そのうちに 2022.8.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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・・・・・・・月分 はこちら

 

2022.8.29. 憲法前文

自民党の憲法草案と現行憲法を併記し、私見を述べます。
自民草案はH24.4.27に自民党が公表したもので、現行との「違い」を下線で示しています。

現行憲法

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

自民党草案(全面書き換えです)

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

私見(永原)

(A) 憲法の前文は、国家の将来像を描き、その理想に向かって必要な方向性を宣言するものである。したがって、その後に続く憲法の条文と呼応していなければならない。
現憲法は、戦後の混乱の中から独立国家を目指す指針を明確に示していると思う。確かに、戦後の混乱期の影響が色濃く、現代にはそぐわない点もある。しかし、目指すべき将来像や理想は現代でも全く色褪せることはない。
自民党草案は、それに比べて「小学生レベル」である。その理由を指摘してみたい。(採点するとすれば、10点でも20点でもなく、「差し戻し」「顔を洗って・・・」くらいの評価)

(B) まず、意味のない言葉が多すぎる。列挙すると、
「長い歴史と固有の文化を持ち」:(世界中のどの国家も「長い歴史と固有の文化」を持つ)
「天皇を戴く国家」:(「戴く」の意味が不明)
「先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し」:(大戦の反省もなく、また、災害を乗り越えたのは「国民」である)
「国と郷土を誇りと気概を持って」:(「誇り」を持つのは良いが、何を守ろうとしているのか)
「和を尊び」:(聖徳太子を担ぎ出すのか)
「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」:(国家とはそういうもの)
「美しい国土」:(草案を執筆者した人の「美意識」?)
「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」:(国の成長とはなにか、経済活動ではない)
「良き伝統と我々の国家」:(我こそはその継承者?思い上がり)
「末永く子孫に継承するため」:(憲法を制定する理由?)

(C) 話題の「統一教会」との、「共通の単語」が多い。
「歴史」「文化」「統合」「平和」「友好」「」「家族」「教育」「成長」
偶然とは思うが、耳に心地よい言葉が並ぶ。

(D) 全体の基調として、「古き良き時代」「昔の事・物はみんな良かった」という「懐古趣味」が貫かれている。
Q「戻れるとしたら、どの時代ですか」と聞いてみたい。それぞれ大変な歴史を経てきていると思うのだが。

(E) 文章の末尾が、「統治される。」「貢献する。」「形成する。」「成長させる。」、現代進行形の表現で未来志向ではない。そうしなければ国家は崩壊する。
最初の「統治される。」に至っては主語が明確でない。こんな憲法を作られては、国民として不安でならない。

ここまで「添削」してきて、無力感が増してきている。ここまで。「全文差し戻し」が妥当。

2022.8.25. 全数把握

①社会に大きな影響を与える可能性のある感染症に対して、感染症法で、感染が確認された患者の情報を保健所に連絡し、保健所は治療の手配や感染状況の集計を行う。この情報は感染症研究所などで分析され、感染を収束させるための施策に使われる。
ところが、感染爆発で情報処理が間に合わなくなり、現場での大きな負担が問題となっている。そこで政府は、全数把握をあきらめる判断をした。

②全数把握は現状把握になくてはならないもので、感染拡大に対する対策や、将来別の感染症が発生した時の重要な資料となるものである。
ところが、国はこの統計措置を縮小する方針で、その判断を自治体に任せるという。政府の「敵前逃亡」である。国家として取り組む基礎資料こそ、国単位で行うべきで、地方単位・別々の基準による統計資料では意味をなさない。
一方、マスコミなどの報道を見ていると、その情報の多くが海外の研究成果である。感染症研究所の研究成果は、あまり耳にしない。政府の方針も、決定についての理由説明・裏付け資料が何も示されていない。全数把握の資料が、まったく生かされていない。研究所の論文作成に使われているのか、というイヤミも言いたくなる。

