櫻井瀧子裁判官(予防)

予防訴訟・最高裁判決・補足意見

 

裁判官櫻井龍子の補足意見は,次のとおりである。

 

本件は,上告人らの訴えが訴訟法上適法であるか否かが争点となっているため,多数意見の大半の部分はそれに答えるものとなっており,上告人らの請求の当否の判断に当たっては,多数意見は,卒業式等における起立斉唱又はピアノ伴奏に係る職務命令の合憲性,職務命令違反者に対する懲戒処分の適法性に係るこれまでの当審の判決を前提に判断したものであるので,改めてその要旨を述べ,本判決に至る道筋を示しておきたい。

 

1 本件通達・職務命令の内容,発出の経緯,教職員の職務命令違反の状況,それに対する懲戒処分の状況は,本判決中第1の2に説示するところである。それとほぼ同じ事実関係を踏まえた上で,起立斉唱に係る職務命令の合憲性については,本判決の多数意見が引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決等において,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきであること等に鑑み,当該職務命令は,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないが,起立斉唱行為は,上告人らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むこと等に鑑み,当該職務命令は,それが結果として上記の要素との関係において歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その限りで上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものということができるとしつつ,そのような間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきであるとして,起立斉唱に係る職務命令が憲法19条に違反するものとはいえないとの判断が示されており,多数意見が引用する最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決においても,ピアノ伴奏に係る職務命令について同旨の結論を採る判断が示されている。また,これらによれば本件通達も教職員との関係で同条違反の問題を生ずるものではないことも,多数意見の述べるとおりである。

さらに,そのような職務命令に違反し,学校が行う卒業式や入学式の式典において起立斉唱しなかった教職員,ピアノ伴奏をしなかった教員に対して行われた懲戒処分の適法性については,本判決の多数意見が引用する最高裁平成24年1月16日各第一小法廷判決において,当該職務命令は,憲法19条に違反するものではなく,学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序の維持とともに式典の円滑な進行を図るものであって,このような観点から,その遵守を確保する必要性があるものということができるとした上で,その職務命令に違反する不起立行為や伴奏拒否行為(以下「不起立行為等」という。)に対して懲戒処分の中でも最も軽い戒告処分を課すことは,法律上は直接的な職務上ないし給与上の不利益を伴う処分ではないことなどから,不起立行為等の性質,態様等の諸事情を踏まえた相当性の観点からも,懲戒権者の裁量権の範囲内に属すると判断できるとする一方で,それを超えて減給処分や停職処分を加重的に課すことについては,過去の処分歴に係る非違行為の内容や頻度等の具体的事情がそのような重い懲戒処分を課す必要性を十分に基礎付けるものである場合などにはじめて裁量の範囲内と判断できる旨判示されている。そして,上記各判決は,不起立行為等に類似する行為による処分歴が1回あったのみの教職員に課された減給処分,不起立行為による処分歴が3回あったのみの教職員に課された停職処分をいずれも取り消すべきものとした。私は,上記各判決の補足意見において,2回目以降の不起立行為等について,都教委ではこのように一律に機械的に減給処分,停職処分が短時日のうちに加重的に課されている事実を踏まえ,このような加重処分の量定は,行為と不利益との権衡を欠き,社会観念上妥当なものとはいえないこと,職務命令が教職員個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることに鑑みるとそのような加重処分は問題が大きく,法が予定する裁量権の範囲とは到底いえない旨を述べたところである。

 

2 本件において,上告人らは,起立斉唱行為又はピアノ伴奏をする義務がないことの確認,起立斉唱行為又はピアノ伴奏をしないことを理由とする懲戒処分の差止めを求めたものであり,その訴訟類型等の訴訟法上の問題は後記3に譲るとして,それらの請求の当否の判断については,以上見てきたとおり,多数意見は,本件においてもこれまでの当審の判示に従い判断したものである。すなわち,起立斉唱行為又はピアノ伴奏をする義務については,前記1のとおり最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決等及び最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決によれば本件通達・職務命令が憲法に反するとはいえない以上,教職員にその職務命令に従う義務がないとはいえないとした。

また,懲戒処分の差止めについては,上記最高裁平成24年1月16日各第一小法廷判決の結論を踏まえ,戒告処分については裁量権の範囲を超え又はこれを濫用するものとは認められないから差止請求は理由がないが,減給処分と停職処分については,前記1の判示のように個別の処分が裁量権の範囲であるか否かは,個々の事案ごとに各個人に他に減給処分や停職処分を相当とする非違行為等があったか否か等の事情を考慮して判断しなければならないものであるところ,本件では,そのような個別具体的な事情の特定及び主張立証がないため判断ができないことにより,結論としては棄却せざるを得ないとしたものである。

 

3 次に,本件は当初4つの事件として提訴され,後に併合されたものであるが,それらの提訴の時期は,行政事件訴訟法が平成16年に改正され,翌17年4月に施行される時期の前後に及んでいる。そのためもあって,訴訟類型の判断や訴えの適法性について,改正法の趣旨を十分に踏まえた慎重な判断を要する事案であるといえる。

