁はそのように言われている。この言い方はどこかで聞いたような気がする。そう、米不足で米価が高騰した時、同じような答弁で、「目詰まり」が原因とされた。

②では、米の目詰まりはあったのかといえばそうでもない。緊急放出した備蓄米は今なお捌けていないという。新米の時期になって、昨年度米の値下げが起こっている。原因究明がなされたというニュースはない。

③前回のオイルショックの時、総合商社の中には「千載一遇のチャンス」と号令をかけて利潤を追求しようとした姿勢がバレて顰蹙をかったことがあった。今回は無いことを期待している。しかし、物資の入荷が先細りすることが目に見えている時、経営を持続するためには在庫の減少を抑え、価格を上げて社員の給料を確保するのは、経営者としては当然の行動。

④高市さんは、「総量は足りている」と言って「やることをやってる」姿勢の言ってん張り。アゼルバイジャンからタンカーが入港したと言っても、日本での消費用の一日分にも程遠い。ましてその価格については触れようともしない。今後の争奪戦で値上がりすることは「必至」。

⑤このどさくさに紛れて、憲法改正や再審請求・皇室典範など国の方向性を左右する法案を加速させている。日本国がどこへ向かっているのか、冷静な姿勢が求められる。

202⒍5.9. 愛子天皇

⓪まず私の立ち位置を述べておきます。

①宮家の人たちの基本的人権が守られることを望んでいます。現実にはそうもいかないので、象徴天皇をお願いしている気持ちです。憲法に定める自由権が保障されない家族なのです。

②男系男子 : 「遺伝」の知識が乏しかった時代には、体形や性格が引き継がれていることから男系男子の伝統が生れたことは自然なことと理解します。女性天皇を認めた場合、遺伝子的には大きな変化が起こることは確かです。しかし、例えば明治天皇の遺伝子が現天皇にどの程度引き継がれているかを考えると、大差ないと思います。たとえ遺伝子が引き継がれたとしても、人間の性格や行動は受け継がれるものではありません。

③象徴天皇 : 過去の天皇と較べて現在の天皇制では「国民の親愛」とでもいうべき感情に支えられている面が大きいと思います。戦後の、昭和天皇をはじめとする天皇家の方々が「国民に寄り添う」という言葉で表現してきた努力の結果と思います。天皇制の存続は国民の支持失くして成り立たないものです。

④男系皇族 : 男系皇族の養子縁組を検討するとのことですが、「あて」はあるのでしょうか。基本的人権が認められないような人生を自ら希望する人がいるとは思えません。以前、高齢の男系皇族の方にインタビューする番組がありましたが、この問題を問われたときのその方の表情が物語っていました。一般人として成人した男性に養子縁組の話を持ち掛けることこそナンセンスです。皇族としてのふるまいを身につけることから始めなくてはなりません。職業も友人関係も失うでしょう。

⑤GHQが戦後の天皇制をどうするかを検討し、憲法を作ったときの「象徴天皇」の発想は最善の方法だったと思っています。それから80年、そろそろ日本国民の総意で天皇家の在り方を考えるべきだと思います。自民党の憲法草案には「元首」という表現がありますが、男系男子にこだわって何を求めているのでしょうか。

⑥「基本的人権」「自由権」の大切さを考えることが、私たち自身の将来を考える上でも大切なことではないでしょうか。

追記 : 議員さんたちがそれぞれ勝手な?意見を言って、まとまらずに先送りが続いた案件。冷静に見れば、当事者の意見はそっちのけ。否、発言を禁じられている環境。女性皇族は結婚すれば一般国民になれるが、それも閉ざされるかもしれない。
せめて、当事者の気持ちになって発言して欲しい。(2026.5.13)

202⒍5.5. 環境権

①憲法改正を「党是」と言いながら9条改変を目指す自民党は国民の賛同を得られない可能性を見越して「非常事態条項」や「一票の格差」を前面に押し出して憲法改正の発議を可決しようとしている。「必要そうな」条項を掲げて、どさくさに紛れて「平和憲法」を打ち消そうとしているように思えて仕方ない。

②与党だった公明党は「平和憲法」を維持しながらも、改憲に当たっては「環境権」を加えることを主張していたと記憶している。私自身「環境権」こそ必要な条項と思うし、国の方向性を指し示す憲法の理念に叶うものと思う。

③現在の憲法は、「生存権」を取り上げたことで評価されている。

第二五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

④以前、このHPのOPINIONでこの問題を取り上げました。

「環境権」は憲法に取り上げるくらい、大切な権利と考えます。しかし、その理念はどこに置くべきか、わかりません。本気で環境権を憲法に記載するとなると、たとえば、原子力発電などは「違憲」になりませんか。日本中に張り巡らされた交通網も「環境」という視点では問題がありそうです。

