徳澤・明神

明治中頃からの焼岳の爆発で
徳澤は火山灰に悩まされました
昭和9年ころまで、牧場として開拓されました


荒廃し、多くの木々が伐採されている徳澤
大正時代か?


牛馬は徳本(とくごう)峠を越えて
徳澤で放牧されました


現在の徳澤
徳澤園・「氷壁の宿」と長塀尾根

明神の歴史は古く
上條嘉門次がウェストンを案内して
槍・穂高に登山したのは、明治時代です


上條嘉門次(68歳)

大正3年1月4日八木道三氏撮影
「岩波写真文庫・上高地」から


昭和初期の写真でしょうか?
この小屋は、現在、有形文化財に指定されています


戦後の写真と思われます
右半分が、昔の嘉門次小屋です


内部、岩魚に串を刺している情景ですが


現在も変わりません
鉄瓶は同じもののようです

この日は、岩魚の燻製の下ごしらえの日でした


嘉門次の碑


嘉門次のレリーフ

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