釜トンネルができるまで、
上高地に入るルートの一つが徳本峠越えでした
徳澤で放牧していた関係で、牛馬が行き交う道でもありました
行程は6時間以上、峠の小屋は中継地として重要な存在でした
(他のルート:焼岳の中尾峠・鍋冠山越・常念岳一ノ沢)
「なつかしの安曇野」の市民タイムスの記事によれば
1923年に徳本峠小屋が建設され、現在、有形文化財との由
今年で100周年になることを知りました
記事はいずれHPに載せる予定です
現在の「新島々」の先にあった、終点「島々」の駅です
この駅舎は、現在は新島々駅の前に移築されています
(学生時代、終電で訪れ、翌朝、徳本峠を目指しました)
現在、この直売所は営業していません
現在の「新島々駅」はもとは「赤松駅」でした
6月の第1日曜日に開かれるウェストン祭の前日
多くの人が島々谷をへて、上高地に向かいます
第1回ウェストン祭は、昭和22年でした
出発点の島々宿の受付風景
昔の徳本小屋
いつの時代の写真か分かりませんが
両手にストックとは、現代的です
1998年の徳本小屋、群発地震の年でしたが無事でした
このころ、霞沢岳への道が拓かれました
売店、つっかえ棒の形で時代がわかります
峠からの、穂高の夕景
左奥に、笠ヶ岳が頭をのぞかせています
1945.1.15.発行の通常切手
明神橋から徳本峠を望む