③現場の負担を軽減する方法はいくつもあるであろう。
(A) 入力項目を必要最小限にする。未入力のデータは感染が沈静した時の入力すればよい。
(B) データ入力をアルバイトで賄う。医師が入力する必要があるなら、医師が翌日にチェックすればよい。基礎データ(名前・性別・住所など)だけの入力でも負担はずいぶん軽減される。
(例えば、看護師免許の所有者で事情があって現場に入れない人でも、午後の数時間くらいの雇用で十分であるし、それなら応募もあるとおもう。)
(C) 「その日のうちに入力」という義務を外す。報道されている状況では、その日?の集計が発表されるが、数日のデータの遅れは問題ない。

④ともかく、厚労省に「知恵」がない。2類・5類がどうこう言う前に2.5類を仮設すればよい。初めての感染症に従来のシステムを当て嵌めようとしている。ロシアの民話だったか、ベッドの寸法に合わせて、旅人の足を切ったり、無理やり足を引っ張って伸ばしたり。そんな寓話を「地で」やっているようにしか思えない。

⑤2022.8.21. の記事と重複するが、ハーシスを発注するとき、「必要と思われる項目」を思いつくまま列挙したと思われる。170項目というにデータ数は現実的ではなく、案の定「破綻」した。そこに固執しないで、必要性を精査して変更する勇気がない。お役所仕事である。

2022.8.24.② 緊急事態

緊急事態条項は必要とも思えるが、性善説に基づいてはいけない。どのような政治家が現れても耐えうる憲法でなければならない。「閣議」決定が緊急事態宣言の要だが、野党や法律家も含めた組織とし、緊急事態後の「検証」に耐えうる組織でなければならない。
この草案を読むと、現自民党の「お手盛り条項」としか思えない。文章も「憲法」にふさわしくない。

現行憲法

なし

自民党草案

(緊急事態の宣言)

第98条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。

3 内閣総理大臣は、前項の場合において、不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4 第2項及び前項後段の国会の承認については、第60条第2項の規定を準用する。この場合において、同項中「30日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

(緊急事態の宣言の効果)

第99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効果を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

私見(永原)

(A) 添削してみました。(個人的には、この非常事態条項は必要ないと思っています。)

第98条 内閣総理大臣は、閣議にかけることにより緊急事態の宣言を発することができる。宣言するための要件は、あらかじめ法律で定める。
(武力攻撃、内乱・社会秩序の混乱、地震・大規模な自然災害その他のような表現は憲法には「似つかわしくない」)
(宣言のための要件は時代によって変化する。国会の審議が必要。)

2 緊急事態の宣言は、宣言後**日以内に国会の承認を得なければならない。
100日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、100日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
(宣言の承認及び有効期限の表記)

3 内閣総理大臣は、宣言の承認・継続について国会の承認を得られないとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。

4 第2項及び前項後段の国会の承認については、第60条第2項の規定を準用する。この場合において、同項中「30日以内」とあるのは、「5日以内」と読み替えるものとする。
(予算案の議決に関する衆議院の優越)

(B) 相変わらず「法の定めるところにより」のオンパレードである。

(C) 99条の「その他の処分」の意味が不明確

(D) 99条第2項の「国会の承認」は、国会の外に「検証委員会」を設置するべきである。これは「非常事態宣言」の検証も併せて行うべき。

(E) 99条第3項の「国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置」は政治家の常套文句。「その他公の機関」の範囲は?。
基本的人権を「最大限尊重」とあるが、具体性が無ければ守られないことは、歴史から明らか。

2022.8.24. 憲法改正

①自民党の憲法草案と現行憲法を併記し、私見を述べます。
自民案はH24.4.27に自民党が公表したもので、現行との「違い」を下線で示しています。

現行憲法

第96条 この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを交付する。

自民党草案

第100条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を交付する。

私見(永原)

(A) この項のポイントは、国会決議の要件を「三分の二」から「過半数」に変更することである。以前、安倍さんが「たった三分の一の反対で憲法を改正できない」と発言したことが気になる。この言い方に倣えば、「過半数を取れば、憲法を発議できる」ことになる。選挙制度の変更で、与党にとっては「過半数」は容易である。というより、過半数の連立政権を作れば与党となり、憲法改正ができることになる。これは危険であり、国政の混乱を招く。
なお、「法律の定めるところにより」のフレーズがあるが、現行憲法にも「国民投票」の規定がない。その中に、「海外在住」や「オンライン」などの投票権を早急にけっていし、「国民の同意」を得るべきである。

