最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・
そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・
というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・
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202⒍8.19. 情報の値段
①千葉の水害で、いろいろ反省が指摘されている。特にハザードマップの理解や普及もしくは不備が問題になっているが、少し視点を変えて考えてみたい。
②私はパソコンから情報を得ているが、ほとんどの人はスマフォを利用している。気象庁の「キキクル」を見ると、近所の小さな川?の危険度が刻々と変化するのが分かる。このような情報がどのようにして得られるか、気にはしているが、具体的な方法は知らない。その信頼度に至っては知る由もない。
③気象衛星から送られてくる映像とともに最近は多様な情報も得られているようだ。ウクライナから情報の提供を求められるくらいだから相当な情報量だと思う。いっぽう、気象ゾンデなどによる観測や飛行機で台風の眼の中に飛び込んでいくというものもある。以前、卒業生がアルバイトで北海道の大気の採集をしているという。
④情報には膨大なデータが必要になる。お酒のおいしい店を探していると、さまざまな情報が得られるがすでに閉店した店の数年前のことが書いてあったり、いわゆる「さくら」による好評感のようなものもある。
⑤私が心配しているのは、情報は大切だがその情報を集めるために限られた労働力を使い過ぎているのではないかということ。AIの普及でグラフィック作成のコンピュータ化が進んでいるがデータセンターの消費電力が爆発的に増えている。情報の信頼度も落ちていて、なかには「意図的な」情報操作もある。
⑥教育などは知識・情報の伝達だけではなく、子供たちの「人間的な成長」がおおきなボリュームを占めていると思うが、最近、その面が希薄になっていくように思えてならない。入試で計れる「学力」を物差しに採用すれば、金持ちの勝。
⑦論点が収束しなくてごめんなさい。情報が空気がそうであるように、影響がとても大きいのです。
202⒍8.19. 「通販生活」が
①「通販生活」が次のような発信?を行っています。実際の具体的なことはよくわかりませんが、私にとっても大切な情報として、お知らせしておきます。
2026.08.18
「楽天市場」への出店とりやめのお知らせ。
「憲法九条」があるから「買い物ができる」……通販生活の表紙にはこんなメッセージをかかげています。いっぽうで楽天グループについて、「攻撃型ドローン」の導入支援および国産化を推進すると報道されています。これを受けて私たちの企業理念とは相いれないことから出店を中止いたしました。
戦争が始まってしまったら、買い物どころではなくなります。「憲法九条」に託した非戦の誓いを守っていくべきと考えています。
②軍需産業はもうかります。なぜなら、新型が出れば旧式の軍備は買い替えてもらえるからです。冷蔵庫やクーラーは壊れてから、もしくは壊れそうなとき買い替えることと違います。特に戦争地域では次々に破壊が進行し、兵器の必要性は必至の環境です。なにを差し置いても「買わねばならない」状況が起こります。GDPを膨張させ、物価や為替相場を操るために軍需産業を振興させてはいけないと思います。
③通販生活が「非戦の誓い」と表現していることを支持します。「反戦」は誰でも言えますが、憲法九条を「非戦の誓い」と表現していることに通販生活を運営されている方たちの思慮深さを感じました。
④眠れない夜に、思わずキーボードをたたいてしまいました。おやすみなさい。
202⒍8.18. 終戦記念日
①天皇の弔辞は宮内庁が過去の弔辞を参考に作成したものだから、天皇自身の意見が入っていないとは言わないが「例年通り」。自身の意見が言えない哀しさがある。
②高市さんの発言を聞いていて、違和感を覚えた。言葉尻を捉えてどうこう言う気持ちは無いし、高市さんの普段の言動からしても逸脱は無いので「さもありなん」だったのだが、違和感はなぜだろうかと考えた。
③もしかして、AIに原稿を作らせたのではないか。もちろんAIの原稿に手を入れて完成させているのだから、いけないことではない。違和感を覚えたのは、高市さんの普段使っている「単語」がもれなく入っていること。それがそつなく結び付けられて、文章が構成されていること。将来へ向けての「理念・構想」が無いことなどである。
