霞沢発電所

大正4年の焼岳の噴火により大正池ができたため
梓川電力(のち東京電力に編成)は発電所の建設を計画し、
大正14年の再びの噴火にもめげず  大正15年に着工 昭和3年に竣工しました
同時に釜トンネルも作られた模様です
大正池から沢渡まで、霞沢岳直下の地中に全長8kmもの水路を建設、
沢渡で落差453mの導水管(写真)により、発電を開始しました

末尾に後日談を加えました
トンネルと送水管の位置関係を補足しました
末尾に建設中の写真を加えました

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先日、沢渡の「P・しるふれい」のオーナーとお話ししていた際
沢渡の発電所が話題に上り、興味深い情報をいただきました

(I)
最近まで、年1日だけ水を止め、地下水路の清掃作業をしていたとのことです
オーナーも経験があるそうで、3区間に分けて
直径3メートルの地下水路をデッキブラシで磨いたそうです
小型の車が通れる幅があるそうです
ちなみに現在は、ロボットを使って清掃しているそうです

地図の霞沢発電所から右上方に伸びているのが導水管
上の”調整池”から上方に伸びているのが地下水路です
この先が大正池につながっています

(II)
これは、大正池の取水口付近の地形図です
右半分に南北に走っている破線が、地下水路です
釜トンネルの工事の困難さを考えると
昭和初期の地下水路を掘削した工事の難しさが想像できます

その時、話題になったのは
新しくできた「上高地トンネル」が地下水路と2か所で交差している点です
そのため、上高地トンネルは地下水路を避けるために
トンネル自体を上下にアップダウンさせているそうです
”立体交差”というわけです

(III)
話は弾んで、
大正池の取水口の管理人が沢渡の調整池の小屋まで
どんぶらこ、どんぶらこと、物資を流したとか
調整池からは霞沢岳が目の前だとか
水路の勾配は1000分の1だとか
・・・・・・・・・・

話は深夜におよび、その夜は、酩酊して、ぐっすり眠れました
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国土地理院の地図を詳細にみると、
トンネルと送水管の上下関係が描かれていました。流石です。


上高地トンネルと併行している破線が送水路です
中の湯側から行くと、トンネルが送水路の上を横切り
つぎに下をくぐって上高地に入っていくことが読み取れます

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「しるふれい」を訪れたとき
「なつかしの安曇村」という写真集があり
明治以来の貴重な画像の数々でした
ご主人にお願いして  一部をこのHPに掲載できることになりました
いずれも 大正15年から昭和3年の写真です


水圧鉄管の搬送
奈川渡まではトラクターで
そこから沢渡までは軌条牛車で運んだといいます


トラクターから軌条牛車への積み替え
奈川渡の風景と思われます(昭和3年)


当時の沢渡の風景

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「しるふれい」は冬季に上高地を訪れるとき
お世話になっている沢渡のペンションです

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