そのうちに 2025.11.~

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2025.11.6. クマ騒動

①流行語大賞にもノミネートされる事態になりましたが、私なりに感想をまとめておきます。

②まず、「ヒグマ(樋熊)」と「ツキノワグマ(月の輪熊)」が混同されていて、マスコミでも写真などが入違っているのを見かけます。
ヒグマは北海道にのみ生息し、気性は獰猛で、たびたび牛が襲われる事件が起こっていました。登山に行っても、それなりに警戒していました。しかし、ツキノワグマは本来草食性でめったに動物を襲うことはなかったと思います。登山者の視点からいえば、人間に気づくと隠れ・逃げ出すのが一般的で、「出会いがしら」でなければ人を襲うことは無かったと思います。
「クマと出会う方法」という本が出版されているくらいです。

③今年も、山の中での事故は平年通りくらいで、街中での遭遇が問題になっています。そのことを前提にしないと「怖い存在」「人を襲う」逆に「かわいそう」「小熊なのに」という感情的な意見が中心になってしまい「自然との共存」「事故防止」の話に発展しません。

④街中に現れるクマについて、
(A)山でクマの数が増えた。木の実が不作。里山が減って棲み分けができなくなった。
(B)猟師(ハンター)がいなくなった。
(C)人間を怖がらなくなった。
などと言われています。
クマは広い縄張りが必要なため、数が増えると弱いクマは追い出された結果、人里に出てくると言われています。子連れのクマが多いのもそのせいだと言われています。

⑤本来、人を見ると逃げる習性のあるクマが、なぜ人を襲うようになったのか。私の感想では人里に出たとたんにパニックを起こしているのではないかと思います。隠れる所(藪)が少なく、狭いところに隠れたいという習性から家に侵入し、人と出会ってパニックになっている。そうでなければ、人を「後ろから襲う」ということはあり得ないことと思います。

⑥一方、街中で食べ物の味を覚えた個体は必ず再来するので「駆除」しかないと思います。かわいそうですが山に放しても、また来ます。
ただ、山中に山菜やキノコを目的で入って遭遇するのは、「同じ食べ物の奪い合い」ですから、危険を承知で、対等な立場で考えるべきだと思います。松茸など秘密の場所にひとりで出かけるのは覚悟がいると思います。登山者も同じ。
クマとの縄張り争いですから。クマに「非」はありません。

2025.11.4. 錬金術

①最近、友人が「核融合?」の新しい技術の開発についての質問をしてきた。彼は文科系と自称していて理系の私に意見を求めたようだ。

②話を聞くと、「荒唐無稽」を絵にかいたような話で、出どころはYouTubeのようだ。原子核の分解・融合の話で、手法を聞くとあまりにも中世的な錬金術的なもので、不可能である理由を私なりに説明して、その場は、終わった。

③以前、「コロナワクチン」の危険性について二人の友人から「親切な」お知らせを戴いたことがあった。私もヒマだったから、その根拠となる「論文」にも目を通してみたが、「よく読むと」いずれも想像・推定の内容で仮設ですらない。論文を掲載している文献もアヤシイかぎりで、発表者の肩書も聞いたことのない団体。

④こんなことを書くと「権威主義」だという批判があるが、権威を打ち砕くだけの説得力のある説明がない。最近は、権威のある文献でも、論文の「数」を稼ぐため(とりあえず・検証もなく)書いた論文が蔓延していると聞く。核融合のような研究は世界中が注目していて、わずかでも可能性があれば瞬く間に話題になるはず。それだけでも「荒唐無稽」と言われても仕方ない。
(訂正論文が出ても、先の論文しか見なければ・・・)

⑤無下に否定しても角が立つが、ある段階で明確に否定しないと・・・。「常識」の範囲内で話しているのだが・・・。政治問題になると人間関係にも差しさわりが生ずる。
「自分の意見」を持つことの難しさに遭遇する今日この頃である。

2025.11.1. サグラダファミリア

①女優の芦田愛菜さんがサグラダファミリアを訪れて、キリストの塔の内装を任されている外尾悦郎さんにインタビューする番組を見ていた。ガウディがどのようなものを建てようとしていたのかという話題になったときの外尾さんの答えを紹介したい。

②ガウディが亡くなった今となっては、彼が何を考え、何を表現しようとしていたかを想像してもそれは想像にしか過ぎない。そのようなものを作ってもガウディの意図したものを作ったとは言えない。というような話の流れだったと思う。

③ガウディが見ていた目線と同じ目線で遠くを見ることが出来れば、ガウディが表現しようとしていた物に近づくのではないか。その目線の先にあるものは何か。そのことについて後半、話が展開していった。神と信仰、人間の弱さについてのように思うが私には荷が重い。

