写真集・原稿⑩

90(L)

梓川コース(808-5)
雪が、降って積もって融ける、ただそれだけ

91(R)

大正池の朝(680-9)
ドラマチックな朝、でも繰り返される日常

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上高地への誘い

厳冬期 「上高地がもっともきれいな時期は」と問われて、躊躇なく「冬です」と答えています。静寂のなかで、自身の存在そのものが大気に溶け込んでいくような「絶対的な」環境に触れる魅力があります。生存を脅かすような環境でもあり、春に向けてのいのちの原点が育まれるところでもあります。
釜トンネルを抜け、太兵衛平から穂高を望むとき、上高地の古称「神降地」を思い起こします。人間の「開発」という営みと自然が、かろうじて共存している、接点を感じさせます。

春 雪国では「今日から春」という1日があります。夢も希望もすべてがかなうような朝です。退職した年の春に、上高地で迎えることが出来ました。(23)上高地の春は「雪解け」から始まります。雪の下から、背丈の低い順に芽吹きます。次々と覆いかぶさるように、太陽の日差しを求めて背丈を競い合います。(25)いのちのリレーが、わずか数週間の間に起こります。毎年繰り返される営みがあるからこそ、「春を待つ」ことが出来るのでしょう。
開山祭(4月27日)には私たち人間も、一年間の旧交を温めます。そして、「また、来年」。

夏 3000mの「涼」を求めて、登山者が行き交います。木陰のさわやかな風と梓の流れが暑さを和らげます。(39)これを写し撮ることが課題です。穂高の残雪が涼しさを演出してくれます。

涸沢 東に開いた涸沢カールは朝の陽が射しこんで、光に満たされます。残雪が夏の時間を刻み、お花畑が夏から秋への季節を予告します。初雪は草紅葉を誘い、厳しい冬が到来します。
山小屋のテラスに三脚を据え、ワインを傾けます。360度・24時間、幸せな時が流れます。吊り尾根の向こうは上高地。稜線の向こうは滝谷。クライマーの聖地。

秋 春に真っ白い花を咲かせた「コナシ」は、緑色だった実が夏を経て徐々に赤味を増し、葉が散るころ、真っ赤な実になります。サルたちの好物です。(64)岳沢ではナナカマドの紅葉や西穂高の草黄葉が圧巻です。岳沢小屋から見下ろす梓川も霞沢岳とともに新鮮な景色です。遠くに御岳の噴煙を眺めた記憶があります。
落葉松の黄葉に霧氷がつくころ、上高地は閉山(11/15)します。
この時期、霧氷が朝陽に溶かされ、その水玉が七色に輝きます。ほんの数分間のドラマです。(75)「霧氷が溶ける」という微妙な気温が鍵の現象です。写真に撮るには最悪の撮影条件です。

 10月に入ると山は薄化粧の時期です。学生時代、11月の最初の休日が最終バスでした。徳本峠に登り、島々谷を下ったことを思い出します。一面の雪景色で、いろいろな意味で「無謀登山」でした。もちろん、人に会うことはありません。
ケショウヤナギの新芽が臙脂色に芽吹くのもこの時期です。一冬の間に徐々に赤くなり、春には朱色に染まり(09)、春を迎えると、あっという間に新緑に変化します。(21)冬から春の上高地のドラマです。

田淵行男 高校時代、田淵行男の写真集を見て育ちました。山岳の険しい風景より、山麓の田園風景に魅力を感じました。見る者に伝えたい「気持ち」がすなおに伝わってくる、そのような写真集だったように思います。博物学の研究者という出自が、自然の営みを写し撮ったとも思えます。
明神あたりですれ違って、ザックのマークで気づいたことが、嬉しい記憶になって残っています。

奥付

徳澤への道(997-5)
暑い登山道に沿って梓の流れが

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略 歴

1951年、瀬戸内海の漁村田の口に生まれる。
幼少より身近にカメラのある環境で育つ。現在、東京都練馬区在住。
信州大学に在学中、山での生活に親しみ上高地の自然と出会う。45歳を過ぎて初めて一眼レフを購入、上高地をテーマに写真表現に取り組む。
数学教師として都立高校に35年間勤務。2012年定年退職。
ホームページを開設して作品の発表を行うとともに、2005年から上高地アルペンホテルで「上高地」をテーマに写真展を開催。(11回)

HPアドレス nagahara123.com

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裏表紙

カールの夜明け(664-8)
地平を伝ってきた朝の陽が涸沢を照らす

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