そのうちに 2024.2.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

2024.2.26. 追いかけるのは

①オータニサンを真似していえば、「追いかけるのは、やめましょう」。先日の卓球の団体戦を見ていて、そう思った。追いかけているうちは、追い抜けない。今回の試合で、対等に戦う姿勢を実現したのが先日の中国戦だったと思う。

②いままでは中国相手に、何ゲーム取れるか、何試合勝てるかが評価であった。その先に勝利があるのだが「遠い目標」であった。しかし、「団体として勝てる」という姿勢になれたのが今回の対戦であったように思う。

③以前、都立の新設校を担当していたころ、密かに「憧れの対象」となる学校を目指していた。募集人員が240人で中学校の数は600を越えていた。当時も私立高の力は強く、学年トップの生徒は私立高の推薦入学を決めていた。憧れの学校ができれば中学生の学習姿勢が大きく変わるのではないかと考えた。

④高校の教師をしていても、たとえば「東京大学」を志望することは可能性として難しい。担任としても勧めるのは躊躇する。しかし、先輩の一人がが合格したとたん「憧れの大学」から「挑戦する大学」にかわる。可能性が芽生えるのである。「パイオニア」の価値はそこにある。

⑤今回の卓球団体の試合は、勝ち遂げることはできなかったが、「勝利が手の届く範囲にある」ことを証明した。これで中国も必死になるだろうから、パリオリンピックが本当の「世界一」の争いになるだろう。楽しみになった。

2024.2.24. 支援疲れ

①ロシアがウクライナに侵攻して2年になる。テレビなどで西欧諸国の「支援疲れ」を取り上げる局が多いことが気になった。頭の上にミサイルの雨が降ってくるウクライナ国民にとっては「疲れた」どころではないのだが・・・。ヨーロッパ諸国は歴史的な記憶から「我がこと」として対応しているようだが、アメリカは・・・、「政争の具」にしていて、民主主義とか正義という言葉が空々しい。

②日本がドイツにGDPで抜かれたというニュースが飛び交っていたが、軍需産業を除くと「まだまだ」なのではないか。ウクライナ支援で西欧各国のGDPはずいぶん増加しているのではないか。戦争が始まれば軍備輸出国は大きな「商機」である。むかし、オイルショックで国民が右往左往している時「千載一遇のチャンス」と言って大顰蹙を買った商社があったが、静かに儲けている国や企業があることも確かである。

③中東戦争の頃、砂漠で戦争すると「兵器の性能がよくわかる」と言われた時代があった。北朝鮮の兵器の性能の悪さが評判になっているが、イランのドローンは成果を挙げているようで、良い宣伝効果をあげているのも事実。
世界に「軍隊」を持たない国が中南米にあるが、途上国で国民がまだまだ貧しい国でも軍事力を整備するために「豊かな国から」武器を購入している。国民はますます貧しくなる。

④戦争とは「殺し合い」であり、そこから儲けている組織がある。トランプさんは「もっと金を出せ」というが、「人殺し」するための予算をつけろということ。「平和」ということを理想ではなく現実のものにしようとする発想が人類には無いのだろうか。

2024.2.23. セルフレジ

①最近あちこちでセルフレジが普及してきた。私など見るからに・・・と思われるのか、レジの前に立った途端後ろに気配を感じる。次に押すボタンをさがしていると後ろから「次はここですよ」と親切な声とともに手が伸びてきてボタンの場所を指さしてくれる。一挙手一投足を見張られているようで・・・。

②よく上高地へ行くので、荻窪から松本まで特急あずさの乗車券を買うことが多い。最初は二度三度失敗して、並んでいる人に迷惑をかけたが、最近なれてきた。試しに何回タッチパネルに触れなければならないのか数えてみると、なんと25回。一度でも間違えると最初からやり直し。
みどりの窓口の人件費削減のためというが、それを利用者に転嫁しているだけ。
時代の流れだから・・・とも思うが、それにしては工夫・配慮が足りない。愚痴を言ってばかりいると誰も聞いてくれなくなるので、改善策。

③ー1・次に押すボタンの位置がまちまち。点滅するとか色や大きさが変わるとか、流れを誘導する配慮がない。先のJRで言えば、画面で数文字しか変わっていないのに次の応答を要求してくる。(乗車駅に続いて下車駅を聞く。画面が殆ど変わらない。)
③ー2・説明が長い。特にゆうちょを利用していると、説明や注意事項がながながと書いてあって、選択ボタンが画面の外にある場合が多い。契約事項だから必要性は認めるが・・・都銀など民間の金融機関を参考に改善して欲しい。システムを発注する際の「仕様書」がいい加減なのが(お役所仕事)原因だと思う。
③ー3・現金払いの際、投入口とおつりの出口?が機械によってマチマチ。カード決済が主流になっているが、老人はまだまだ現金払いが多数。ある程度「規格化」する必要があろう。