(B) 私見だが、「国民投票の過半数」は妥当だろうか、昨今の欧米の国民投票の状況を見ていると、国民の意見が真っ二つに割れているとき、国民投票が僅少差でどちらかに決まることは危険ではないか。むしろ、国民投票こそ「三分の二」とするべきではないかと思う。

(C) 第2項で「国民の名で」が、削除されている。天皇は内閣の助言で国事行為を行うが、憲法は国政を縛る法律であるから、政権与党の思惑で行うものではない。天皇は日本国民の象徴であるから、「国民の名で」は必要と思う。

2022.8.21.② 非ユークリッド幾何学

①8月7日の続き。

②地球のような球体の表面で「幾何学」を考えてみる。
「直線」は大円(注)と考えられる。異なる2点を結ぶ直線は、球面上での「最短距離」を表す。直線状をまっすぐ進むと、一周してもとの地点に戻る。異なる2直線は必ず2点で交わる。球面上で三角形を作ると、内角の和は180度より大きい。非ユークリッドの最も単純なモデルである。
注:大円:球をその中心を含む平面で切った時の切り口を大円。対して、中心を通らないとき小円という。

③学生のころ、アインシュタインの相対性理論の子供用の読み物で、まっすぐ宇宙を進むと「元の位置に戻る」とあった。光は直進するものと思っていたら、重力で曲がるとあった。②の話と瓜二つである。どうやら、われわれの世界は、非ユークリッド幾何学の世界のようだ。今では、宇宙の「直径」という概念が、小学生にも浸透している。ならば、その「外の世界」を見てみたいものである。

④さて、そうなると「点」とか「直線」・「交点」などという言葉の概念が揺らいでくる。昔は、「点とは位置があって長さのないもの」とか、「直線は長さがあって面積のないもの」などと表現されていたころもあったが、幾何学の基本概念が揺らいできて、何らかの整理が必要となってきた。20世紀初頭、ヒルベルトは「点とか直線の哲学的な論争は避けて、その関係性の研究を「幾何学」と名付けよう」と「幾何学の公理化」を提唱して、20世紀の数学の方向性を示した。

⑤ヒルベルトの本を読んでいたころ、経済学部の学生の読書会に参加したら、マルクスの「ドイツイデオロギー」の中に、「個人や家族・会社・社会などの解釈はやめて、その関係性を研究しよう」という方向性が示されていることが話題になった。ほとんど同時代に、数学と経済学の全く異なる分野で、並行して同じような発想が示されていることに驚いた。
ついでながら、経済学の講義の中で教授が「マルクスは個人の人間性を捨象して資本論を書いたが、資本論の後に人間性と経済の関係を研究する計画であった」と言っていた。その研究は未完に終わったが、完成していればマルクスの印象は大きく変わったものになっていたのだろう。

2022.8.21. HER-SYS

①新型インフルエンザの全数把握が話題になっている。問題になっているのが、HER-SYSを使っての国への報告システムである。聞くところによると、120項目にわたる入力項目があるという。私たちがワクチン接種時の問診票でも20項目くらいだから、その6倍。患者の名前や電話番号もあり、それに基づいて保健所が手配するので、誤りは致命的。現場の話だと5分以上かかるという。10人で50分、20人で100分。昼間の診察を終えて、深夜の作業になるという。

②現在は、7項目に絞って、簡略化が図られているというが、実際の診療時間以上に報告に時間がかかるというのは、どこかに問題があるのではと感じる。

③例えば、診察時に「既往症はありますか」という質問で済むところを、心臓・呼吸器・腎臓など項目ごとに既往症の「有無」を入力しなければならない。確かに「受け取り側」にすれば、考えられるすべての項目の状況が把握できるに越したことはないが・・・。