憲法は、個々の場面を想定して起草するべきものではなく、総括的な理念を述べるものですから「生存権」の第25条に倣ってみても良いのかと思います。むしろ「健康で文化的な最低限度の生活」の中に環境汚染の問題を含めても良いのかと思います。そうすれば、憲法改正の必要もなくなります。

202⒍5.1. 教えてくれなかった 

①私が英語が苦手な理由を弁解するわけではないのですが・・・。最近気づいたことを紹介します。

②まず、中国語では一つの漢字に発音はひとつだけ?本当でしょうか。「TRUMP」を表記する時音の似た漢字を充てるのだが、当初は何十種もあったそうで、現在は淘汰されて徐々に減ってきているそうです。漢字が異なっていても発音は同じだから誤解を招くことは無いそうです。一方、日本では「トランプ」とカタカナ表記するため、表記は統一され誤解は生じません。

③さて、英語を学ぶとき「発音記号」を読んで正確に発音できれば良いのですが・・・。ここで注意するのは英語のアルファベットは表音文字ではないこと。スペルを見て正確に発声することは不可能。だとすると「会話」を学ぶには正しい発音を繰り返し聞いて・発声する訓練が必要。
私の人生で、英語圏の人に接した経験は16歳で1回、次は35歳でときどき。繰り返し発声を教えてもらった経験は、皆無。これでは無理ですよね。

④ウォークマンが売り出されたころから、原語に接する機会は爆発的に増えたが、耳から英語が入る機会は意識しないと少ない。カタカナという強力な道具があるため、原語の発音はさらに入りにくくなっている。

⑤日本語の漢字には、音読み・訓読み・その他があり外国人を悩ませているようだ。せめて、英語を習うときスペルと発音は全くといっていいほど異なると注意を受けていればと・・・いまさらながらに思う。英語を教える教師の方も、スペルの間違いは指摘しやすいので、そういう試験が中心となる。思えば、スペルの違いなど本質にかかわっていないのではないかと思う。

⑥日本語はもともと文字を持たない言語だったという。漢字が入ってきたとき、漢字の意味=日本語、漢字の音=ひらがな、漢字の部首=カタカナ、日本語=漢字の熟語などなど、世界に類を見ない「表音・表意文字」の世界を築き上げた。

追記 : 「表音文字」はハングルもそうだが、作られた経緯が異なる。そのうちに。
外国人が一番困るのは、いっぱい・にはい・さんばい・よんはいの変化だという。そのうち起源を知りたいと思う。

追記2 : この項を書くとき「トランプ」のスペル「TRUMP」を確認するのに手間取りました。「TORANPU」ではないのですが。日本人が漢字表記の姓名を「なんとなく」読めるような感じ?
中国人に名前のローマ字表記を聞いたら、説明するのが面倒だと言われました。日本では「北京・ペキン」が一般ですが。ローマ字表記では「Beijing」となる理由?。

202⒍5.1. 理系と文系 

①高校生の頃、進路相談での担任との会話。担任は世界史の教師。受験志望の信州大は数学・理科の配点が各300点、社会は150点。苦手科目を勘案した苦肉の選択。英語や社会の学習には膨大な時間が必要。健康を理由に言い訳をしたくない年頃。そこで・・・。

②数学なら、論理の展開で議論できる。歴史の話題は圧倒的に知識の差が話の主導権を握る。しかし、その知識も真偽の補償は無い。授業で疑問を持っても、誰も答えられない。教科書を事実として知識として受け入れるしかない。そんな会話であったと思う。

③大学生活で西洋史専攻の友人との会話で、歴史的事実の「隙間」を埋めるのは「推理」であって「想像」ではないという。同じ頃読んでいた、塩野七海の「海の都の物語」で彼女は歴史小説の創作態度に言及している。歴史研究者ではなく文学者としての発言。
ちなみに、彼女の歴史小説には、膨大な参照文献がリストアップされている。

④私の習った日本史も、半世紀の間の歴史研究で大きく変わっている。教科書検定では、先の戦争で日本軍は「中国大陸へ侵略・侵攻?した」が話題になる。憲法をどのように教えるかは現場の教師の裁量に任されているが、個人的な主張は避けなければならない。

⑤話を戻すと、「文系」と呼ばれる科目では知識の集積と想像力が求められる。注意しなければならないのは知識が絶対ではないこと。事実から真実を導くことが常に求められること。逆に「理系」科目は真理であることが求められ、「答えはひとつ」と理解されている。これもアインシュタイン以降新しい学説が次々と発表されている。

⑥現代社会を見ていると、声の大きい人たちが「真実」を押し付けているように思える。彼らが覆い隠そうとしていることを理解して、「どちらに与するか」油断できない時代になってきた。そこにAIが参入して混沌たる世の中になっている。

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