④マイナンバーカードでログアウトを忘れたとき、古いデータが残っていたケースがあったが、私が、先日ネット注文した商品が届かず、問い合わせると購入手続きが済んでいなかったとのこと。10日後に再注文したが、届いた商品は2回分。笑ってしまった。SEが初心者だったのだろう。私も成績処理のシステムを作った経験から、「ありそうだが、あってはならない」こと。初歩的なシステムエラー。

⑤デジタル化を推進するのはいいが、作る方も使う方も「謙虚」でなければならない。河野さんにはそれがない。

2024.2.22. 株価

①私が小学生の頃、新しもの好きな父が「株」を買ったようで、小学生を相手に株の仕組みを教えていた。その後全く話さなくなったので、おそらく・・・。
したがって「株式」の役割は、本来の働きをするものとして私の知識に留まっていた。当時の株価は、1株50円であった。

②今日、日経平均株価が戦後最高値を付けたと話題になっているが、傍から見ていて「株」は「投資の対象」になっていて本来の働きを遠く離れているように見える。株価を左右するものはその会社の将来性であり、成長の可能性に対する投資だと思われる。しかし私の観察では「海外情勢」「金利」「風評」などで株価が変動し、変動の上がり下がりの「差益」を取引しているに過ぎない。

③今日のニュースを聞いていても、日本経済にどのような上昇気運があるのか、さっぱりわからない。新製品が発売されたとか、新技術が開発されたとか、新しい需要が期待されるとか、そのような要因がない。「あがった、あがった」と言って拍手・万歳をしているようにしか見えない。「差益」が期待されることへの期待であるなら、なんとも幼稚な動機だとも思う。

④私の意識にある株の概念で話しているのでどうでもいいのだが、莫大な金額が動き、NISA という仕組みで国を挙げて大騒ぎをするには「危険」ではないか。火遊びに巻き込まれたくないというのが、私の立場。まったく株を持たない私だが、銀行や年金機構・為替などで他人事ではないことも事実。

⑤数学的には、指数関数的な増加は必ずカタストロフを起こす。上がったものは必ず下がることは現実。上がりっぱなしはあり得ない。

2024.2.21. ナワリヌイ氏

①「言論の自由」を話題にできる日本。その幸せをかみしめています。

②言葉が「生死を分ける」社会になるのは、なぜでしょう。

③戦前、ともすると暴力が言葉を「圧する」時代でした。

④私も60才で「教育職」からはじき出されました。

⑤変化は「徐々に、静かに」忍び寄ってきます。

⑥「まだ大丈夫」は「もう危ない」。わかってはいるのですが。

2024.2.20. 子育て支援金

①子育て支援金がひとり500円ならと思っていたら、ひとつき500円だという。年間6,000円。うるう年で今年は29日まであると言って渋い顔をする自営業者の気持ちが分かっていない。1日の売り上げが例えば1万円とすると3%くらいの収入減で、31日まである月は3%の収入増。
一方支出は毎年一定額が支出されていく。学生なら仕送りは一定で、例月より2日少なければ、ラッキー。

②〇〇カードを使えば、2~4%手数料を上乗せされていることを感じない昨今だから仕方ないが、国レベルで月500円の税金上乗せはゆるせない。頭を抱えている家庭も少なからずあると思う。

③軍事費支出で何兆円もの支出を決めておいて、ほとぼりも冷めないうちに、子供をだしに増税。次は社会保障費なのだろうか。年金暮らしの人間にとっては稼ぐわけにもいかず生活を切り詰めるしか手立てはない。月500円が命を縮める国民も居ることを知って欲しいが、その境遇の人は声をあげる手立てを持たない。

④また、愚痴になってしまった。反省。
政党助成金、ひとり350円だったと思うが、年間ですよね。

2024.2.19. マイナンバーカード

①国家公務員のマイナンバーカードの利用率が低いことが話題になっている。

②原因のひとつに、このカードが「入庁証」として使われていることにあるように思う。もし失くせば職場に入れなくなる。紙の保険証であれば見つかるまで、もしくは再発行されるまで受信票で「しのぐ」ことが出来るが「入庁証」となればそうもいかない。
ついでだが、教員時代、身分証明書の提示を求められたとき「ああ、先生ですね」の一言。職業がばれてしまう。「国家公務員さんですね」と見ず知らずの人に言われるのは「良い気分」ではない。