④私の経験でいえば、郵便局のオンラインシステムに入ると、根掘り葉掘りの質問項目と、必要ではあるが過剰な説明文があり、項目ごとにチェック欄から「了解」を入力しなければならない。民間の銀行などを利用する場合と比べて倍以上のステップが必要になる。「お役所仕事」を絵にかいたような状況である。同じような現象がハーシスでも起こっているのではないか。

⑤役所からソフト会社にシステムを発注するとき、入力項目などを指定することはもちろんであるが、「利便性」も具体的に指示しないと、請け負ったSE(システムエンジニア)は「気を利かせて」システムを設計することはしないし、費用の見積もりもしない。それ以上の仕事は「絶対にしない」。未入力項目への対処などの細かい指示も必要になる。このあたりが役所独特の「丸投げ」になっているのではないだろうか。

⑥「ココア」での問題が生じたときも、仕様書の対応が指示されていたのか。指示がなければ、修正するには別途、費用がかかる。運悪く制作したSEが在職して居ればよいが、そうでなければ担当者変更・別会社への発注となれば莫大な費用がかかる。税金の浪費である。

⑦デジタル庁が話題になっているが、規模を大きくすれば「必要なデータ」は増えるし、個々のデータの信頼性と最新性?が必要となり、その人員・人件費を賄えるのであろうか。ただでさえ、人口減少と財政の緊迫の時代を控えているのに。

2022.8.20. 戦争の放棄

①自民党の憲法草案と現行憲法を併記し、私見を述べます。
自民案はH24.4.27に自民党が公表したもので、現行との「違い」を下線で示しています。

現行憲法

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

自民党草案

(平和主義)

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)

第9条の2 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

2 国防軍は前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を起こした場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保証されなければならない。

(領土の保全)

第9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

私見(永原)

(A) 第9条の2、3、4、5にある「法律の定めるところにより」という文言は、憲法の主文としては何らの規定にならない。為政者は自由に「法律」を作ることができる。
つまり、憲法には何も定めていないことに等しい。逆に、法律を定めれば「何をしてもよい」と「お墨付き」を与えている。
たとえば、第9条2の第2項では、「国会の承認を必要としない事項」を法律で定めれば、何をしてもよいことになるのだから。
また、第3項の、「公の秩序を維持」や「国民の生命若しくは自由を守る」という文言は、かつて戦争を始めた為政者の常套文句である。

(B) 第9条の3などは、「蛇足」としか言いようがない。憲法に書くべき内容ではない。
この項は、為政者が戦争を始めるときの「理由付け」に使われることが関の山。

(C) 憲法は、為政者が暴走することを防止することが最大の目的である。そのことを、どのように表現するかが課題で、「法律で定める」は最悪な表現。玄関を開放して、「土足でどうぞ」と言っているに等しい。

2022.8.19. 信教の自由

①自民党の憲法草案と旧統一教会のそれとが似ているという。旧統一教会の草案が手に入らないので、自民党案と現行憲法を併記しておきます。
自民案はH24.4.27に自民党が公表したもので、現行との「違い」を下線で示しています。

自民党草案

(信教の自由)

第20条 信教の自由は、保証する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

現行憲法

第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

私見(永原)

(A) 冒頭の「国は」と「宗教団体も」とあるように、主語が変化している。この違いがよく分からない。
追記:現行の「何人に対しても」は、宗教の自由を侵す団体が国でも宗教団体でも成り立つ。一方、自民党草案ではその点を「ぼやかし」第3項で例外規定を設けている。
追記:自民党草案では「宗教団体は政治上の権力を行使してはならない」が削除されている。その影響には、深~~い意味が???。(8/24)

(B) 第3項では、自民党案の、「 社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」とあるが、その判定は国・為政者が行うことになる。
時の権力者の判断を「例外規定」で保障することは、憲法の理念に反する。憲法とは時代にや人によって左右されない恒久的な「理念」を宣言するものである。
例えば、「国旗掲揚」とか「靖国参拝」に対する考え方を為政者に保障することになる。また、第2項の「参加を強制されない」と自己矛盾をしている。

