いろいろな人と話しているうちに、この話題に関心を持ってくれる人が多いことに気づきました。私自身もそろそろ整理して、これからの人生を整備していきたいと思うのでここにまとめることにしました。
事の起こり
私が45歳の頃、卒業生を「送る言葉」を依頼された。18歳の彼らに45歳の私が何をアドバイスできるだろうか。私も人生の折り返し点との自覚もあった。国際高校の教諭として(36歳から48歳)一仕事終えた時でもあった。
当時の平均寿命は84歳くらいだったと思う。しかしこれは0歳児の平均寿命で、45歳の私はもっと長いはずだ。とりあえず90歳とすると現在地はちょうど真ん中。人生で活躍できるのは18歳から72歳と考えると納得がいく。
よし、これで行こう。タイトルは、
「残り半分」の私から「残り全部」の皆さんに。
折り返し点ということ
ちょうど真ん中ということで、対称性に着目した。最初に生まれた直後の数年間について考えた。おむつと母乳、生きていくのに精いっぱい、何も考えることが出来ない。口に入るものを食べて、おなかが空いたら泣くしかない。まてよ、これは最期の数年間に似ている!!
幼児期の興味本位の時期、小中学生の生意気な時期、高校・大学の「夢」を描いた時期、就職後の社会人としての自覚。これを45歳以降に対照的に折り返すと、なんだか先が見えてきたような気がしてきた。
徐々に衰えていく生活状況と、今までの人生で得た知識・経験をどのように生かしていくか。
人生の選択
これからの人生の選択を考えたとき、今までの進路決定を振り返ってみた。その時気づいたのだが、眼前の「選択肢」から選んでいたということ。進学する時も学区・専攻・(学力)など自身の状況からおのずと限定され、その一つを選んでいたに過ぎない。
45歳を折り返し点と考えるなら、これからの人生の「選択肢」がこれまでと同じで良いのだろうか。なにか新しい選択肢を考えられないのだろうかと考えるようになった。
遊びで、年齢を逆算することをやってみた。60歳が30に、70歳が20に、80歳が小4。ちなみに現在74歳は16,高2くらい。なんとなく納得している。
進路から針路へ
まず、終末に向けて「針路」を決めて「進路」を考えることを始めた。現在の状況から進路を選ぶとすれば、今までの人生とあまり変わらない。しかし針路を定めれば選択肢はもっと広がるだろう。残り半分の人生が納得のいくものに少しでも近づくのではないか。
私の場合は「表現」を考えた。自己表現ということを考えたことのなかった今までの人生を振り返り「写真」という手法を選んだ。HPを発表の場に、自己の表現の方法を得た。それが現在。
写真について
幼少時からカメラに親しんでいたが、45歳で初めて一眼レフカメラを買った。若い頃にありがちの「一途さ」は無いが経験がカバーしてくれていると思う。情熱はやや低調。
20年もやっていると「見てもらいたい」という気持ちもあり、現在に至っている。当然のことながら完成・到達はなく、ゆっくりと成長していると思う。これも幼少期に向かう過程かと思う。喜寿で小学生、表現への追及の姿勢から楽しみの時期に入ろうかと思う。
そのうちに・OPINIONについて
どこかで書いたが、「受取人のいない遺言」のつもり。書いたことで何かが変わるとは思っていないが、読んだ人の心に変化があればと思っている。
歳を重ねると、思い付きをまとめる「総合力」が衰えてくる。思い付きを育てていくうちに思い付きそのものを忘れてしまう。むかしを思い出しながらつなげる作業になった。これは今のところ成功している。
自分のためでもあるが、若い人たちの「きっかけ」になれば良いと思っている。
予定外のこと
もうすぐ74歳になる。平均寿命は年を重ねるたびに蜃気楼の「逃げ水」のように「先へ先へと」延びてゆく。微調整をする心の余裕もないし、予定通り90歳で解放されたら、どう生きたらよいのか。贅沢な不安が漂っている。