④普通、人間がこのような文章を作ろうとすると、まず一番伝えたいことに集中する。そのために言葉を選ぶ。新鮮さを強調する。などなど、私がこの文章を書いている時も、基本的な姿勢である。私が陰口に「学生レポート」と呼ぶ文章のように思えてならない。満点はいらない。及第点を取れれば十分。そのような文章に見えて仕方ない。
⑤広島・長崎の記念日のあとの終戦記念日で、多忙な職務をこなしているのはわかるが、集まった人たちに失礼ではないか。小学生の言葉の方が、ずっと参列者のこころに訴える力があるのではないか。
⑥「理念」が感じられなかったのが残念。ついでに言えば、靖国神社での演説と間違えたのではないだろうか。穿ち過ぎになるので、ここまで。
202⒍8.15. 平和教育
①ネットでニュース(47NEWS)を見ていたら、平和教育の研究者の言葉が紹介されていた。私も教員の頃は平和教育も念頭に沖縄修学旅行を実施したひとりなので、心に響くものがあった。
②それは、平和教育は「学びが一方通行」なのではないか、という問いかけであった。私自身、教育が押し付けにならないように細心の注意を払ってはいたが、一方通行の逆方向については「想いが至らなかった」ことを反省させられる一瞬であった。
③戦争でも核兵器でも憲法9条でも、次の世代に「悲惨さ」を伝えることに重きを置いて、語り部や祈念館の訪問で、平和教育を実施したと思いがちである。逆方向というのは、「どうしたら平和な世界を作れるか」。つまり、若者が能動的に考え、行動することのように思える。
④辺野古の事故で、平和教育の見直しの機運が出ているが、政府は「一方通行」の平和教育を煙たがっているだけで、次の時代を担う青少年をどのように教育するかは考えてはいない。むしろ防衛力を高めて「平和を守る」ことに雑音が入らないように、なにも教えない・なにも考えない国民を目指しているように思える。
⑤私が提唱する「反戦よりも非戦」が、少し近いように思う。反戦というと過去の戦争の悲惨さを伝え、二度と繰り返さないことが目標となるが、非戦は「殺し合い」として戦争を位置づけ、人類の愚かさとして位置付けることで反論することを許さない思想にすること。
⑥年寄りが教科書になって、青少年が教わる立場とする位置関係では、続かないし成長しない。憲法9条はその理念を見事に表現している。ついでに言えば、占領軍の「学者たち」が作った条文だからで、為政者が憲法を作るとそうはならない。
202⒍8.11. 70台は・・・
①林真理子さんが、「70台は神様から与えられた時間」というような本を書いて話題になっている。気づくのが少し遅いような気がするが、同じような気持ちを持っているので、私なりの想いを書いておく。ご参考までに。
②60で定年退職した時、退職金でローンを清算し、90歳まで(残り半分)生きていける見通しができたので「働かない」ことを決心した。その後、物価の上昇で暗雲が立ち込めているが・・・。今更、乗り切るしかない。
③70台は最も自由な時間と思う。経済的にはひとそれぞれであるが、得られた時間を「有為」に過ごすにはそれほどの費用は掛からない。
妙な言い方だが、残された時間が徐々に短くなっていき、たとえば、40歳の頃の残り50年と、75歳の今の残り15年では「先が見えてくる」「計画が立てやすい」。
④友人関係は徐々に減ってはいくが、より深くなればよい。上高地で出会った人たちとは、年に数回の出会いであってもより深い関係を築くことが出来る。年齢がさまざまな友人ができることは、今となっては「貴重」。
⑤趣味の世界には没頭できる。それが「仕事」になる。70年以上蓄えてきた知識や経験が生かされる。若いうちには決してできないことである。
現在、100年以上前に使われた大量のポーランド切手と取り組んでいる。注意力の持続性からいって、あと数年かな?などと気弱にもなるが、そこは頑張るしかない。
⑥林真理子さんはTVでいろいろ話していたが、その十分の一でも実現できれば、老人問題の多くは解決されると思う。それを出来るような社会を「政治家」は作る義務があると思うが、自分のことだけに精一杯の様子で、残念でならない。
いっそ政治家になればよかったと思う今日この頃でもあるが、後期高齢者となっては後の祭り。後期高齢者の政治家もいるのだが、自分の人生を生きていないように見て取れる。