(C) この(信教の自由)にとどまらず、現在問題となっている事案を「自民党の都合の良いように」解釈することが出来るようになる。

(D) 第3項の「その他の公共団体」の範囲が不明。公共団体の意味する範囲は広く解釈される。

2022.8.15. 戦後77年

①ヒロシマ・ナガサキの報道を見ていて、不思議な現実に思いを馳せた。

②原爆投下の直後、人々は何が起こったか理解できず、「生き延びる」ただそのことだけに必死であった。一般国民も情報統制で「新型爆弾」程度の認識でいた。
わけが分からないうちに、8月15日を迎え、荒廃した焦土に立ち尽くすこととなる。私が違和感を持ったのは、その時の日本人の、連合軍とりわけアメリカ軍に対する「反米感情」の変化である。

③戦後の東アジアでの「反日感情」を和らげる努力が十分であったとは思わないが、1964年の東京オリンピックを契機に、東南アジアでは徐々にではあるが和らいでいった。しかし、現在でも決して十分とは言えない。

④私は、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下平和憲法の制定が大きな要因を担っているように思う。原子爆弾の効果は、それまでの通常兵器と異なり「逃げることのできない」兵器であり、「立ち向かうことのできない」兵器であった。事情が分かるに従って、投下したアメリカに対する反発・怨念などが生まれて来るであろうことは想像に難くない。そこに平和憲法が発布された。

⑤大きな敗北感を背景に、「戦争はこりごり」・「民主主義への価値観の大転換」の中に「戦争の放棄」が打ち出された。二度と戦争は起こさないことが憲法に明記され、学校でも教えられ、社会にも浸透していった。その結果、「反戦」ではなく「非戦・非核」へと意識が変化したのではないだろうか。通常なら戦争を起こしたことへの反省、戦争を起こさない国の建設が目標となるところだが、一足飛びに「戦争の放棄」へと進行したため、ヒロシマでは、純粋に「世界の非核」を目指すようになったのではないだろうか。

⑥そこには、原子爆弾の投下国であるアメリカへの非難を飛び越えて、「人類の生存」を掲げた「非核」の概念が生まれた。
70年以上経過した後とはいえ、投下国のアメリカ大統領が慰霊に訪れ、100か国近い国の代表がヒロシマに集まり、たとえパフォーマンスであっても、招待されていないロシア大使が2日前にヒロシマを訪れ、「核の不使用」を発言する。

⑦これらの現象は「核のない世界」が「理想にすぎない」と言う人もいるが、その理想社会が「世界標準」との共通認識を得てきた証拠と思う。被爆者が苦しみや怨念の意識を乗り越えて、「世界平和」の礎を築いてきたことに、私の言う、「体験」が「経験」に昇華した過程を感じる。被爆の体験者が減少する中、抽象的な「経験」を理解し伝えていくことが必要である。

⑧いまだに、世界中で戦争は絶えないが、戦争を戦った双方がその「体験」の不毛に気づき、「非戦」の努力をするべきだと思う。「戦争の放棄」は一筋の光明である。

(注)「反戦」という言葉には、「正義の戦争」「避けられない戦争」「防衛のための戦争」などが含まれる、適当な語がないので「非戦」という言葉を用いた。

2022.8.7. ユークリッドの原論

①たまには数学のお話。
紀元前3世紀に、幾何学を体系的に編集した教科書が出版された。その後、実に20世紀初頭まで「基本的な教科書」として存在した。超ロングセラーである。
特徴は、公準と呼ばれる「誰もが納得できる基本事項」から、それまで知られていたすべての幾何学の定理を導き出したことである。

②その公準は、次の5項目です。
1.任意の1点から他の一点に対して直線を引くこと
2.有限の直線を連続的にまっすぐ延長すること
3.任意の中心と半径で円を描くこと
4.すべての直角は互いに等しいこと
5.直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さい場合、その2直線が限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側で交わる。
(「三角形の内角の和は180度」と同値)

