予防訴訟③

争点 2

2 争点2(入学式,卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務の存否)について

(1) 我が国において,日の丸,君が代は,明治時代以降,第二次世界大戦終了までの間,皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられできたことがあることは否定し難い歴史的事実であり,国旗・国歌法により,日め丸,君が代が国旗,国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的,政治的にみて日の丸,君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。このため,国民の間には,公立学校の入学式,卒業式において,国旗掲揚,国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり,このような世界観,主義・主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り,憲法上,保護に値する権利というべきである。したがって,教職員に対し,一律に,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることとの義務を課すことは、思想・良心の自由に対する制約になるものと解するのが相当である。

この点に関し,被告らは,本件通達に基づき校長が教職員に対し国歌斉唱を命じ,ピアノ伴奏を命じることは,教職員に対し一定の外部的行為を命じるものであり,当該教職員の内心領域における精神活動までを制約するものではなく,思想,良心の自由を侵害していないと主張する。しかし、人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものであり,これを切り離して考えることは困難かつ不自然であり,入学式,卒業式等の式典において,国旗に向かって起立したくない,国家を斉唱レたくない,或いは国歌を伴奏したくないという思想,良心を持つ教職員にこれらの行為を命じることは,これらの思想,良心を有する者の自由権を侵害しているというべきであり,上記被告らの主張は採用することができない。

ところで,思想,良心の自由といえどもそれが外部に対して積極的又は消極的な形で表されることにより,他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反する場合には、必要かつ最小限度の制約に服するものと解するのが相当である。そうだとすると,原告らは,教職員又は教職員であった者であることから,原告ら教職員に対し,入学式、卒業式等の式典において国歌斉唱の際に,国旗に向かって起立し国歌を斉唱する義務,国歌のピアノ伴奏をする義務を課すことが,公共の福祉による必要かつ最小限度の制約又は教職員の地位に基づく制約として許されるかどうかということが問題となる。

(2) 学習指導要領の国旗・国歌条項に基づく義務について

ア 学習指導要領は,原則として法規としての性質を有するものと解するのが相当である。もっとも、国の教育行政機関が,法律の授権に基づいて普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には,教育の自主性尊重の見地のほか,教育に関する地方自治の原則をも考慮すると,教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止めるべきものと解するのが相当である。そうだとすると,学習指導要領の個別の条項が,上記大網的基準を逸脱し,内容的にも教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制するようなものである場合には,教育基本法10条1項所定の不当な支配に該当するものとして,法規としての性質を否定するのが相当である。(最大判昭和51年5月21日民集30巻5号615頁,最一判平成2年1月18日集民159号1頁参照)

イ これを学習指導要領の国旗・国歌条項についてみてみると,同条項は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定するのみであって,それ以上にどのような教育をするかについてまでは定めてはいない。また,学習指導要領の国旗・国歌条項は,国旗掲揚・国歌斉唱の具体的方法等について指示するものではなく,国旗掲揚・国歌斉唱を実施する行事の選択,国旗掲揚、国歌斉唱の実施方法等については,各学校の判断に委ねており,その内容が一義的なものになっているということはできない。

ウ そうだとすると,学習指導要領の国旗・国歌条項は,学習指導要領全般の法的効力に関する基準に照らしても,法的効力を有すると解するのが相当である。もっとも,学習指導要領の国旗・国歌条項の法的効力は,その内容が教育の自主性尊重,教育における機会均等の確保と全国的な―定水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を定めるものであり,かつ、教職員に対し一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むことを強制しないとの解釈の下で認められるものである。したがって、学習指導要領の国旗・国歌条項が、このような解釈を超えて,教職員に対し,入学式,卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務を負わせているものであると解することは困難である。

エ したがって,学習指導要領の国旗・国歌条項は,法的効力を有しているが,同条項から,原告ら教職員が入学式,卒業式等の国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務までを導き出すことは困難であるというべきである。

(3) 本件通達に基づく義務について,

ア 被告都教委教育長が発する通達ないし職務命令についても,学習指導要領と同様に,教育基本法10条の趣旨である教育に対する行政権力の不当,不要の介入の排除,教育の自主性尊意の見地のほか,教育における機会均等の確保と一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準に止めるべきものと解するのが相当である。

