安曇村の林業

林業・切り出し
古くから島々谷は上高地で伐採作業をする杣が利用した道だった
明治19年に島々谷で国による樽木と薪材の生産が始まり
明治23年から33年にかけて、山林局が牛馬道を改修
明治35年、大野田貯木場が造成された


樽木のトヨ出し(明治43年・大白川の五六沢)
木挽したトヨ(樋)に水を流し、木材を落とす方法


シュラ(修羅)による出材
(明治末期・水殿川オリノボリ付近)
伐採した丸太を縦に並べて溝状のレールを作り
その上を木材をとばした。この方法を「シュラ」と呼んだ。


キンマ(木馬)道・明治33年・島々谷奥樽沢)
栗や楢などの堅い木の板を枕木のように横に並べ
木製のソリに材木を積み、滑らせて搬送


岩魚留~二俣・大野田(島々)のトロッコ軌道


軌道による炭の搬出(昭和19年頃・島々谷)


大野田の土場(大正時代)

酒石酸の製造

酒石酸はワインの製造過程で得られる化学物質です
戦時中にはレーダー?などの製造につかわれたそうです
安曇村では山ぶどうを原料に製造されたそうです


酒石酸の製造(番所)
山葡萄の芽を代用していた

 

 


酒石酸をどのように軍事利用したのか
詳細が分かりません
どなたか、教えていただけませんか

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