202⒍8.8. 火の鳥
①イラン戦争で、アメリカの戦費が6兆円だという。軍人の死者が18人だという。国家が戦争を起こして、そのために犠牲者が出ることをアメリカ人は認めるのであろうか。日本に置きなおした時、認められるであろうか。「仕方ない」のであろうか。
②火事や交通事故で犠牲者が出ると、全国放送のニュースになる。熊本地震では38人もの犠牲者が出た。天災だから誰を責めるわけでもないが、少しでも減らせるように努力することが求められている。しかし、戦争は人間が起こすもの。未然に起こらない努力ができること。
③人類が生れてから争いは絶えない。お目付け役として、神の存在があった。しかし、神の言うことを聞かなくなった。神を道具として使うようになった。子供の成長から言えば「親離れ」「自立」であって、喜ばしいことなのだが、心の成長もなく体だけ大きくなったような、そんな感じ。
④一方では、AI?という子供が生まれて、びっくりするくらいの早い速度で成長している。AIが自前の神を創造し独り歩きしそうな気配。親の言うことも聞きそうもにない。当然、神という倫理感?など持ち合わせていない。親も親だが子も子。
⑤人間には寿命がある。だからこそ子孫に財産を残そうとする。人類には寿命が無い??。未来の人類への責任を感じている人はいるのだろうか。互いに争っている場合ではないのだが。
手塚治虫が火の鳥を創作した意図が見えてきた。でも、火の鳥はいない。
202⒍8.6. 熊本地震②
①揚げ足取りのように受け取られては困るが、今、書いておかないといけないので。
②高市さんや小泉さんが「国でできることは・・・」と言っているが、彼らがやらなければならない仕事は、被災前に済ましておかなければ意味がない。人々が安心して生活している間に「もしも」の時の備えを準備すること。
批判することが目的ではないので、私案をいくつか述べておく。
③例えば支援物資。被災した数時間後には自衛隊を使って現地へ発送できるはず。事前に拠点に物資を準備しておいて、自衛隊のスクランブル発信すれば可能。小泉さんはポータブルクーラーを300台発送したというが、設置まで面倒を見たのか?発電設備も準備したのか?その後の報告が全くない。
④支援体制で言えば、隣接自治体の役割分担を決めておけば、被災地では住民の救済に全力が尽くせる。電力はともかく水道の復旧はその資材もだが技術者の派遣が必須となる。
例えば、隣接県のひとつを指定しておいて、ふるさと納税を通しての支援を受け付けるようなことは過去の災害での先例もある。
⑤総理が忙しいのもわかるが、1週間もたって何十人ものお供を連れて訪問して、「8月中の水道回復を指示」とは言うが、現地ではそのつもりで頑張っている。具体的な指示や方策も無い。
自民党はこんな時に限って「国民栄誉賞」を授与する。
⑥日頃の不満をぶちまける意図はないので、これくらいにしておくが、「こうしておけばよかった」というアイデアが噴出している今こそ「次の被災」に向けての企画を練る時であろう。
ちなみに、私の提唱する「サンダーバード・2022.1.18.」を考える時ではないか。
202⒍8.6. 熊本地震①
①イオンモールの事故に対して。
②地震が起こり、1時間程度過ぎたころ建物の中に入ったことについて責任問題がかまびすしいが、何か「欠けている」ように思う。
③忘れ物や貴重品の処理について、建物内に入ることについて、もちろん「安全性」を確認するまでは止めるべきではあるが、その行動ができたであろうか。
④避難している映像を見ても、棚からの落下物はあるものの歩行を遮るものは無い。証言を聞いているとエスカレーターで昇降したという。揺れから1時間以上経過しており、お客さんは安全に非難が終了している。現場の状況を想像してみて、「入らないでください」と断言して強制できる人はどれだけいるだろうか。もちろん、「上司」と呼ばれる地位の人は「従業員」に対してその義務があったと思う。でも、難しい。責められない。
(要点は、現場にいない管理職が「可能なら」と言いながらも処置の支持を出していること。中間管理職の立場では否定できないし、ましてパート職員の立場では・・・。)
⑤学生の頃、大人たちに向かって「なぜ、戦争を食い止められなかったのか」と問い詰めていた時代があった。その時思ったのは、「自分がその状況に陥ったとき、誤りのない行動をしたい」ということであった。教職を選んだ理由でもある。
⑥年金生活となった今では、できることは少ないが「無いわけでもない」と思っている。
