私の陳述の中でも述べていますが、この裁判の特徴は、原告がそれぞれの想いで立ち上がった結果の裁判です。
1次訴訟で集まった原告たちは、それぞれの学校から、それぞれの想いを懐いて集まりました。それは4次訴訟でも同じです。私は、旧教育基本法で述べられた「不当な支配」への反発からでした。他の原告は、信仰に基づいた信念もあれば、生徒との交流・信頼関係、在日の生徒との対話、障害のある生徒の人権などなど、一人ひとりにもいくつもの問題意識が錯綜していました。 このルポルタージュは、一人ひとりのそのような思いを丹念に取り上げ、われわれ当事者では拾いきれない時間的(歴史的)・空間的(東京・大阪)な広がりの取材をしたものです。個人個人への丹念な取材を経ながら、一方で、ライターとしての立ち位置が明確で、かつ公平で広い視野に立って編集されていると思います。 原告の一人として、このような記録が世に残されることを感謝しています。今後、5次訴訟以降、戦いは続くと思いますが、確実に後世の関連資料として価値を持ち続けると思います。 |
永尾俊彦 著 ルポ「日の丸・君が代」強制 緑風出版 388頁 2700円 2020年12月20日 初版第一刷発行
『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)刊行のご案内 永尾俊彦 1.「日の丸・君が代」強制問題を戦後最大級の「思想統制」事件ととらえていること 国旗掲揚、国歌斉唱の指導が学習指導要領で義務化された1989年度から2018年度までの30年間に、卒業式などでの「君が代」斉唱時の不起立等で処分された小中高の教職員は全国でのべ2257人にのぼり、これは現在の学術会議問題の先駆けの戦後最大級の「思想統制事件」です。 2.「日の丸・君が代」強制問題は教育の根幹にかかわる問題ととらえていること 処分された教員は、この問題を自分の頭で考える子どもたちを育てるのか、「強いもの」に従順な子どもたちに「調教」するのかの教育の根幹にかかわる問題ととらえています。教員が起立すれば、子どもたちに無言の圧力をかけることになり、それはいじめや不登校などの大きな要因の一つと指摘される学校の同調圧力を高めることにもなります。教員たちは、身勝手な主義主張のためではなく、子どもたちのために起立できませんでした。このことを、教員たちの弁護士は、「やりたくないことをやらなかった」人たちではなく、「教員としてやってはならないことをやれと言われて悩み苦しみ、できなかった」人たちととらえています。 この問題が、教育の根幹だということは、「『国旗・国歌の適正な実施』は…学校経営上の最大の課題」という都教委の文書や「教育行政のあらゆる欠陥が凝縮した結果として、不起立問題が生じている」との橋下徹元大阪府知事のメールからも逆に裏付けられます。 3.処分され、差別されても教員生命をかけて裁判などで闘う群像を描いていること 都教委の場合は、処分の回数に加重して戒告から減給、停職へと処分を重くしていき、処分されれば「再発防止研修」の受講を命じられる他、担任を持たせない、遠隔地に飛ばす、定年後の再任用も年金が出る年齢までに限るなどの差別を受けます。大阪府教委の場合は、三回不起立で免職という「スリーアウト制」を導入しています。これらは、自分の理想を捨てるか職を取るかの選択を迫る制度であり、「転向」しなければ職場から排除されます。 しかし、子どもたちとのかかわりから、強制は教育にはなじまないと悟った教員たちは、強制をやめさせるため、裁判に立ち上がりました。この闘いは、教員生命をかけての彼らの叫びです。 その裁判が昨年、最高裁で教員側一部勝訴で一段落し、東京では来年新たな訴訟が提訴されます。 4.国際機関からの是正勧告を無視する文科省、都教委、府教委とその背景を描いていること 2019年春、国際労働機関と国連教育科学文化機関の合同委員会は、日本政府に卒業式などでの「混乱をもたらさない不服従の行為」について教員団体と話し合えという是正勧告を出しました。しかし、文科省、都教委、府教委は無視、日本は国際基準から大きく遅れています。 なぜこうなるのか。戦前の教育に「日の丸・君が代」が果たした役割を作家の山中恒さん、大阪の元府立高校教師で部落問題研究家の黒田伊彦さんらに語っていただき、戦後の文部省や自民党の文教政策、財界の提言、維新や右派の運動などの流れに「日の丸・君が代」強制問題を位置づけることで、子どもたちの身も心も支配しようとする構造と異様な欲望を浮かび上がらせています。 |