1918年10月19日西ウクライナ人民共和国が独立を宣言
11月1日 蜂起軍がルブフを占領
ポーランド・ウクライナ戦争が勃発
チェコスロバキア・ルーマニア・ソヴィエトとの領土争いとなり
1919年7月16日ポーランドが事実上併合
東部国境線の画定は1923年3月15日パリ講和条約で決定
(この間のせめぎ合いはポーランド郵趣28号435頁に詳しい)
西ウクライナの大体の位置関係 南部⑪の地域
西ウクライナ地域は
当初オーストリアが分割統治し
その後 オーストリア・第1次大戦・ポーランドを経て
第2次大戦後はソ連邦に所属
ポーランド郵趣28号436頁より引用
主な地名のリストも掲載
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以下の分類に自信がありません 調査中
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現在もポーランド領にある局
JAROSLAW | BELZ | TARNOPOL 1884.3.10 |
JAROSLAU 1920 |
KOLOMYJA 1920.3.19 |
第2次大戦後ソヴィエト連邦に併合された局
BRODY 1882.7.19 |
MIKULINCE |
以下の局も確認しています
BORSZCZOW | BRZEZANY | BUCZACZ | GRODEK |
HORODENKA | JAWOROW | KALUSZ | KAMIONKA |
LUTOWISKA | NADWORNA | PRZEMY SLANY | ROHATYN |
RUDKI | SAMBOR | SKALAT | SOKAL |
STANISLAU | WINNIKI | ZALESZCZYKI | ZBARAZ |
大戦間のポーランド時代
MIKULINCE 1920.5.25. |
GRODEK- 1920.4.5. |
BOHORODCZANY 1920.1.12. |
ZABLOTOW 1920.2.18. |
MONASTERZYSKA 1920.1.26. |
MOSTY 1920.1.3. |
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