202⒍8.6. 愛国心・その1
①7.14.の宿題 : 1.Patriotism(パトリオティズム:祖国愛):国への愛着や「国をよくしたい」と思う気持ち。
②私自身、「愛国心」という言葉はこの意味で使いたい。
③訪日外国人が日本の良さを語るとき、「治安が良い」「マナー」「落とし物が届く」「食べ物がおいしい」などなど、聞いているだけで「誇らしい気持ち」になる。しかし、これらは日本人が意識して作り上げたものではない。お互いに住みやすい環境を作ろうという意識から形作られたものであろう。
④以前、国際高校の開設に携わったとき、「校則」をどうするかが話題になった。多民族国家では価値観や風習の違いに対応するために、こと細かなルールを作る必要がある。例として「拳銃・ナイフの持ち込みは禁止」とか「異性間の交際」についての明文化などが検討された。
結果、概念的な表現に留め、「その他、日本国の法律を守ること」とした。
⑤半世紀前、早稲田大学には門も塀も無かった。商店街を歩いているうちに校内に入っていた、という状態であった。日本で生活しているうちに、日本の生活風習が身に付いた、と言うのが理想なのではないか。愛国心と言うのはそのようにして醸成されていくものだと思う。
⑥私の好きな言葉、「お天道様が見ている」。そのような日本であって欲しい。
202⒍8.6. 愛国心・その2
①7.14.の宿題 : 2.Nationalism(ナショナリズム:国民主義):民族・国家としての一体感や利益を重視する考え方。
②国家としての一体感が「危ぶまれる」事態に陥ったとき、為政者がとる最悪の反応。私も教員として「愛校精神」という言葉を使うことがあった。心から「愛する」のであれば、それに越したことはないが、愛校精神が言われるときは往々にしてそうでない時が多い。「愛する」という行為は自発的に行われる行為であって、他者がどうこういうものではない。
③ナショナリズムで利用されるものに、「旗と歌」がある。分かり易いのはプロ野球やサッカーの応援であろう。ファンが集まって応援することはむしろ歓迎すべきことであるが、自チームを応援するあまり他チームを貶めるような行為は禁じられるべきである。
④国家でいえば、「日の丸・君が代」の強制がある。国旗損壊罪の制定が危ぶまれる。国旗そのものを大切にすることには異論はないが、強制してまで「愛する行為」を求める事態がある。法律を作ることは強制することであり、為政者が当然と思うことを強制することになる。
⑤一体感が主張される時代は、一体感が失われる恐れのある時代で、国家としては危険な方向に向かいつつあることをこころすべき時であろう。
⑥「旗と歌」に警戒。
202⒍8.4. 米騒動
①コメ価格が下がり続けているニュースとともに、在庫についての情報が報道された。珍しいので紹介しておく。(現代ビジネス2026.8.4.より)
②コメは収穫は季節的であるけれども消費は年間を通じて安定している。昨年のこの時期の在庫は155万トンであったのに対して今年は243万トンだという。在庫が増えた理由は備蓄米の放出にある。59万トンの放出があって、政府は1年以内に「買い戻し」をすると言っていたが、現時点だはウヤムヤで、一応5年以内に買い戻すという。
③コメの備蓄は倉庫も必要だが、厳格な空調設備が必要である。そのような設備を持つ倉庫会社はどうしているのだろう。放出した時の米価と買戻しをするときの米価の差額は税金から支出されるのだが、放出時の価格すら明確でない。買い戻すとしたら、新米の米価に影響を与える。
④そもそもの原因は、昨年の備蓄米の放出にある。「供給を増やせば価格は下がる」という、教科書に書いてある理屈で次々と放出を重ねた。しかし、限られた流通機構に強引に放出した結果、価格は思ったほどさがらず、在庫のみが増えた結果コメ余り・価格低下の現状を招いている。
⑤新米の価格は低下し、農家は農業の継続を考えるまでになった。流通業者は在庫を赤字覚悟で放出して倉庫を開け・新米の購入をする事態。こういう時にかまびすしいマスコミは、問題の分析ができないのか状況の事実報道に止め、分析しようとしない。
⑥張本人が今は防衛大臣をやっている。「防衛には軍備を」という論理は、どこか似ていないか。危うさを感じているのは私だけだろうか。
202⒍7.23. 税収の伸び
①高市さんに限らず、「税収の伸び」という言葉をたびたび聞く機会がある。税収の伸びを当てにして来年度の予算を組んでいるようだが、おかしくないか?