③この5個の公準から、すべての定理を導き出したのであるが、「第5公準」が他と比べて「定理」のように見えることから、第1~4公準から第5公準を証明できるのではないかと考え、数学者の努力は2000年以上続いた。しかし、すべての努力は失敗した。
20世紀初頭、ロシアのロバチェフスキーらにより、第5公準を満たさないような、「新しい幾何学」の存在が示された。「非ユークリッド幾何学」の誕生である。

④当時、ロバチェフスキーはその発見が受け入れられず、モスクワ大学の図書館館長として失意の中で没したという。

⑤余談:ユークリッドが5個の公準から「最初に」証明した定理に興味を持って調べたことがあるが、なんの変哲もない、意外な定理であり、証明も冗長であった記憶がある。その定理を最初に証明したことには「深~~~い」理由があるのだろうが、想像さえできなかった。興味ある方は、調べてみるとよい。

2022.8.6. 内閣改造

①岸田さんが内閣改造を急ぐという。

②旧統一教会との関連を厳重に調査して行う。

③なるほど、安倍派がほとんど入れないということか。

④転んでも、ただでは起きないんですね。

2022.8.6. 原爆忌

①日本には忘れてはならない日がある。12/8・8/15、8/6・/9、3/10。当時の被災者が高齢となり、「戦争体験」の継承が話題となっている。大切なことだと思う。私も両親からは、二人の戦争体験を何も聞かずに終わった。しかし、別の一面から、大きな危惧を抱いている。

②私はよく「体験」と「経験」という言葉を使う。「体験」は当時生きていた人たちはすべての人が「体験」せざるを得なかったこと。今でも思い出すであろうし、無意識の夢の中でもよみがえるであろう。忘れてしまいたいことであろう。のちの時代に生まれたわれわれには、「理解」を超えたもので、だからこそ「体験」なのである。その「体験」を後世に引き継ぐためには、「体験」を「経験」に「昇華」させなければならない。そのためには「戦争」というものを感性ではなく智性で理解する必要がある。決して「体験」を否定するものではなく、「体験」を土台に、昇華させる努力が今こそ必要とされているのではないか。このHPで紹介した、品川正治氏の講演にそのヒントがあるように思える。

③戦争は殺し合いである。相手は見ず知らずの、自分と同じように招集されてきた人間である。引き金を引いた先に、人が倒れるさまを記憶している人も多いだろう。けっして追体験できない悲惨な記憶であろう。そこに焦点を置くことが「否戦」を考えるときのポイントかと思う。戦争に反対(反戦)ではなく、戦争そのものを否定することが必要。

④一方、「家族を守る」という視点に立つと、戦いは、ある程度容認できる。しかし、いつの間にか、それが「国を守る」に置き換えられたとき「戦争」が始まる。戦争がどのようにして始まるかを考えていると、始まるときには既に止められない状況になっていることに気づく。先の太平洋戦争で考えると、真珠湾前夜、戦争をやめようと言うことができただろうか。負けると判っていても止められない。誰が何を守っていたのか、守ろうとしていたのか。みんなが「わからなくなって」いたように思う。

⑤戦争を避けようとするなら、戦争に追い込まれる国際情勢を避けることしかない。私は「憲法9条」しかないと思う。戦争の放棄を旗印に、世界に訴えかけることしかない。「理想論」という意見が一般的だが、人類は理想に向かって進むしかない。攻められたらどうするのか、その時は戦うしかない。戦い方は銃や戦車ばかりではない。戦争することを前提にお互いの軍備を強めていったら、いつかは崩壊する。ホーキンスが言ったように、「進化は社会を不安定にする」。防戦と言いながら、戦いの進化を進めてはいけない。

2022.8.5. 旧「統一教会」②

①茂木さんが、「自民党が組織として関与したことはない」と発言しているが、・・・。もし、関与していたら、政権与党が憲法に反する行動をしたことになり、「解党」に追い込まれることは必然になる。つまり、関与していないことが、「あたりまえ」。しかし、個人単位では「関与していた」事実が次々と明らかになり、その中心人物がもと総理から、祖父へと時代をさかのぼって波及していく事態となってしまった。

