そのうちに 2024.3.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2024.3.30. プベルル酸

①小林製薬も厚生省も報道も、論理性に欠けるので整理しておきたい。

②まず、プベルル酸が同時に作られたサプリメントから検出されたというが、同時に数種類の化合物も検出されている。状況証拠や過去の経験からプベルル酸が最有力というだけで決めつけてはいけない。有毒性すら検証されていない。あたかも原因を突き止めたのに、小林製薬が隠蔽しようとしたかのような報道が目立つ。

③次に、小林製薬は「断定できない」ことを断って厚生省に届け出ているので瑕疵はない。しかし厚生省の扱いが異なり、一つだけ発表するという理由も示さずプベルル酸のみを発表。このままプベルル酸のみを追跡するとしたら、もし間違っていた時、真実の追及が大幅に遅れる。犯罪捜査で言えば誤認逮捕で真犯人の逃亡を助けるようなものと思う。

④そもそも小林製薬が「未知の物質」という用語を用いたところに混乱があるのではないか。正しくは「想定外の物質」ではないかと思う。たとえば、通常の紅麹から分泌されるシトリニンという有毒物質があるが、それが「分泌されない株」を使っているとのことだから、異物の検査は可能性も含めて厳格に行っているはず。「未知」という単語で混乱を招いてしまったのではないか。

⑤また、報道関係の質問に対する説明が及び腰で、技術的に「できないものはできないし」「わからないものはわからない」のであって、真相の究明が急がれる中、研究者を信じるしかない。「非」を追及している時ではないと思う。ま、政治家の裏金の状況を見ていると判らないでもないが・・・。

補足 : プベルル酸は青かびから分泌され、青かびは有毒性のある物質を分泌する傾向がある。この論理で絞り込まれているようです。有毒性の少ない物質は研究対象としては軽く扱われる。毒性が低くても濃縮され長期にわたって服用されれば有毒である。シトリニンは赤麹から生まれるが、シトリニンを分泌しない株を使用しているという。

2024.3.30. サプリメント

①この機会に私の経験から、ひとこと。

②15才の時、抗生物質の副作用で骨髄細胞が損傷して白血球が十分に作れないという病気になった。その時、命を救ってくれた医師の言葉が印象に残っている。
医師は、「総ての薬剤を絶ってください」という。心配な母は、「栄養は十分か。せめてビタミン剤などは?」と聞く。医師は、「現代の世の中で普通に食事をとっていれば、栄養に問題が起こることはない。むしろ余剰分を排出することに体力が使われる。」、「破壊された細胞の新陳代謝を待つことが、最短の治療です」と答えた。結局、自然治癒までに3年かかったが、以後50年間、数えられるほどの薬物(歯科・予防接種)の使用で健康を保っている。

③今回の「紅麴」事件では、麹菌が分泌する成分がコレステロールを減らす効果がある、というところから始まった。

④第一の問題は、麹菌が分泌する成分はわずかであるが、サプリメントとする段階で(おそらく)100倍から1000倍に濃縮しているであろうこと。コレステロールを減らす意味では効果があり他の器官に副作用が無いことも確かめられているのだろうが、余剰の成分を体外に排出するだけでも腎臓には大きな負担をかけているであろうことは当然である。必要なものを必要なだけ接種することがベスト、人類はそれに適合するように進化してきているはず。バランスを崩してはいけない。

⑤第二の問題は、生産性の合理化のため、1社で大量生産して多種の企業に卸していた点。地方ごとに必要な分量だけを生産していれば、たとえ有害物質が生じても短期・少量で被害はなかったはず。大量生産のロットが生産され、長期にわたって同じ不良品が販売されていたことも今回の事件の要因と思う。

⑥人間の体は進化の過程で自然界に十分な適応をしてきている。思い付きで特定の化合物を大量に摂取することは危険である。合成着色料が話題になった時期もあるが、「サプリメント」の調整でコントロールできるほど単純な仕組みではない。

2024.3.25. 千秋楽

①まずは尊富士の優勝、おめでとうございます。近くの店に同門の力士が来るので、そのうちにと思っていたが当分忙しいでしょうね。

②千秋楽を見ていて、「相星」の取り組みが多いのに気付いた。特に7勝7敗どうしの組み合わせは、どちらが負けても・・・などと、勝負を離れて「人情論」になってしまう。勝負事なのにと思いながらも、いろいろ考えてみると「改善のあと」が見えてきて、相撲協会の努力が垣間見えた。

③「相星」どうしの組み合わせは、100人くらいの全力士の中で個別の力士の実力がどの位置にあるかを、15日間にわたって毎日チェックしているようなもので、力士にとってはなんとも過酷な制度だと思う。見ているほうはそれが楽しみになるのだが。