平成16年の行政事件訴訟法の改正は,大きく言えば21世紀の我が国の在り方に関わるものであり,行政に対する司法のチェック機能を強化し,国民の権利を実効的に保障する観点から司法制度改革の一環として行われたものである。そのため,その中核に,行政訴訟の訴訟類型の多様化が置かれ,具体的には,義務付けの訴え及び差止めの訴えの法定化,当事者訴訟としての公法上の法律関係に関する確認の訴えの明示化などが行われたものである。

改正前の行政訴訟では取消訴訟が中心であって,義務付け訴訟や差止訴訟は無名抗告訴訟として位置付けられるものであったが,この改正によりそれぞれ別個に条文が設けられ,訴訟要件等が明確に規定された意義は大きい。とりわけ両訴訟とも行政処分を事後的に争うものではなく,事前に救済を求める性格のものであるから,まさに行政に対する司法のチェック機能を強化し,権利救済の実効性を高めることが期待できるものといえる。また,当事者訴訟に公法上の法律関係に関する確認の訴えが含まれることが確認的に明示されたことは,私人と国や地方自治体との間の様々な法律的な紛争について,確認訴訟を行うことによって紛争を抜本的に解決できる場合に活用されるように特に明示されたものとされているものであるから,やはり一般国民に対し種々の行政活動に関する司法的救済の有効活用を促すものといえる。

本件について,差止訴訟と当事者訴訟としてそれぞれが訴訟要件を満たし,訴えとしては適法であるとした理由は,既に本件の多数意見において詳細に述べるところであるので,繰り返しは避けるが,以上のような行政事件訴訟法の改正の趣旨を十分念頭に置き,従来の訴訟法理論,判例理論を踏まえつつも柔軟な解釈に努め,個人の権利救済の実効性を高めることに重点を置いた判断を行ったことを付言しておきたい。

 

4 とりわけ,差止めの訴えの適法性を判断するに際し,懲戒処分の有効性を争う場合には,事後的に当該処分の取消訴訟をもって行うのが通常の形であり,それで足りるのが通例と思われるにもかかわらず,本件の場合に,事前差止めの対象となり得ることを肯定した点は補足が必要であろう。

改正法により新設された行訴法37条の4は,差止めの訴えの訴訟要件について,「重大な損害を生ずるおそれがある場合に限り,提起することができる」とし,重大な損害が生ずるか否かの判断に当たっては「損害の回復の困難の程度を考慮する」としている(同条1項,2項)。本件の懲戒処分は,不起立行為等を行った者に対し,1回目は戒告処分にとどまるものの,2回目から加重処分を行うこととし,2回目は減給1か月,3回目は減給6か月,4回目以降は停職とする方針が採られていることがうかがわれる。このような一律の機械的な処分の加重による減給処分や停職処分の給与上の不利益や職務上の不利益は大きく,しかも毎年必ず2回は行われる卒業式と入学式の式典において,職務命令違反として不起立行為等を行う場合には,2年もすると減給2回(合計7か月),停職1回ということになって累積する給与上の不利益や職務上の不利益は多大なものとなり,事後的な処分取消訴訟ではとても対応しきれない程度に達するものといえ,まさに回復が著しく困難な程度に至るといわざるを得ないものである。単なる不起立行為等に対するこのような反復継続的かつ累積加重的な懲戒処分の課し方は,これまでの他の地方自治体や他の職務命令違反等の場合には例を見ないものであり,その点で極めて特殊な例であるといってよい。多数意見は,このような本件の特殊性を踏まえ,事前の差止訴訟としての訴訟要件を満たすものと判断したものである。

 

したがって,今後,本件事案に関係する職場や類似する事案等において,2回目以降の不起立行為等について減給処分や停職処分が行われる蓋然性が認められる場合に,その差止めを求める訴えは,訴訟要件としては適法な訴えであるということができる。ただ,その場合における本案要件については,提訴者の側において,例えば,現に職務命令が発せられその違反としての不起立行為等を行ったなどの具体的な状況・時点を特定した上で当該違反行為の態様等や過去の処分歴(非違行為)の有無,回数,内容等の個別的な事情を個々の事案に即して主張立証しなければならないことはいうまでもない。

なお,本件では,都教委において,減給処分と停職処分が現に課されており,今後も課される蓋然性があることが認められるが,免職処分については行われた事例が認められず,また免職処分が行われる蓋然性を示す客観的事情も認められないため,免職処分の差止めを求める訴えは処分がされる蓋然性があるとは認められないとして却下すべきものと判断したものである。換言すれば,仮に免職処分も加重的に課される蓋然性が何らかの根拠により認められる事案であれば,その差止めを求める訴えが適法となり,さらには裁量権の範囲を超えるものとして本案要件を満たすものと判断される可能性を否定するものではない。

 

5 前掲最高裁平成24年1月16日各第一小法廷判決における私の補足意見においても補足的に述べたところであるが,教育の現場でこのような職務命令違反行為と懲戒処分がいたずらに繰り返されることは決して望ましいことではない。教育行政の責任者として,現場の教育担当者として,それぞれがこの問題に真摯に向かい合い,何が子供たちの教育にとって,また子供たちの将来にとって必要かつ適切なことかという視点に立ち,現実に即した解決策を追求していく柔軟かつ建設的な対応が期待されるところである。

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