②経済が拡大して、新しい工業や商業が増えているなら、新しい価値が生れ流通することにより税収が生れる。しかし、物価が上がり材料費や人件費が上昇して税収が増えると、政府の事業の実施に関しても材料費や人件費が上昇するため、相殺される?のではないか。
③消費税減税の財源をどうするかが話題になっているが、増収のほとんどは政府の活動に対する費用の増加でほとんど消えてしまうのではないか。
休憩
202⒍7.17. 「しょうもない」
①内閣法制局の元局長?の言葉。
②本日国会を通過した「国旗損壊罪」についての評価。「なんの役にも立たない」汚い言葉で言えば「〇〇のつっぱりにもならない」ということ。法制局の元局長にここまで言わせた法律が数か月後には効力を持つことになる。
③法律と言うのは国民の「良心」を裏切るような事件が起こったときに作るもの。国旗を損壊する事象が目に余るほど多発して、秩序が保たれない状況があるとき、警察権力を動員して阻止しなければ社会が混乱すると思われるときに法律をつくるもの。
④逆に、この法律が安易に効力を持つとすると、たとえば、前回の参議院選挙の折に、参政党の街頭演説で反対の意思を示すため「日の丸に×」を上書きして会場で振り回した例がある。現在では「反対の意思表示」で済まされるが、今後はビミョウな案件となる。
⑤ニュースの中で、アメリカで星条旗でお尻を拭いているパフォーマンスについて、表現の自由が認められた事例が紹介された。星条旗柄の下着が売れている国だが、国民がその状況に感じる気持ちと表現の自由を秤にかけて、表現の自由を選んだのだとおもう。
⑥高校教師だったころ、カナダ人の英語補助員の送別会で、カナダ国旗に寄せ書きしようという提案があったが(日の丸への寄せ書きは許される?)、カナダでの状況が不明なので別の手段をとった。(日本の法律に違反)??日の丸に罵詈雑言を寄せ書きしたらどうなるのだろう。「日の丸に×」もその類。
⑦ついでながら、トランプさんの1$銀貨を踏みつけたら、罪になるのかしら。銀貨を作る方も作る方だが、考える方も同罪。失礼。健全な良心があれば起こり得ない事件。
⑧なお、いちばん困るのは警察官。次に検事。そして裁判官。マスコミは面白がるだろうけど。(警視庁が検討を始めた。ご苦労さん。)
202⒍7.14. 愛国心・その3
①7.14.の宿題 : 3.Chauvinism(ショーヴィニズム:排外的愛国主義):自国が他より優れているとみなす排他的な考え方。
②この第3分類は扱わなくても良いように思っていたが、どうも、そうではないらしい。「男系男子」にここまでこだわるのは「信じ難い」。600年前の先祖にまで遡って、36~38親等の隔たりを辿ってまで、世界唯一の「血統」を公言する立場はショーヴィニズムと呼ばれても仕方ないように思われる。
③遺伝の仕組みが判らなかった時代には、男系男子にこだわることが「家系」の正当性・維持に意味を持っていた??のかもしれない。今も「世帯主」という表現ではあるが、男子が代表となる習慣は健在。それでも商家などは優秀な養子(男子)を得て、「家督」を維持するという努力があった。
④それにしても、ショーヴィニズムと言うからには他国より優れているという点を指摘する必要があるが、2600年・126代続いただけ。伝統と言われればそうだが愛国心につながる要素は無い。憲法を改正してまで守るべき要素は何か。もう少し検討が必要?。
202⒍7.14. カラスが
①「熊野では 今日も落ちたと 埋めてやり」(東京新聞コラム「筆洗」2026.4.14.より)
②江戸時代に起請文(契約書)の実行を熊野の神様に約束するという。約束が守られなかったとき、神様のお使いのカラスが落ちる(死ぬ)という。
いつの時代にも人間のすることは変わらないようだ。カラスも堪ったものではない。
③私は「神様が見ている」という言葉が好きだ。こっそり、気づかれないように悪さをしても「神様が見ている」。国旗損壊罪なども「神様が見ている」で済まされることだと思う。それができなくなったほど日本人の意識は落ちているのだろうか。
④以前、この欄で信仰について述べたのだが、ともすると、人間の流されやすい弱い心を励まして、正しく生きてゆく支えとなるのが「信仰」なのではないかと思う。誠実に生きることがどんなに難しいか、しみじみ思う。
⑤キリスト教とイスラム教の総本山ともいえる二大国の間の戦争は目に余るものがある。
