むかし、数学の論文の中に「Strait Curve」という表現がありました。英語圏でどのようなニュアンスで使われているのか、私の理解している言語感覚との微妙な違いを感じ、戸惑いました。 さて、みなさんは「直線」を見たことがあるでしょうか。ノートに定規で引く直線は、「線分」です。左右に「まっすぐ」に「無限」に伸びているのが、「直線」です。では、「まっすぐ」という概念はどうでしょうか。光が直進すると思われていましたが、アインシュタインによって、光も重力によって曲がることが示され、実際にも観測されました。夜空を見上げて「無限のかなた」へ想いを寄せたくなりますが、宇宙も有限で、その半径は・・・という時代です。 数学の世界では、まっすぐに、無限に伸びた「直線」は純粋に「数学の対象」として研究されています。このような抽象化された「世界」を理解するためには、多少の訓練が必要です。 直線は無限個の「点」から構成されています。本当でしょうか・・・この項のテーマです。 直線の任意の一点を固定して、「原点」と名付けます。さらに、原点と異なる一点を固定して「単位点」と名付けます。(原点と単位点を固定することが「座標を決める」ことです) 私たちが理解している数のうち、0を原点に、1を単位点に対応させます。すると自動的にすべての数を直線上の点に対応させることができます。これを「数直線」と呼びます。 その後、「びっしりと、隙間なく」は、実は「隙間だらけ」であることがわかりました。しかも「隙間」の方が有理数全部より圧倒的に多いことも判明しました。有理数に対して、無理数と名付けました。たとえば、平方根・立方根・円周率の π などが「隙間」に入る数です。有理数でない数=無理数という定義からすれば、ほとんどすべての数は、「未知」の数ということになります。 「直線」に話をもどします。誰もが、直線は滑らかな連続したものというイメージを持っています。時間の流れも、連続した「時」という感覚があります。これを、「なめらかな、つながったもの」という理解で扱おうとすると、数学で言う「連続性」の概念になります。有理数の間にある、膨大な隙間を埋める「数」を理解することが、数学を理解すること??? 「かぞえる」という行為から始まった「数」の世界に、「連続量」としての扱いを導入することにより、「微分・積分」の概念が生まれました。江戸時代に関孝和が、和算の中で解析学に近い問題を解いているそうですが、「連続量」の壁を越えることはできなかったようです。 みなさんは、「時の流れ」を連続量としてとらえますか?それとも「素粒子のようなもの」と、とらえますか?私は、直線は滑らかにつながっているように感じますが、時の流れが「数」の集合体のように、「瞬間の集合体」とは感じられません。修行が足りないようです。 2021.3.26. 記 |