霧の子孫たち

book-13霧の子孫たち
                             新田次郎  文藝春秋

あとがきより

私の故郷は霧ヶ峰の麓、諏訪市角田新田であ る。角田新田の次男坊に生まれたので、新田次郎 というペンネームをつけた。・・・
その霧ヶ峰に有料自動車道路が出来た。なだら かな起伏が続く大草原が、コンクリートの道路によ って分断されたのみならず、その延長路線が、旧 御射山遺跡と七島八島の高層湿原地帯を通る予 定だと聞かされたときは、身体が震えるほどの怒 りを覚えた。なぜ貴重な自然や遺跡を破壊してま で、観光目的の有料自動車道路を造らねばならな いのだろう。・・・

1971  20才

戦後の高度経済成長の時代が終わり、墨田川がどぶ川と化し、水俣病をはじめとする公害病が顕在化するなか、政府も重い腰をあげ「環境庁」をつくろうという時代の物語である。

当時の自動車道路は、尾根の土を削り谷を埋め立てて、水平な道路を強引につくる力づくのものであった。南アルプスのスーパー林道などは、台風が来るたびに何か所も崩落するおそまつなものであった。「ビーナスライン」と名付けられたこの道路が延長されて、松本市の美ケ原を縦横に駆け抜ける計画であった。できたばかりの環境庁の初仕事として注目を集めた。初代の大石長官は、当時、学園紛争なかで最年少の学長としてその任期を終えたひとであり、その動向は今後の環境庁の方向性を決定づけるものと期待された。

このような市民運動は、その後も各地でつづき、現在も多くの問題を提起し続けている。しかし、当時の運動は諏訪市や松本市の多くの市民たちの日常の話題となり、その考え方は全国的な共通意識として広まっていった。時代が変わって、昨今の環境問題を考えるとき、この当時の原点ともいえるものがうすれていっていはしまいか。当時多くのなかまがこの本を読んで、その内容を周囲の人たちと議論した。そのような時代が懐かしく思われる。多くの情報が飛び交っている現代ではあるが、共通の土俵をつくりにくくなっているように思われる。

2013.7.15 記

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