④むかしは初日に15日間の取り組みが発表され、何日目に誰と当たるかがわかり対策もできる。欠場力士が出ると、やたらと不戦勝が目立ったものである。同部屋の組み合わせもなかった。コンピュータや印刷・情報などの技術の進歩の結果だと思うが、相撲協会の努力でもある。

⑤他の競技では、1点を争うサッカーなどは1次・2次予選をしたりホーム・アウェーの二国開催や年齢制限をしたり試行錯誤が見られる。トーナメントでは卓球のように3位決定戦を行わない競技があったり、高校野球のように厳格に「勝ち残り」を守っている協議もある。

⑥ルールはそれぞれに理由があり、過去にとらわれず勇気をもって改善している競技がファンを増やしているのではないか。

追記 : 高校野球は特に東京代表が過酷である。一方、地方に全寮制の学校を開き全国から選手を集める状況もある。教員の労働軽減を理由に「外部指導者」の導入が勧められている中で、クラブ活動と市民スポーツの関連を見直す時でもある。

2024.3.21. NISA

①私の個人的な感想ですが、NISAというエサで退職者のみならず若者達からも「投資」という名目で経済を活性化しようとしている政府が「なさけなく」、参加したくないというのが気持ちです。本音を言えば、そもそも、そのような資産が無いというのが事実なのですが・・・。

②今日は、朝から「ギャンブル依存症」という言葉が飛び交っていますが、数学的に言うとギャンブルは資金を持っているプレイヤーが勝つのが原則です。確かに少額を賭けても勝つときもあります。でも、勝ち続けることはなかなかありません。問題は、負けた時どうするか、です。

③私の基準は、例えば10万円を儲けることを目標にするときは、10万円負けても「笑って」再挑戦することが出来るかということです。何回か失敗しても、生活を変える必要が無い状況かどうかです。在職中は、たとえ失敗しても「給料日までの辛坊」で済まされます???。なけなしの金を叩いてはいけないということ。

④10万円を儲けるにはどれくらい投資すればよいかを考えると、利潤率5%で200万円です。5%というのはバブルの最中の定期金利くらい。この時代は預けておくだけで元金保証で受け取れる利益でした。しかし、200万が190万になって「笑って」いられるでしょうか。そのためにはどれくらいの資産があれば良いのでしょうか。老後の蓄え、2000万必要と騒がれた時期がありましたが、退職後の身分で、「笑って」いられるでしょうか。

⑤20代30代の挑戦は、やり直すことができます。しかし、相当な苦労と努力が必要です。それができるのが「若いうち」です。しかし、NISAのような方法では・・・。NISAは資産家のための制度、若者が真似をするものではないと思います。そんな夢を見たいという気持ちはありますが。

⑥それにしても、半世紀前、非正規で仕事を経験して・・・と言っていた政府のやり方と似ているような気がします。実際に「自分に合った職業」に着いた人は良かったのですが、現在40代50代で苦労されている人も多いと思います。

2024.3.20. 満開の桜

①桜前線が近づき、満開まで1週間とか。最近は「写真」に趣味が無くてもスマフォで楽しめるようになりました。そこで、ひとこと、よけいなことを。

②タイミングとしては、満開ではなく、三分咲きから七分咲きの頃が最も良い写真が撮れると思います。満開の桜だと、開花した花と花との合間に散ってしまった花の「額・がく」が写ってしまいます。七分咲だと隣に写るのは開花前のつぼみになります。その方が「絵になる」のです。「映える」のです。

③人間は勝手なもので、現場に行くと真っ先にきれいなものに目が行きます。きれいなものを注視するのは自然な現象です。マイナスの要素には気付かない。場合によっては無意識に「避ける」こともあります。しかし、プリントして「写真」として固定してしまうと、これも人間の性、ついついあら捜しが始まります。

④本格的に「写真」と取り組むようになって、「人に見せる」写真を意識した時、画面には予想もしないものがチラチラ写っていることに驚かされました。道端の花を撮ると枯れた葉や枝、場合によってはゴミが落ちていることもあります。最近、都心の街を撮っているのですが、看板や宣伝カー、街行く人々、ゴミ箱や街路樹の折れた枝など予期せぬ物が画面の隅に写っています。人の顔が識別できる状態で入っていないことが「発表の条件」です。

⑤見た目で人を判断してはいけないと言われますが、初対面の「良い印象」は大切にした方が良いような気がします。逆に、「親友」になることは、全てを受け入れる覚悟がいるようです。

