宮川光治裁判官(予防)

予防訴訟・最高裁判決・反対意見

 

裁判官宮川光治の反対意見は,次のとおりである。

 

1 私は,憲法19条違反をいう上告理由についての多数意見には同意できない。上告受理申立て理由第2部第1章については,多数意見と同じく,本件通達が行政処分に当たるとした原審の判断は相当でなく,被上告人らに対する本件差止めの訴えのうち免職処分以外の懲戒処分の差止めを求める訴えは抗告訴訟である差止めの訴えとして,また,被上告人東京都に対する本件確認の訴えは当事者訴訟である公法上の法律関係に関する確認の訴えとしてそれぞれ適法であると考える。しかし,いずれの訴えに係る請求も理由がないとする多数意見には同意できない。憲法19条違反についての私の意見は,多数意見が引用する最高裁平成23年6月6日第一小法廷判決及び最高裁平成24年1月16日各第一小法廷判決における私の反対意見で既に述べており,以下,2において本件の判断に必要な限りでその要旨を述べることとする。そして,3において上記各訴えの適法性について補足的な見解を,4において各請求の当否について反対意見をそれぞれ述べ,5において不起立行為等を理由とした懲戒処分を巡る一連の紛争について若干の所感を付す。

 

2 上告人らが有する「君が代」や「日の丸」が過去の我が国において果たした役割に関わる歴史観ないし世界観及び教育上の信念は,原審が適法に確定した事実によれば,真摯なものであると認めることができる。そして,そのように真摯なものである場合は,本件職務命令が上告人らに求める「日の丸」に向かって起立し「君が代」を斉唱する行為は,上告人らにとって譲れない一線を越える行動であり,上告人らの思想及び良心の核心を勣揺させるとみることができる。さらには,これまで人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として,その魂というべき教育上の信念を否定することになるとも考えられる。したがって,上告人らが本件職務命令に服することなく起立せず斉唱しないという行為は上告人らの思想及び良心の核心の表出であるか少なくともこれと密接に関連するものであるとみることができる。

ところで,教育公務員は,一般行政とは異なり,教育の目標(教育基本法2条)を達成するために,教育の専門性を懸けた責任があるとともに,教育の自由が保障されており,教育の目標を考慮すると,教員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならない。したがって,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならないが,生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面(特別活動である式典もその一つであるといえる。)においては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべきである。

なお,国旗及び国歌に関する法律と学習指導要領は教職員に起立斉唱行為等を職務命令として強制することの根拠となるものではない。そもそも,本件職務命令が基づいている本件通達は,式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく,その意図は,前記歴史観等を有する教職員を念頭に置き,その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に,不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにあるとみることができる。

以上のとおりであり,上告人らが本件職務命令に服することなく起立せず斉唱しないという行為は上告人らの精神的自由に関わるものとして,憲法上保護されなければならない。ピアノ伴奏をしないという行為に関しても,同様に考えることができる。したがって,本件職務命令は,上告人らとの関係ではいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となる。その結果,本件職務命令は,上告人らとの関係では憲法19条に違反する可能性がある。そして,その可能性は高度であると認めることができる。

 

3 本件通達は,行政組織内部における命令であり,国民の権利義務や法律上の地位に直接具体的に法律上の影響を及ぼすような行政処分であるとはいえない。本件通達に基づき校長が個別に職務命令を発するという行為があり,職務命令が発せられた場合に,都教委はこれに違反した教職員を懲戒処分に付するのであるが,いずれについても裁量が介在し,最終的に発せられた懲戒処分が取消訴訟と執行停止の対象となる行政処分とみるべきものである。仮に,原判決のように「条件付きで行政処分を受ける法的効果を生じさせる」という理由で行政処分性を肯定すると,取消訴訟の対象範囲が行政庁の処分に関する通達や条例などにも拡大する可能性があり,相当でないと思われる。原審の判断は,差止訴訟を法定抗告訴訟とし,確認訴訟を活用する等,行政に対する司法のチェック機能を強化し,権利・自由を実効的に保障しようとした改正法の趣旨にも沿わないであろう。

上告人らは,本件職務命令に基づき,入学式,卒業式等の式典会場において,会場の指定された席で国旗に向かって起立して国歌を斉唱する義務又は国歌斉唱の際にピアノ伴奏をする義務のないことの確認を求め(本件確認の訴え),本件職務命令違反を理由とする懲戒処分の事前差止めを求めている(本件差止めの訴え)。後者については,法定抗告訴訟である差止めの訴えと理解できる。その要件である処分がされる蓋然性(行訴法3条7項)は余り重くとらえるべきではないが,原審認定によれば,東京都では免職の事例がないというのであるから,免職に関しては処分の蓋然性があるとはいえないであろう。その余の懲戒処分に関しては蓋然性の要件は充足している。差止めの訴えは,取消訴訟等とその場合の執行停止等では十分な救済が図られない場合があることから法定されたものであり,そのような手段では救済されない損害がなければならない。この補充性(同法37条の4第1項ただし書)は,「重大な損害を生ずるおそれがある」(同項本文)場合であれば,通常,満たしているといえるであろう。本件懲戒処分は,多数意見も指摘するように,反復継続性・累積加重性の点で類例をみない特殊性があり,そうした内容と性質,被る損害の程度及びその回復が困難である程度を考慮すると(同法37条の4第2項),損害の重大性と補充性の要件はいずれも満たしていると考えることができる。