イ これを本件通達についてみてみると,同通達の内容は,国旗掲揚、国歌斉唱の具体的方法等について詳細に指示するものであり,国旗掲揚,国歌斉唱の実施方法等については,各学校の裁量を認める余地はほとんどないほどの一義的な内容になっている。また,①被告都教委は本件通達発令と同時に都立学校の各校長らに対し「適格性に課題のある教育管理職の取扱いに関する要綱」を発表したこと,②被告都教委は、本件通達発令後,都立学校の各校長に対し,入学式,卒業式等の国歌斉唱の実施方法,教職員に対する職務命令の発令方法,教職員の不起立等の現認方法及び被告都教委への報告方法等について詳細な指示を行ったこと,③都立学校の各校長は,被告都教委の指示に従って,教職員に対し,入学式,卒業式等の式典において,国歌斉唱の際に起立して国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をするよう職務命令を発したこと、④都立学校の各校長は,教職員が上記職務命令に違反した場合,これを服務事故として被告都教委に報告したこと,⑤被告都教委は,上記職務命令に違反した教職員に対し,1回目は戒告,2回目及び3回目は減給,4回目は停職との基準で懲戒処分を行うとともに,再発防止研修を受講させた仁と,⑥被告都教委は,定年退職後に再雇用を希望する教職員について,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱しないなどの職務命令違反があった場合,再雇用を拒否したことが認められる。前記各認定事実に照らすと,本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は,入学式,卒業式等の式典における国旗掲揚,国歌斉唱の実施方法等,教職員に対する職務命令の発令等について,都立学校の学校長の裁量を許さず,これを強制するものと評価することができるうえ、原告ら教職員に対しても,都立学校の学校長の職務命令を介して,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱時に起立して国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることを強制していたものと評価することができる。そうだとすると,本件通達及びこれに関する被告都教委の都立学校の学校長に対する一連の指導等は,教育の自主性を侵害するうえ,教職員に対し一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制することに等しく,教育における機会均等の確保と一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準を逸脱しているとの謗りを免れない。したがって,本件通達及びこれに関する被告都教委の都立学校の学校長に対する一連の指導等は,教育基本法10条1項所定の不当な支配に該当するものとして違法と解するのが相当であり,ひいては,原告ら都立学位の教職員の入学式,卒業式等の式典において,国歌斉唱の際に,国旗に向かって起立しない自由,国歌を斉唱しない自由,国歌をピアノ伴奏しない自由に対する公共の福祉の観点から許容されている制約とは言い難いというべきである。

ウ 以上のとおり,本件通達及びこれに関する被告都教委の一連の指導等は,教育基本法10条に反し,憲法19条の思想・良心の自由に対し,公共の福祉の観点から許容された制約の範囲を超えているというべきであって,これにより,原告ら教職員が,都立学校の入学式,卒業式等の式典において,国歌斉唱の際に,国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ビアノ伴奏をする義務を負うものと解することはできない。

(4) 校長の職務命令に基づく義務について

ア 都立学校の学校長は,校務をつかさどり,所属職員を監督する権限を有しており,所属職員に対して職務命令を発することができ,所属教職員は,原則として,学校長の職務命令に従う義務を負うものの,当該職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合には,これに従う義務がないもめと解するのが相当である(最三小判昭和53年11月14日判タ375号73頁)。

イ これを本件についてみてみると,原告ら教職員は,「教育をつかさどる者」として,生徒に対して,一般的に言って,国旗掲揚,国歌斉唱に関する指導を行う義務を負うものと解されるから,入学式,卒業式等の式典が円滑に進行するよう努カすべきであり,国旗掲揚,国歌斉唱を積極的に妨害するような行為に及ぶこと,生徒らに対して国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することの拒否を殊更に煽るような行為に及ぶことなどは,上記義務に照らして許されないものといわなければならない。

しかし、原告ら教職員は,国旗・国歌法,学習指導要領の国旗・国歌条項,本件通達により,入学式,卒業式等の式典において,国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱するまでの義務,ピアノ伴奏をするまでの義務はなく,むしろ思想,良心の自由に基づき,これらの行為を拒否する自由を有しているものと解するのが相当である。また,原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立すること,国歌を斉唱することを拒否したとしても,格別,式典の進行や国歌斉唱を妨害することはないうえ,生徒らに対して国歌斉唱の拒否を殊更煽るおそれがあるとまではいえず,学習指導要領の国旗・国歌条項の趣旨である入学式,卒業式等の式典における国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ,これを尊重する態度を育てるとの教育目標を阻害するおそれもないといえる。

さらに,原告らのうち音楽科担当教員は,音楽科の授業においてピアノ伴奏をする義務を負っているものの,入学式,卒業式等の式典における国歌斉唱の伴奏は音楽科の授業とは異なり、必ずしもこれをピアノ伴奏で行わなければならないものではないし,仮に音楽科担当教員が国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否したとしても,他の代替手段も可能と考えられ,当該教員に対し伴奏を拒否するか否かについて予め確認しておけば式典の進行等が滞るおそれもないはずである。

そして,原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることを拒否した場合に,これとは異なる世界観,主義,主張等を持つ者に対し,ある種の不快感を与えることがあるとしても,憲法は相反ずる世界観,主義,主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めているのであって(憲法13条等参照),このような不快感等により原告ら教職員の基本的人権を制約することは相当とは思われない。

ウ したがって,都立学校の学校長が,本件通達に基づき,原告ら教職員に対し,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱せよとの職務命令を発することには,重大かつ明白な瑕疵があるというべきである。そうだとすると,原告ら教職員は,本件通達に基づく学校長の職務命令に基づき,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱する義務,ピアノ伴奏をする義務を負うものと解することはできない。

(5) 小括

以上検討したとおり,原告ら教職員は,思想・良心の自由に基づき,都立学校の入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱することを拒否する自由,ピアノ伴奏をすることを拒否する自由を有しているところ,違法な本件通達に基づく学校長の職務命令に基づき、上記行為を行う義務を負うことはないものと解するのが相当である。そうすると,被告都教委が,原告ら教職員が本件通達に基づく学校長の職務命令に基づき,入学式,卒業式等の式典において,国歌斉唱の際に国旗に向かって起立しないこと,国歌を斉唱しないこと,ピアノ伴奏をしないことを理由として懲戒処分等をすることは,その裁量権の範囲を超え若しくはその濫用になると認められるから,在職中の原告らが上記行為を行う義務のないことの確認のほかに,被告都教委が上記懲戒処分等をしてはならない旨命ずるのが相当である(平成16年法律第84号による改正後の行政事件訴訟法37条の4第5項参照)。

 

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