2024.3.16. テロメア

①人間も含めて生物を構成する細胞が分裂するときのお話。私の雑駁な知識を整理して、紹介します。誤りがあれば、お知らせください。

②細胞は常に新陳代謝を行うために細胞分裂を繰り返している。その際、遺伝子の二重らせんが解けてコピーが始まる。
「ひも状」の遺伝子を「端から順番に」コピーするのだが、往々にして端点のコピーがうまくいかないことがある。遺伝子が破壊されるので細胞は死ぬ。そういう「支障」を防ぐため端点は「テロメア」という構造で、多少間違っても、最悪短くなっても遺伝子の働きに影響を与えないような仕組みになっている、そうだ。

③この部分が無くなると細胞分裂が失敗し、細胞は「老廃物」として排出される。この「テロメア」が伸長することもあるそうで、食生活も影響している、そうだ。しかしテロメアがなくなると、細胞の「死」を招き、いわゆる「老化」の原因にもなる。半世紀前、遺伝子再生で生まれた羊の「ドリー」は、このテロメアが短かったという。遺伝子再生では寿命を延ばすこと(生まれ変わり)はできないようだ。

④しかし、生殖細胞を作る「減数分裂」の際は、このテロメアは本来の長さにリセットされるそうだ。このような理由で、生命には「寿命」がある。ヒトの寿命はどんなに伸ばしても200歳と言われている理由である。テロメアを伸ばすことが出来れば「永遠の生命」も可能と思われるのだが・・・。

⑤ウイルスのような原始生物の中には円形の遺伝子を持つものがあり、テロメアは必要ないものもあるが、遺伝子の変化による「進化」が望めなくなるという。また、ソメイヨシノのような突然変異植物は、実を結ばないため(生殖細胞ができない)テロメアは更新されない。このままいくと絶滅種となる。桜並木は順次、他の桜品種に交替されていて、気付くとソメイヨシノは写真の世界に残っているだけになる。さみしいが。

2024.3.15. 武器輸出

①日本が武器輸出を容認する方向で動き出した。「転がりだした石は止まらない」という重いで述べておきたい。

②戦闘機は国を守るためと言われるが、所詮「人殺しの道具」。相手が日本に攻め込んだ国であっても、殺されるのは「相手国の市民」。

③「きれいごと」と言われるが、「国民を守る手立て」は他にもあるはず。一度武器輸出を認めれば、「平和国家」にはもどれない。

④岸田さんの心の中は、「経済再建」の近道は「軍需産業」ということなのか。それで国民は幸せになれるのか。

⑤与党合議で決めることではない。国民投票ものだと思うが、みなさんは、いかが?

2024.3.15. マルハラ

①そもそも、日本語には文字がなかった。そこに中国から漢字が伝わり、カタカナ・ひらがなが作られ、漢字の中国読みから「音読み」、日本語に合わせての「訓読み」ができ、当て字などの工夫もされて、世界でも難解な言語世界ができた。

②「句読点」が漢文を読むときの「ここまで読んだ」という目印だったという話もあり(本当?)、句読点は明治のころの発明かな?という話もあり、発生は最近のことと初めて知った。
逆に考えると、SNSやショートメールに慣れた現代人??にとっては句読点は不要なものになりつつあるのかと思う。

③英語やドイツ語などを読めることが教養人の証し?であった明治の人たちは、「カンマ」や「ピリオド」が当たり前なので句読点も自然に受け入れられたのではないか。

④思えば句読点は、「詩」などには使わないし、俳句や短歌などには無縁の世界。むかしポーランドの作家の小説で、100頁以上句読点の無い文章で訳されていたものがあった。叙事詩のようなジャンルに入るのであろう。

⑤要は、伝えたいことが明確に伝われば良いのであって、英語などは単語ごとにスペースがあるが日本語の文字は粘着性があるので句読点が必要になるのではないか。私もこの欄に思い付きを書いているが「正確に伝わること」を考えると句読点が増える傾向にある。「誤解を招くような」表現を「するのか避けるのか」、それが問題。必要に応じて使い分けているのが「霞が関文学」。

⑥「。」があることによって、「圧力を感じる」などと言わないで、必要に応じて聞き流す(読み流す)ことが必要。このことが問題視されること自体が別の問題。

2024.3.10. 3.10.