④芦田愛菜さんが出演している「博士ちゃん」の番組に登場する子供たちに一言とお願いしたところ、外尾さんは「興味を持って一途に進んでいる方向性・気持ちを大切にして欲しい」と答えた。ガウディが見ていたであろう「完成」の形はたどり着けるものでもなく「永遠に未完成なもの」と言われている由縁だが、それに向かっていく「勇気と善悪」を大切にして欲しいという。未知に向かう勇気とそれを支える判断?かな。

⑤私なりの想いと、インタビューの内容が混ざり合って、眠れない夜にこの文章を書いているのでお二人の会話に割り込んで勝手なことを言っているような気もするが、大枠は外していないと思う。

⑥写真という媒体を通して、自分の内面を表現するという大それた方向性は決して到達することのできないものだが、少しでも近づこうとする努力が絶えることがないようにしたい。それが「残り半分」で述べた「進路から針路」への脱却だと思う。

⑦大風呂敷を広げて、今夜は安心して眠れそうかな?

2025.10.30. SNS

①「人は信じたいものを信じる」。TVコメンテータの何気ない言葉。なんだかすべてを言い切っている感がある。自分の意見と合うような番組は安心して見ていられるし、友人との会話もおなじ。たまに違う局を見ていると「違和感」がぬぐえない。飲みながらの雑談でも思わず身構えてしまう。

②人々が、新聞やテレビをオールドメディアとして否定し、「炎上」に興奮するSNSの状況を考えると、自身が何を信じているのだろうかという疑問にたどり着く。信じたいものがあれば、それにつながる道を歩めばよい。しかし、現状をむやみに否定することからは「信念」は生まれない。それが根拠のない「情報?」となれば、どこに導かれるのであろう。

③政治家を志せば、政党に入党するのが早道。しかし、そこは同じことを「信じようとしている」、そういう人たちの集団。同じ「信じたいもの」を共有する人たちの中にいるうちに、それが自身の「信じるもの」になっていく。

④私たちも、みんなが「そう思っている」と思い込む環境に浸される。異なる意見を「再考」する余裕のない生活がある。このようななかで、自身の考えを育てていくことは、意外と難しい。その暇がないほど、世の中の流れは激しい。

⑤この文章を書いていると、身近な友人が、「あの人はこう思っている」「あの人はこう反論する」「あの人だったらこう言うだろう」と思い浮かぶ。走馬灯のように(表現が古いかな)十人十色の言葉を思い浮かべる。その中で「自分の意見」をまとめようとする行為は、「幸せ」以外の何物でもない。

⑥友人を減らさないために、そろそろ年賀状の準備をしよう。

2025.10.28. 国旗損壊罪

①参政党が「国旗損壊罪」を議員立法として提案した。諸外国には一般的にあり、日本には無いので目に余る状況がある、という理由だそうだ。
なぜ今までなかったのか。立法されたときの問題点など、経験から指摘しておきたい。

②以前、勤めていたころ、カナダ人の英語補助員が異動することとなり送別会をすることになった。幹事の一人が、カナダ国旗に寄せ書きをしてプレゼントしようと提案した。日本では戦時中、武運長久を祈るため出征の時、「日の丸」に寄せ書きをする習慣があったことを思い起こしたようだ。

③私は、カナダの習慣を知らないから、問題が無いことを確認しておかないと・・・とアドバイスした。結果、ワイシャツに寄せ書きして渡したようだ。国旗損壊は国によっては重罰の対象となる国もある。一方アメリカなど、星条旗柄のパンツまで売られているようで、デモを見ていると「これでもか」というくらい様々である。

④国旗に敬意を払うのは自国も他国も無いが、問題はどこまで取り締まるかということ。法律の扱い方によっては、「弾圧」の道具として利用されかねない。日本ではいままで法律が無かったのは、国民の「理性?」が働いて、許容範囲内で収まっていたからだろう。最近「目に余るケース」が目立つようになってきたのかもしれない。

⑤私が関係している、「東京君が代訴訟」などは、国旗国歌法の制定時に「強制するものではない」と国会の総理答弁で散々揉めたにも関わらず、東京都の「10.23通達」に始まり、裁判に訴えても、最高裁までのらりくらりするという状況です。

⑥私は、「お天道様が見ている」という言葉が好きです。自己の行動を、「お天道様=自分の良心」に照らして行動せよということ。たまに外れる人がいても、大多数がその誤りに気付いていれば国の大勢は崩れない。「それで十分という国」、そういう国であって欲しい。

2025.10.28. 年賀状

①年末が近づくにつれ、今年の年賀状の構想を温めている。今年は150枚くらいかな。この歳になると「喪中」の知らせが届いて、さみしい思いもする。「年賀状終い」という言葉を聞くのもこの頃。

