最高裁への要請書

 最高裁では、必ずしも法廷が開かれるとは限りません。私たちは、法廷を開いて、原告の主張を聞くことを求めて「要請行動」を行いました。同時に、「要請署名活動」も行いました。月に1回、時間を限って、係官が要請を受けるのですが、裁判官に届くかどうかの確証はありません。4次訴訟では15人の原告たちが、要請をおこないました。
私の要請書を掲載します。

2018 年 12 月 4日

最高裁判所第一小法廷 御中

要   請   書

平成 30 年(行ツ)第 283 号
平成 30 年(行ヒ)第 318 号
懲戒処分取消等請求事件
氏名 永原 幹夫

 

原告の永原幹夫です。

2003 年 10 月 23 日、最初にこの通達が発出されたとき、現場の教職員はその影響についておお きな不安を覚えました。だからこそ、予防訴訟という異例の訴訟を立ち上げ、つづく、1次訴訟 (2007 年提訴)では多くの教職員が原告として都教委を訴えました。現場の大多数の教師が抱い ていた、この 10.23 通達が及ぼすであろう教育現場への影響を考えると、職務命令違反を犯してで も立ち上がらねばならないと判断した結果です。

私たち4次訴訟の原告団は、特に 10.23 通達以降の都立学校の変化・変貌について、裁判を通じ て訴えてきました。発出当時に抱いた、不安や疑念などが、その後十数年の時間を経て、現場にど のような影響や結果をもたらし、現実のものとなってきたかを検証しました。職員会議の廃止。多 数決などの採決の禁止。給与体系の改定。退職後の採用制度の変更。等々。これらが現実の学校運 営にどのような影響を及ぼし、その中で 10.23 通達がどのような役割を果たしてきたか。立ち止ま って考える必要性を訴えてきました。10.23 通達の違法性を確認した上で、話し合いの場を設ける 必要があると考えたからです。

このようなことは、教育現場で話し合い、解決されるべき事案であると思います。事実、最高裁 判決の補足意見でもそのように述べられました。しかし、十数年の間、私たちが話し合いを求めて も都教委はかたくなに話し合いを受け入れません。その一方で、最高裁で「当不当の問題として論 じる余地はあり得る」とされた処分量定は、最高裁判決を尊重することなく、逆に、一歩でも、少 しでも、より厳しいものへと、その圧力を強めています。私が 2004 年 3 月の最初の不起立の際に、 東京都人事委員会へ提出した不服審査請求には、陳述書のタイトルを「話し合おうとしない人たち へ」と書きました。当時から、東京都はこの件に関して「問答無用」の態度を一貫して取り続けて います。

ここで、教育基本法の「不当な支配」について、私の疑問を述べさせていただきます。

2013 年、最高裁判所はいわゆる七生養護事件で「不当な支配」を認定しました。私の理解では、 都議会議員である土屋都議の発言に端を発したこの事件は、都議による「不当な支配」に当たると 最高裁は認定し、教員を「不当な支配」から守るべき立場であるはずの都教委に対して、「不当な 支配」から守らなかったとして、職務義務違反と判事したものです。 しかし、本案件は、こともあろうに、私たち教職員を守るべき立場の都教委が「教員の創意工夫 の余地を奪うような細目にまでわたる指示命令」(七生裁判・判決文)を行い、同時に、「従わない 場合は、服務上の責任を問われる」(10.23 通達)ことをあらかじめ明示して、職務命令を発出したものであることを思い出していただきたく思います。 判決では、「性教育」の内容、つまり、教育の内容そのものについては問題とされていません。 「不当な支配」であることを判断するのは卒・入学式等の式典の内容ではなく、10.23 通達が、教 育の現場に対して、直接的に、権力による「支配」がなされたかどうかが問題とされるのです。10.23 通達が、その行為者が都教委だから裁量権の範囲と認めるのでしょうか。都教委は単なる行政機関 の一部に過ぎません。教育の「内容」を指示する権限はないと思います。「10.23 通達」そのもの が、そのような通達を出すこと自体が「不当な支配」かどうかが、論じられるべきと考えます。

私たちは、「法」に関しては素人です。しかし、昔の職員会議では、担当している生徒たちを念 頭に議論を重ね、生徒の成長を図ることを目標として、学校組織としての最善を尽くすことを心掛 けていました。そのような議論を重ねること自体を禁止するような通達に対する、素朴な疑問に裁 判所は応えていただきたいと思います。職員会議は、職員連絡会とされ、挙手による意思表明が禁 止されているのが現状です。そこからは自由闊達な教育は生まれません。 10.23 通達が発出されて 15 年が経過します。教員の多くが、発出後に採用された人たちです。 その間に、15 年の世代が高校を卒業していきました。取り返すことのできない時間が、過ぎてい ったのです。

私たちは裁判で、多くの証拠や証人を通じて、10.23 通達の違法性と戒告処分の無効を訴えてき ました。裁判官には多くのことを理解していただけたと思っています。しかし高裁ではたった一度 の弁論で結審とされてしまいました。そして両判決とも、最高裁が 2012 年に出した一次訴訟判決 の枠組みを超えることはできませんでした。 最高裁の判例の重みをしみじみと感じました。最高裁の判例は、最高裁自身にしか変えられない、 という思いが正直な感想です。時は経過し、事情は変化しています。最高裁は私たちが下級審で検 証してきた事実を受け止め、過去の判例を再検討し、糺すべきは、糺さねばならない責任があると 思います。最高裁には、この訴訟を単なる 4 回目の訴訟と受け取るのではなく、時間の経過を踏ま えた検証の機会と考え、公正な判断をしていただくことを心から要請します。

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