①東京大空襲が忘れ去られようとしている。当時の写真を見ると、今のガザでありウクライナである。いずれも「人類の力」で避けられたことというのが私の想い。

②「天災」という言葉がある。「いつかは起こるもの」「避けられないもの」「協力して復興するもの」というようなニュアンスで使われるが、大切なことは、「可能な限り準備しておく」「少しでも早く復興できる準備」することが出来る自然現象であること。

③今回の能登地震では、耐震構造が有効であったし、石川県の公務を三重県が肩代わりしたとか、ふるさと納税のシステムを使った直接の援助など、「すこしは」進展があった。災害から学ぶことは多いし、「人の力」で災禍を減少させることはできる。

④しかし、国と国との争いは避けることが出来るはずなのに、「起こってしまった時」のことが議論され、「起こさないための努力」が一向に論じられない。それどころか、起こったときの「勝利するための努力」に対して優先順位を発揮している。

⑤平和憲法を話題にすると「理想論だ」と一蹴する風潮がある。理想に向けて努力して何が悪い。それでも起きてしまった争いは、「天災」なのか「人災」なのか。そういう議論をすべき時ではないか。3.10.と3.11.の狭間で話し合う機会を作るべきと思う。

追記 : もし世界のどこかで「核」が使われたら、「ヒロシマ」が積み重ねてきた努力が3.10.のようにならないか。毎年、この時期になると、考えさせられてしまう。

2024.3.8. パレスチナ

①日本人はウクライナやパレスチナで起こっていることをどのように見ているのだろうか。私の学生時代の環境を考えれば、双方の「正義」を考えるであろうし、この様な戦争が起こらない世の中を訴えるであろうし、「救済」の手立てを議論するだろう。しかし、報道番組などを見ていると「マルハラ」などを無邪気に話題にしている。

②だから、「このごろの若い者は」というつもりはない。もと教員としても、一人の日本人としても・・・。この「・・・」になにを書くか思案している。

③ガザの悲惨さは、想像を絶するものであろう。しかし、「戦争とはこういうものだ」というのが私の偽らざる想いである。いったん戦争が始まれば「自国の正義」を繰り返し喧伝し「団結」を要請もしくは強制する。仲介しようとすればするほど「かたくな」になる。国際協力や人道を叫んでも、聞く耳を持たない。双方が疲弊して、争いを続けられない状況に追い込まれないと終結しない。

④ウクライナの場合は、戦争責任は「ほぼ明らか」と言えるが、解決にいたる道を考えるとガザと同じような状況、袋小路に入っている。

⑤「いったん戦争が始まれば」ということなら、「どうしたら戦争にならないか」を考えなければならない。それは「平和」の時代でしかできないこと。パレスチナ問題は第二次世界大戦が終わったあと、70年以上の時間があったはず。冷戦が収まって?からも30年以上たっている。

⑥現在の日本は、「もし攻撃されたら」「もし戦争に巻き込まれたら」という命題に対して、戦力に対する防衛しか考えていないように思われる。確かに外務省を始め民間組織も平和を維持する努力はしていると思う。しかし「顔」である政治がそちらを向いていない。内政の「裏金」すら解決できないでいる。混乱に乗じて軍需産業を盛んにして経済の立ち直りを模索している。

2024.3.6. どさくさに

①自民党のいつものことだが、念のため。

②安全保障にかこつけて、武器輸出の議論が始まった。野党は裏金問題にかかりきりである。武器輸出は日本の安全保障にとって重要な問題であり、かといって裏金問題もおろそかにするわけにもいかない。さすが自民党としか言いようがない。

③なにか重要な問題・事故が起こったとき、懸案の重要事項をぶつけてくる。今回は憲法改正はちらつかせるくらいだと思うが、武器の輸出は???。

④軍需産業はもうかる。ただし、それは他国に輸出した場合で、国内装備だけではとても採算が取れるものではない。

⑤戦争になって、頭の上から降ってくるものに「MADE IN JAPAN]と書いてあれば、「戦争放棄」など「絵空事」。

⑥気の抜けない日々が続きそう。

2024.3.5. BMI

①定期健診のたびに、BMIの値が気になる年頃になった。この数値の計算根拠をご存知だろうか。BMI=体重/(身長・身長)

②私が小学生の頃の恐竜と現在考えられている恐竜はスタイルが大きく違う。むかしは爬虫類をそのまま大きくしたような恐竜だった。「シン・ゴジラ」もずいぶん「安定感」を増した。モスラは相変わらずだし、キングギドラは宇宙空間の無重力では良いだろうが地球では・・・。

③線分は2倍・3倍になっても長さは2倍・3倍である。しかし、面積は4倍・9倍になる。体積にいたっては8倍・27倍になる。人間は生まれてから、当初は「相似形」で成長する。身長が増えれば体重もそれなりに増える。しかし「成長期」を過ぎると身長の伸びは止まり「横に成長する?」ようになる。これが「肥満」。

