憲法について

はじめに

私自身、法律を専門にしているわけではなく、聞きかじりの知識の延長でこの項を書いています。したがって、「そのような意見もある」程度の感覚でお読みください。ただ、少しだけ、憲法のことを真剣に考えていると勝手に思っています。
事実に反することが無いように気を付けてはいますが、ご指摘いただければ早急に訂正します。

 

憲法は理念を表明するもの 

 私は、憲法というものは、国家が目標とすべき理念を記述したものと理解しています。理念を達成するための具体的な手段や方法は法律で定め、実施することです。憲法の考え方は、マグナカルタが発祥と言われています。国王が市民を統治するにあたって、国王と市民の間で基本的な約束をしたものです。統治する側が国民に対して最低限守らなければならない約束であり、それが立憲主義とよばれるものです。

 

現行憲法の成立過程について

 憲法改正が論議されるようになって気づいたのですが、現行の憲法は為政者が作成した憲法ではない、世界でも特異な憲法だということです。憲法を作るとなれば、どこの国でも為政者が原案を作成するであろうことは自然な流れと思います。それを国民投票などで認めて、成立の運びとなるのでしょう。
しかし、現行憲法はGHQの統治下で成立した憲法です。原案作成に関わった主な当事者たちは、その憲法が施行されるときに、政権を担当していないであろう人たちです。この点が、現在の憲法改正論議の大きな焦点になっていると思います。

憲法原案の作成に当たって、焦点となったのは、「象徴天皇」と「戦争放棄」でした。これらは、次項で記述したいと思います。
その他の条文については、GHQの指示で草案が作られました。その際招集されたのは、政治家ではなく、検事、裁判官、弁護士などの法律の専門家たちでした。推測するに、彼らは世界中の国々の憲法を比較検討し、その結果、「いいとこ取り」の学生レポートのような草案を作ったのではないでしょうか。彼らには、その憲法下で権力を行使する意図はまったくありませんから、純粋で法学的・網羅的なものになりました。しかし、その後、日本人政治家たちによる、国会(帝国議会?)での憲法審査会はこの草案を検討し条文を整理しました。当時としては画期的な「生存権」の条項(ワイマール憲法第151条を手本としたといわれる)を付け加えたと聞いています。

このような成立過程を考えると、「象徴天皇」と「戦争放棄」以外の条文については、理想的とまでは言えなくとも、為政者による干渉のない分だけ、「まっすぐな」法論理が整っているのではないかと思います。逆に考えると、現在の憲法改正の論議のなかで、改正したいという、為政者の思惑を十分に注視する必要があります。

 

象徴天皇

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 戦争直後のGHQの占領下という、当時の状況を考えると、この第1条は日本が取りえた最善の結果だと思う。現在検討しなければならないのは、その後70年の時間の経過の中でこの条文の果たしてきた役割と成果であろう。
戦後、最も憲法を順守してきた人は、歴代の天皇であろう。と、私は考える。そして、天皇の在り方は国民に支持されているし(世論調査で80%を超えている)、その働きは国の安定に寄与していると思う。その意味合いにおいては、改憲は必要ないと思う。
個人的には、皇族の基本的人権が保障されていないことを理由に、天皇制を修正すべきであると考えるが、日本社会の安定に最も寄与していることは認めざるを得ない。しかし、皇族の人たちの人権が守られるよう、少しずつでも、皇室の在り方を検討すべきである。
改憲案では、「象徴」という立場から「元首」という名称に変更するという。天皇にどのような役割を期待しているのだろうか。神話の昔から、戦前に至るまで、「天皇」という名を利用して、さまざまな歴史が作られてきた。その反省の意味をふまえた「象徴天皇」の働きが、最も安定した成果を上げている時に、どのような目的を持っているのだろうか。

 

戦争放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この条文を読んで、理想論であると批判する人が多い。自衛隊を軍隊ではないと言い張って、なし崩しに戦力の保持をしている状態は、現実的かもしれない。
しかし、憲法が国の将来の理想を描くのであれば、自衛隊の戦力を縮小する努力をし、自衛隊を必要としない国際社会を築く努力をすべきではないか。その努力をしないで、改憲により、憲法を現実に近づけようとするのは、政治家の怠慢としか思えない。まして、災害時の貢献という面を強調して、改憲を肯定しようとする態度は卑怯としか言いようがない。災害救助隊と改名すれば、もっと異なる多くの層の若者が志願するようになると思う。国際救助隊を創設すれば、国際社会に信頼されるようになると思う。それでは、「国防」はどうするのか、という論議はべつに項目を立てて私の主張を展開したいと思う。

 どうしても戦力を保持したいのであれば、「国際紛争を解決する手段として、戦力を保持する」と正直に書けばよい。そして、国民に信を問えばよい。

2019.5.3.記

つづく