神戸高専剣道実技受講拒否事件
最高裁は、1996.3.8.判決で「エホバの証人」を信仰する神戸高専生徒に対する剣道の授業受講強制を違法と認めた。剣道の授業が宗教的な意味合いをもつかどうかを問題にせず、「剣道の受講を強制することは、この生徒が真摯に自ら選択した信仰に抵触し、生徒の信仰を選択する自由を侵害した」と認定した。
旭川学テ裁判
1961年10月26日、当時の文部省は、「全国中学校一斉学力調査」(学テ)と呼ばれる全国統一学力テストを実施しました。ところが、これに先立つこと同年6月に、日本教職員組合(日教組)は、学テは教育の国家統制を促進し民主教育を崩壊させるとして、全国的な反対闘争を行うことを決定していました。
これにより、学テが実施された当日、北海道旭川市の市立永山中学校において、これに反対する教師Yらが学テの実施を阻止するために、校長の制止や退去要求にもかかわらず、学内に侵入して実力阻止行動を行いました。そして、Yらは、これらの行為により建造物侵入罪、公務執行妨害、共同暴行罪などによって逮捕・起訴されたのです。
最高裁によれば、「国家の教育権説」や「国民の教育権説」のような「2つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える」。そして、日本国憲法26条が規定する「教育を受ける権利」の「規定の背後には、・・・特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる」のであって、このことから「・・・教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない」のである。
以上のように、最高裁は、「教育権」の所在に関するこれまでの二者択一的な思考方法を「極端かつ一方的」なものとして退け、その代わりに教育を受ける子どもの視点に立った「学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利」、すなわち「学習権」という考え方を全面に打ち出したのです。もっとも、本判決自体は、「必要かつ相当と認められる範囲において」という形で、国家に対し教育に関する権限を広く認めている点は問題です。しかし、最高裁が子どもの視点に立った「教育権」の発想を認めるに至ったということは、強調してもなおし過ぎることはないでしょう。
法学館憲法研究所 日本全国 憲法MAPより
「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない」
判決文より
七生養護裁判
「不当な支配」・・・七生養護判決について
旧教育基本法では第10条で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」とし、「教育行政」による教育への直接介入を禁じています。同時に教育に携わる者は信念に基づき、国民全体に責任を持つことを求められているのです。
七生事件は、2003年に土屋都議が七生養護学校で行われていた性教育に対して都議会で質問・批判したことに端を発し、石原知事のもと、教育委員会は関わった教職員の処分を決定した。しかし、2013年11月28日に最高裁は都議の発言とその後の教育委員会の行動を教育への介入・干渉であるとし、判決で、「教員の創意工夫の余地を奪うような細目にまでわたる指示命令等を行うことまでは許されない」とのべた。七生養護での教育への介入について、都議に対しては「不当な支配」とし、教育委員会に対しては教員を「不当な支配」から保護しなかったことに対して職務義務違反、教員への処分は、裁量権濫用としました。
なお、現在の教育基本法は、第1次安倍内閣で変更され、第16条で「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり・・・」とされ、その格調の低さが懸念されます。今後、この「不当な支配」の文言が裁判所によりどのように解釈・判示されるかが注目されるところです。
4次原告団通信「ぽこあぽこ2号」より
ピアノ裁判
2007年2月27日、最高裁第三小法廷は、「君が代」ピアノ伴奏を拒否した東京都の小学校教員に対する戒告処分について、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しないと判断した。本件は、1999年4月、都内の公立小学校校長が、音楽専科の教員である上告人に入学式で「君が代」ピアノ伴奏を行うことを内容とする職務命令を発令したが、上告人がこれを拒否したため、東京都教育委員会が職務命令違反を理由とする戒告処分を下した事件である。
すでに多くの都立学校においては卒入学式に向けて包括的・個別的職務命令が発令されている。さらに、東京都教育委員会は、都立高校の記念式典で「君が代」のピアノ伴奏を拒否した教員に対して本件判決直後、減給処分を下した。
だが、これらの処分は、今回の小法廷判決が先例として十分に踏まえなかった旭川学力テスト最高裁大法廷判決が、「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定からも許されない」と判示したことを忘れている。教育現場における「君が代」強制はこのような大法廷判決と抵触するものであって、児童・生徒および教職員の思想・良心の自由を踏まえた慎重な対応が求められることは、本件判決以降も何ら変わることはない。
児童・生徒や保護者等に「日の丸」「君が代」を強制することは絶対に許されない。また、教職員に対して、児童・生徒に対するイデオロギー的働きかけを強制することは許されないし、「子どもが自由かつ独立の人格として成長」するために不可避な範囲を越えて教職員の思想・良心の自由に対する制約が認められることがあってはならない。
「君が代」ピアノ伴奏拒否訴訟・最高裁判決に対する法学研究者声明 より抜粋
判決が重要なのは、2006年の難波判決の直後にこの最高裁判決が出されたことで、東京「君が代」裁判の下級審の判決が安易にこの判決に追従したことである。主張内容が本質的に異なることを考慮されなくなった。