②そもそも「統一教会」が政治と宗教の統一を掲げているなら、積極的に政治の世界へ侵入していこうとするのは、自然である。方法として、献金・選挙協力・集票はその第一歩であろう。「勝共連合」のように対抗勢力として、「家族」というフレーズを通して「家父長制」という思想、「平和」という名の隠れ蓑などなど。そのような攻勢に、選挙に有利という目先のニンジンに食らいついたのが自民党だった。

③今日になって、下村さんが「旧統一教会」と決別すると発言した。逃げ切れないと覚悟したのは諦めが良いとは思うが、他の国会議員(自民党)は、「調査中」「知らなかった」「秘書が」などと逃げ回りながらも「間を置く」という程度で、決して「決別する」という表現を使わない。もしかして、そうとうな「弱み」を握られているのではないだろうか。選挙だけを考えれば、数十万単位の票数で、大きな力にはならないが、教団名の変更が大臣クラスへの圧力から実現したとなると、病根は「深い」。野党の検討を祈る。

2022.8.4. HER-SYS の破綻

①新型コロナの集計システム、ハーシスが破綻している。情報の入力が全く追いついていないということです。報道内容をつなぎ合わせると、一人当たり50項目の入力が必要で、一人当たり5分は必要だという。医療機関では100人の新規入力が必要で、・・・。
例えば、既往症の有無をそれぞれの症状ごとに記入、ワクチンの接種状況など。テレビの画面を通しての情報ですみません。

②これに限らずだが、かねてからの私の心配が表面化したのではないかと、不安に思っている。つまり、情報のコンピュータ化を進めることは必要だが、情報を「完備」することには膨大な労力を必要とする。自動車の自動運転が進んでいるが、交通標識などの情報の「完備」があってこそで、入力ミスがあると事故につながりかねない。センターラインを検知するとすれば、土砂でラインが覆われるような状況があると無効になる。当然、そのような事故に備えて対策は考えられているのだろうが・・・海外に輸出するときは、そのインフラも条件となる。

③ハーシスの50項目について、政府は「必要最少限に項目を絞る」という(7項目とのこと。最初からそうすればよいのに。また、都と国・他に3回入力とか。どこかのTVコマーシャルは2回で絶叫していたが・・・。)
医者であれば、患者の様子を数項目の観察でコロナ判定をできるだろうし、それをカルテにメモすれば済むところを、数十項目の欄に、それらの症状の「有」・「無」を入力しなければならない。教育に携わっていた経験からも、生徒の特長をメモまたは記憶すれば済むことが、生徒のデータをコンピュータ管理しようとすれば、多数の項目の入力が必要になる。

④囲碁や将棋では、昔のソフトは「あらゆる手順」から「最良手」を選んでいたが、最近は「必要な」もしくは「有効な」差し手のみを検討するという。それが本来のコンピュータの利用法だと思うが、マイナンバーなどの話を聞くと、何もかも結びつけてしまうというので、その有効性が覚束ない。まして、それぞれの情報の正確性が必要になるが、可能だろうか。

2022.8.3. 旧「統一教会」

①「懐かしい」と言っている場合ではないのだが、・・・。

②60年安保は、当時10歳で記憶も覚束ないが、70年安保は学生時代で「当事者」でいられた。連合赤軍などの問題もあって、政府とは「勝負あった」感がぬぐえない。フレッシュな学生の私にとっては政治と向き合う初めての経験であった。学生の真摯な活動として、社会の理解と応援があった最後の世代のような気がする。
その後、統一教会や原理研が、そしてオーム真理教事件が起こり、学生は「政治と宗教」から離れていった。

③20歳前後の若者にとって、政治や宗教を通じて「社会と個人」のことを考えることがいかに重要なことであるかを、今一度考え直す必要があるのではないかと思う。私は環境問題に関心が集中したため、政治の世界も宗教の世界も「足を踏み込まずに」社会へ踏み出すこととなった。

④いまから思うと、政治・宗教に無関心な若者というものが、想像がつかない。年寄りの若者批判に陥りそうなので、今日はこの辺りまで。
しかし、現在のZ世代と呼ばれる世代の問題点が、ここら辺に始まっているような気がしてならない。

 

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