④相似形で成長すれば体重は身長の3乗に比例するが、身長の伸びが止まれば「横の成長」だけが問題となる。したがって、BMI=体積(=身長の3乗)/(身長の2乗)ということになる。だからBMIは成長期には通用しない。

⑤話を戻すと、初期のゴジラ(キングコングも)やモスラは相似形で大きくしたため、重量的に「もたない」。恐竜の化石の研究から、「体全体の体重を支えきれない」ことが分かってきた。ウルトラマンなどは「物理的に」なりたたない。

⑥人類の進歩も「アンバランス」になってきているような「気がする」。そのまま大きくしてはいけない。

2024.3.5. 健康寿命

①平均寿命と平均余命が違うことは以前触れていたが・・・。最近、健康寿命の数値に触れる記事があって、愕然とした。
日本人男性の健康寿命の平均が72才だという。まさに、今のわたしの年齢。

②同世代の(1951年生まれ)半数が「健康でない」、日常生活に何らかの「支障がある」ことになる。出生数は200万人くらいいたと記憶しているが、健在な人は何人ぐらいいるのだろう。健康の定義にもよるが、すでに亡くなられた人を除いての健康寿命だと思われるから、同世代の多くは日常生活に支障がある方に入っているということか?

③ちなみに平均寿命は81才とのこと。72才は第三コーナーを回ったくらいかなとも思うが、このレースはゴールが徐々に遠のいていくというルールだから厄介だし、逆に希望もある。平均余命のデータ情報がないが、私自身はとりあえず90才としている。なんの根拠もないが「とりあえず」決めている。

④ついでで申し訳ないが、20才を過ぎたころ「生きていること自体の価値」を考えたことがある。妙な表現だが、「私は自殺しない」という確信を得た。悟には早すぎる年齢であったとは思うが、安心して生きていけるようになった。

2024.3.3. EV車のこと

①いい加減な知識で軽はずみな意見を述べたくはないが、あまりにも情報が入らないので、ひとこと。

②まず、EV車のタイヤの摩耗が激しいこと。原因は車体の重量だという。ガソリン車の倍ということを耳にしたが・・・。

③であるとしたら、日本のアスファルト舗装は大丈夫なのか。町中のバス停がコンクリート舗装になっていることからして、アスファルト舗装の道路の方の消耗も激しいと思う。欧米の道路はコンクリート舗装が原則だから問題はないという。

④また、ビルの中の駐車場は?現状はEV車の普及がわずかな日本だから今は問題ないものの、普及が進めば建物の強度が問題になる。重量が2倍となれば、考慮が必要。

⑤心配は尽きないが、重量が増えれば使用エネルギーは当然増える。EV車と言っても、もとの電力は重油なり石炭などで発電するのだから、安易にクリーンエネルギーとは言えない。

⑥余波として、車のタイヤの質を上げるため良質のゴムが優先され、自転車のタイヤの劣化がささやかれている。

2024.3.3. 選択もしくは判断

①先日、脳科学者の発言の中に「人間は1日35000回、判断する」という言葉があった。朝目覚めて「もうすこし」と思うか、「がばっと」起きるか。そういう判断から、顔を洗って、なにを食べようか、今日の予定はなど。どちらの足から歩き始めるかはともかくとしても、夜、床に就くまでにする「判断」の回数はそんなものかと思った。同時に、この回数が少なくなっていくのが「老化」かな、とも思った。

②45才の時、3学年の担任として「送る言葉」を求められた。その時のことは別の機会に譲るとして、人生の判断をどのようにしてきたかを思い返してみた。生まれてしばらくは「生きることに専念」しておなかが空いた、暑い、寒い、おしっこが出たなど、泣くことしかできなかった。その後、幼稚園・小学校・中学校くらいまでは「ふつうの選択」で、高校・大学になると「意識的な選択」ができるようになると、そう思っていたが、果たしてそうだったのか。

③45才までの人生を振り返ってみると、それぞれの年代で「眼前に」選択肢があらわれ、その中から選んでいただけではなかったのだろうか。中学校くらいまでは住んでいる地域の環境でほぼ決まる。それ以降も大学受験なら、受験年齢の時の自身の学力と興味関心から候補は数校に限られ、あとは「時の運」任せ。

④受験の失敗で途方にくれたり、わけもわからず失業したり、赤い糸がこんがらがったりした時、初めて自分に問いかけて、「なにがしたい」のかを考えるのが人生のように思われてならない。もっと積極的な選択をできるようにするにはどうしたらいいのであろうか。そんなことを考えていたら、日本人男性の健康寿命が72才だと聞いて、愕然とした。

 

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