ヒトが「野生」から「人間」となったとき、必要だったのが「宗教」だったというのが私の自論であるが、AIという「神通力」を獲得した今、新しい「神」が必要になってきているのではないか。それとも「神」に見放されているのだろうか。
202⒍7.4. 愛国心
ニュース記事を見ていたら、次のような分類を見つけました。しばらく考えてから意見をまとめたいと思います。そのうちに・・・。(ABEMA TIMES より)
1.Patriotism(パトリオティズム:祖国愛):国への愛着や「国をよくしたい」と思う気持ち。
2.Nationalism(ナショナリズム:国民主義):民族・国家としての一体感や利益を重視する考え方。
3.Chauvinism(ショーヴィニズム:排外的愛国主義):自国が他より優れているとみなす排他的な考え方。
202⒍6.27. 写真集①
①写真集を作りたい旨友人に話したら、編集者を紹介してくれた。現在、進行中なのだが、その経過で興味深いことがあったので、少し書き留めておきたいと思う。
②写真集を作るにあたって、写真の下にコメントを入れることを提案したのだが・・・。「鑑賞する人の気持ちが文字に引きずられる」ということで却下された。私としてはシャッターを切ったときのすなおな気持ちを添えたかったのであるが・・・。
③改めて振り返ってみると、2005年に初めて上高地で個展を行った時からいろいろ考えることがあった。作品の前に立つと、まず、「どこで撮ったの」「季節は」などから始まって、写真の好きな人は、「カメラは何」「フイルムは」という機材の質問となる。気が付いたら作品についての感想など全くない。
④私自身も「撮影意図」というものが明確でないので、撮影動機でも「きれいだから」「心を打たれたから」のような通り一遍の説明になってしまう。これではいけないと、「何を撮ろうとしたのか」を意識するように努力しているがなかなか難しい。
⑤大家と呼ばれる「写真家」の作品を見ていても、確かに最高の季節に、最高のポジションで、最高?の機材で撮影しているのはわかるが、「なぜこれなのか」が判らない。私が尊敬する田淵行男氏の作品をしみじみ眺めていると、なんとなく「学ぶこと」があるような気がする。及ぶべくもないが、結果的に作風が似てきて、現在に至っている。
⑥そんなこんなの結果、写真集には必要最小限の情報しか書かない予定。その代わりと言ってはなんだが、HPでの写真集の解説は一歩も二歩も踏み込んでみたい。実現するかどうかは、読んでくださる方にお任せする。いつもの通り、宛名の無い遺言状くらいの気持ち。そんな気持ちになりつつある今日この頃。そんな年頃でもある。
202⒍6.18. 余計なこと?
①程よい年頃にもなったので、写真集をまとめたくなった。写真を選んでコメントを入れる作業をしているうちに、はたと立ち止まってしまった。写真に込めた「想い」を伝えたくて仕方ないのは当然なのだが・・・。
②写真集を作るにあたって編集者との打ち合わせの中で、コメントをつけたいと言ったら、鑑賞する視点がコメントにより「引っ張られる」と反対された。写真集の終わりに「解説」ということで付け加えることになったが、いささか不満であった。
③しかし、「解説」ということで撮影時の記憶を表現しているうちに様々な記憶がよみがえり、花の名前など「知識」も加わり、若干「美化」した表現など短い文では表現できないことに気づいた。もしかして、何も書かないことの方が鑑賞する人にとって親切なのではないかと考えるようになった。
④上高地に友人が来ると、上高地を案内して「なにかの参考になれば」と思いガイドをしている。もしかして、これが友人の楽しみを損ねているのではないかという思いに至った。振り返れば写真撮影している時はほぼ一人でいることが多い。自然と対峙するときはすべての感覚を集中しなければならないといつも思っている。雑念があってはいけない。
⑤余談だが、最近は花の名前などスマフォで検索できるので便利にはなったが・・・。むかしのことを言うようだが、知らない花が咲いていると帰宅してから図鑑で調べる。そのためには花の特徴を観察しておく必要がある。現場で花の名前を聞くときでも、似た花との「見分け方」も聞いておく必要がある。そのようにして自然との交流が始まる。
⑥次からつぎへと情報が押し寄せてくる現代で、スマフォは両刃の剣のような気がする。処理する暇もなく、まして疑問を抱く暇もなく一日が過ぎていくような気がする。