このように法定抗告訴訟たる差止めの訴えが適法に提起可能である以上,無名抗告訴訟としての本件確認の訴えは,懲戒処分の予防訴訟として,実質的に差止訴訟と同様の機能を果たすものであるから,補充性の要件を欠くこととなり、不適法である。しかし,上告人らは,東京都を被告とする事件については,公法上のいわゆる実質的当事者訴訟(行訴法4条後段)として適法であれば,その訴訟類型を選択して判断すべきであるとしている。確認訴訟を活用するという行訴法改正の趣旨からすれば,実質的当事者訴訟の確認の利益に関しては柔軟に考えていくことが相当であると思われる。多数意見が指摘するとおり,差止訴訟は懲戒処分という不利益処分を事前に防ぐが,勤務成績の評価を通じた昇給等に係る不利益を必ずしも予防するわけではなく,処遇上の不利益としては昇給以外にも昇格における不利益が想定される。さらに,退職後の再雇用における不利益等も想定され,そうした不利益を受けるという不安,危険がある(なお,本件職務命令違反を理由とする懲戒処分は差し止められるとしても,本件職務命令自体は存在するのであるから,その遵守に係る行動監視を受けて,違反事実は東京都に報告されるのであり,上告人らの精神的不安状態は払拭されない。)。以上について,上告人らの権利又は法的地位に不安が現に存在するとみて,上告人らの訴えはその除去を包括的に行うことを目的とするものであると考えれば,「公法上の法律関係に関する訴訟」として位置付けることができるであろう。本件では,反復継続性及び不利益取扱いの確実性という類例をみない特殊性があるのであるから,事後的では「回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある」(最高裁昭和41年(行ツ)第35号同47年11月30日第一小法廷判決・民集26巻9号1746頁、最高裁昭和63年(行ツ)第92号平成元年7月4日第三小法廷判決・裁判集民事157号361頁)と言えるであろう。そして、本件確認の訴えは,本件紛争解決のために,「有効適切な手段」(最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2 0 8 7頁)であると思われる。

 

4 多数意見は,免職処分以外の懲戒処分の差止請求と公法上の当事者訴訟としての本件確認の訴えが適法であることを認めながら,本件職務命令は違憲無効ではなく,これに基づく公的義務が不存在であるとはいえない等として,いずれの請求も理由がないとしている。

しかし,前記2で述べたとおり,本件職務命令は,上告人らとの関係ではいわゆる厳格な基準による憲法審査の対象となり,その結果,本件職務命令は,上告人らとの関係では憲法19条に違反する可能性がある。その可能性は高度であると認めることができるので,本件職務命令に基づいて起立斉唱又はピアノ伴奏をする公的義務は存在しないというべきである。したがって,本件差止請求は本案要件(行訴法37条の4第5項前段)を満たしているといえる。本件職務命令の違反を理由とする懲戒処分(戒告,減給又は停職の各処分)は,多数意見が引用する最高裁平成24年1月16日各第一小法廷判決における私の反対意見で述べたとおり,いずれも当然に懲戒権者としての裁量権の範囲を超え又はこれを濫用するものとして違法であるから,憲法判断を留保したとしても,本件差止請求は本案要件(同項後段)を満たしている。したがって,本件職務命令違反を理由とする免職以外の懲戒処分の事前差止めを求める限度において,本件差止請求は認容できる。

公法上の当事者訴訟としての本件確認の訴えについても,本件職務命令は違憲無効である高度の可能性があるのであるから,これに基づいて起立斉唱又はピアノ伴奏をする公的義務は存在しないというべきであり,その確認請求は認容できる。

 

5 いわゆる「君が代訴訟」と呼ばれる事件のうち積極的妨害行為を伴わない単なる不起立行為等について,当審の第一小法廷での判決はこれまで本件を含め8件 (昨年4件,本年4件)を数えることとなる。うち2件は北九州市の事件であるが,6件は東京都の事件である。同種事件の当審判決のうち,第二小法廷の1件(昨年)は東京都の事件であり,第三小法廷は4件(1件は平成19年のピアノ伴奏事件,3件は昨年)あるところ,1件は広島市の事件であるが,3件は東京都の事件である。その他,下級審に係属している事件の分布をみると,全国的には不起立行為等に対する懲戒処分が行われているのは東京都のほかごく少数の地域にすぎないことがうかがわれる。この事実に,私は,教育の場において教育者の精神の自由を尊重するという,自由な民主主義社会にとっては至極当然のことが維持されているものとして,希望の灯りを見る。そのことは,子供達の自由な精神,博愛の心,多様な創造力を育むことにも繋がるであろう。しかし,一部の地域であっても,本件のような紛争が繰り返されるということは,誠に不幸なことである。こうでなければならない,こうあるべきだという思い込みが,悲惨な事態をもたらすということを,歴史は教えている。国歌を斉唱することは,国を愛することや他国を尊重することには単純には繋がらない。国歌は,一般にそれぞれの国の過去の歴史と深い関わりを有しており,他の国からみるとその評価は様々でもある。また,世界的にみて,入学式や卒業式等の式典において,国歌を斉唱するということが広く行われているとは考え難い。思想の多様性を尊重する精神こそ,民主主義国家の存立の基盤であり,良き国際社会の形成にも貢献するものと考えられる。幸いにして,近年は式典の進行を積極的に妨害するという行為はみられなくなりつつある。そうした行為は許されるものではないが,自らの真摯な歴史観等に従った不起立行為等は,その行為が式典の円滑な進行を特段妨害することがない以上,少数者の思想の自由に属することとして,許容するという寛容が求められていると思われる。関係する人々に慎重な配慮を心から望みたい。

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