松本電鉄・島々線②

 

「チンチン」電車・浅間線

大正11(1922)年の島々線全通に続き、大正13年(1924)年には、松本駅前と東郊の浅間温泉を結ぶ「浅間線」が開業しました。写真の電車は、元々大正10(1921)年の島々線開業に合わせ導入されたものですが、乗車定員が少なかったことから、浅間線に移ったものです。道路上を走ることから車両の前後には新たに救助網が設けられました。浅間線は「松本のチンチン電車」として親しまれ、昭和39(1964)年の廃止まで約40年間走り続けました。

 

 

島々駅ホームの秩父宮殿下

「スポーツの宮様」としても知られる秩父宮雍人(やすひと)親王は大正12(1923)年と昭和2(1927)年の2回に渡り、北アルプス登山に訪れ、島々線電車を利用されました。大正12年の山行に同行した登山家の小暮理太郎(こぐれりたろう)は「これから筑摩鐵道の島々駅までは三里半を超えている。そして六時には御迎の電車が其処で殿下のご到着を申し上げている筈である・・・(中略)・・・ご予定より三十分も早くお着きになった。」とその著書「山の想い出」に秩父宮殿下の健脚ぶりを書き残しています。

 

大正池畔の乗合自動車

上高地を代表する景観のひとつである大正池は、大正4(1915)年の焼岳噴火により、梓川が堰き止められてできたものです。大正後期には、この大正池の水を利用した水力発電が計画され、昭和2(1927)年より霞沢発電所が稼働しました。上高地へ入る車道はこの工事に合わせ整備されたもので、急勾配の難所として知られた旧「釜トンネル」もこの時に開通したと伝えられています。昭和8(1933)年には、乗合自動車が大正池まで乗り入れました。

 

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