インド放浪

book-15「インド放浪」  藤原新也

朝日選書 205  朝日新聞社  1982

朝日選書版への前書き から

この「インド放浪」は、私が二三歳のとき、はじめてその熱球(太陽 注:永原)の下の大陸に遊んだ時の記録である。はじめて、その土地を踏んだ一九六〇年代のおわりのころ、日本はちょうど高度経済成長の最中だった。物質的な豊さを求めて、誰もが一生けんめいに働いていた。・・・

インドは、命の在り場所の見えるところである。自然の中のそれぞれの命が、独自の強い個性を持って自己を主張している。・・・

(1971  20才 推定)

私が初めてこの本に出会ったのは、学生時代のことと思う。写真家でもある著者の、衝撃的な写真とともに私のこころに飛び込んできたと記憶しているからである。当時、社会のありように疑問を抱いた学生たちは、直接的に社会にその疑問を投げかけていた。社会も、ある意味でそれを認めていた。そのような純粋な若者の気持ちと行動が、生き生きと活動できた、そのような時代であった。その後学生運動は紆余曲折をへて現在の状況に至っている。

一人の学生が、単身インドという自然に飛び込み、そのすべてを全力で受け止め、解釈した。そのような時代の本である。今の時代も、若者たちが世界のあちこちで活躍しているが、「なにか、違う」。わずか半世紀前の若者がどのように生きたか。それを「過去」としてしまってよいのか。一読を。

ところで、私が写真と向き合うとき、最も影響を受けている写真家が、田淵行男と藤原新也である。このように言うと不思議がられるのだが、インドという土地の自然や人びと、それこそ「命の在り場所」が映像の世界で表現されているように思えてならない。私が取り組んでいる上高地は、確かに美しい風景に恵まれているが、そこに「何があるのか」が見えないでいる。きれいな写真は撮れるのだが、・・・。

2013.11.19. 記

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