②TVの番組で、退職後の「孤独・孤立」が話題になるのもこの頃。特に男性に顕著だという。対策に趣味のサークルへの参加など、政府も補助金など対策はしているようだが・・・。
そんな中、年賀状終いも話題になる。

③私自身、切手集めが趣味なの「年賀状」は収集対象なので忙しい時期なのだが頭が痛いのは郵便料金の値上げである。150枚の年賀状を出すには、郵便料金だけで、85×150=12750。印刷代などを含めると2万円くらいの出費になる。今の時代の経済状況を考えると・・・。

④そもそも、需要が増えると価額は下がるのが経済の基本なのに、「寄付金」のついた年賀料金まであるのが不思議でならない。戦後の復興時代は寄付金付き切手の発行で、赤い羽根運動に協力していた時期もある。しかし、それは本来、政府のやる仕事。

⑤暮れ・正月に郵便量が増えて、学生アルバイトが必要になるのはわかるが、合理化で値下げするチャンスでもある。「差出期間を絞って、配達は正月のみ」とすれば労働力を集約することが出来るのでは。逆に、押し詰まった年末の差出や年賀の返信は、4日以降の配達をするとか。

⑥最近、中学時代の友人が定年退職して、久しぶりに会おうかということになった。半世紀ぶりの再開で、飲みに行く機会が増えた。年賀状を継続していたおかげ。これを「ムダ」と言えるかどうか、生き方にも関係するが孤独ではない。

2025.10.10. 下駄の雪

①初めて聞いた言葉で、今回の使い方には疑義があるが、「言い得て妙」の想いもある。

②「我がものと思えば軽し傘の雪」と比較しながら思いを巡らしている。

③「下駄の雪」の表現は、雪の気持ち。地面と下駄の間に挟まれて、全体重を受け止めながら、自身では逃れる術もなくひたすら耐え忍ぶだけ。メリットは国交大臣のポストを与えられているだけ。国交大臣のポストは見返りとして魅力的だが、肝心の国政については「蚊帳の外」だったようである。
逆に、下駄をはいている身になれば、いつ滑って転ぶかヒヤヒヤものだったはずだ。いつしかその危険性の自覚がうすれ油断して、転倒したのだろう。

④「傘の雪」は、雪の身になってみれば、見晴らしはよく気楽な立ち位置。傘をかぶっているほうは「重荷」と思うか、直に雪をかぶらないっことをメリットと思うこともできる。気は持ちよう。
なんだか、子育てをしている親の気持ちのような感じ。生活は大変だけど成長も楽しみ。それくらいの大きく広い気持ちでいればよかったのに、慣れとは恐ろしいものだと思う。

⑤山屋としては、雪は厄介なもので時として遭難の原因にもなる。しかし、地表のすべてを覆い隠して「厳冬期の雪景色」を演出する。危険は伴うが得るものは大きい。メリットとデメリットを天秤にかけるような狭い料簡ではおおきな喜びを得ることは出来ない。
票や金の事を考えるあまり、国の政治というものを軽く見ていたのではないか。喧嘩両成敗というが「国政」を担う自民党の責任は免れない。

2025.10.8. なんでも鑑定団

①やじうま的好奇心と少しの知的好奇心が適度にミックスした楽しい番組で、私の数少ない視聴番組です。つまらない感想を少し。

②3000円の評価がついても、変わらず大切にするだろう出品者のものに対する愛着が見ていて楽しい。逆に、思いもかけない評価に喜びが隠せない出品者も愛すべき人であるのが好い。100万円の評価がついて、家に持ち帰り周囲の人たちと、わいわい話し合う様子が目に見えるようで平和な気持ちになる。

③水を差すようだが、もし売却して100万円を手にしたら、どういうことになるだろう。下世話に言えば、家族4人の生活費で何か月持つだろうか。家族旅行をしたら、海外は無理だろうが国内なら何泊できるだろうか。

④このようなことを、あえて言うのは、宝物を所有することを人生の楽しみのひとつとして豊かな生活を送ることの価値を考えて欲しいという気持ちなのです。もちろん、旅行して心の豊かさを得、心に残る思い出を作ることの価値を否定するものではありません。

⑤今日のニュースで高市さんが、経済政策について、「国は莫大な資産を持っているのだから、少々の赤字財政は・・・。」と発言していた。豊かな日本という国を「切り売り」しているようで、とてもさみしい気持ちになった。

⑥先祖から受け継いだ有形・無形の財産を大切に守り、借金を少しずつでも返していこうとするのが、高市さんの言う「日本人の文化」なのではないか。目先の利益を求めて「手取りを上げる」ことに躍起になってはいけない。

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