③いろいろな機能を持たせれば持たせるほど、扱いは慎重になるだろう。私は運転免許証を身分証明書として利用しているが、以前、ひったくりに逢ったとき金融機関への届・再発行は数日の時間はかかったがすぐに終了した。しかし、運転免許証は仕事を休んで・・・。

④常時利用する運転免許証は携帯するが、保険証は病気に罹ったときだけなので自宅で保管することになるのだろう。むかし、家族に一枚の保険証だった時代は親子で共通利用していて、修学旅行では「コピー」を持参していた。それでも支障はなかった。個人証になって随分便利になり、修学旅行に持参できるようになった利点もあるが、遠足にマイナンバーカードを持参するのも不安がある。

⑤ともかく、「使う立場」になって企画されていないことがそもそもの「原因」。

2024.2.18. 外部指導員

①文科省が教員のクラブ指導の軽減のために、外部指導員の制度を考えているようです。モト教員の立場から「建設的な」注意事項を、とりあえず。

②「資格」は?。犯罪歴は?。人材の育成は?。現状は「つて」を頼って、知り合いの範囲で「補助」をお願いしているのが実態。いつもフェンス越しに見ているおじさんと仲良くなって、正式におねがいしたこともあったような・・・。私立高校では、事務職員として雇用しコーチに充てていた例もある。

③「施設」は?。外部施設を借りる予算は付かないと思われるので、普段の学校活動の中に外部指導員が入ることになる。クラブ指導以外の生徒との接触する状況の制約を担保できるか。

④「事故」への対応は?。不可抗力の事故は必ずある。「事故対応」・「保険」のありかた、活動現場への同席義務など一番難しい案件。

⑤理想的には、市民クラブでの運営に委ねるべきだと思う。
戦後、日本が貧しかった時代に児童生徒の運動・健康を補填するためにクラブ活動を奨励した歴史は理解できる。しかし、社会が豊かになった現代では抜本的な教育構造の変化が求められているのではないか。

⑥甲子園を代表格にインターハイなど、さまざまな問題があるだろうが勇気をもって変革する必要がある。現場の教員に押し付けて「知らんぷり」はやめて欲しい。

2024.2.16. 否定形

①最近、この欄を書いていてあまりにも批判的な文章が続くことに、我ながらあきれている。社会や政治などのせいにしてしまえばそれまでなのだが、それでは自身の精神衛生に悪い結果しか及ぼさない。そういう時間がもったいないような年齢にもなってきたし、と反省している。

②教師をしていたころ、はっと気づくと生徒の悪いところばかりをほじくり返して、だめだ、だめだと言っている自分に気づいた。教師という職業は生徒の「良いところを伸ばし」「悪いところを矯正する」のが仕事という、何と因果な職業かと思った。悪いところはすぐ目に付くから、ついつい指摘してしまう。

③反省して、しばらく「否定形」の言葉を使わないように心がけたが、実に難しかった。数学でも失敗するところは決まっているから、あらかじめ「こうしたらいけないよ」と言い添えてしまう。人の性で「こうすればうまくいくよ」という成功事例は秘密とは言わないが「密かに、大切に」という気持ちになってしまうのだろうか。人としての器の小ささを感じる。

④以前、この欄で「いやなもの」は「こまったこと」に置き換えるということを書いたが、その後も「いやなこと」にしばしば出くわす。「こまったこと」として解決するように心がけてはいるのだが、悟りの境地にはほど遠い。

2024.2.14. 知の価値

①古代、天体を観測し気候の変化を予測できることは農業にとってなくてはならない知識であった。近代になって、文字を理解することは社会生活に欠かせない条件であった。外国語を理解することが「特殊技能」であった時代もある。「よみかきそろばん」のうち、「そろばん」はコンピュータの利用で必要性はずいぶん緩和された。インターネットとスマフォの普及でこれらの知識や技能は多くの人々が使いこなせる時代になった。

②私が育った時代の大学入試では、「知識」の多寡が競争の基準であった。英単語は6000語が求められ、数学や理科も入試科目にあった。古文や漢文の知識も必須であった。しかし、ネット環境の普及から知識の集積は不要となった。外国語は自動翻訳が普及し、百科事典レベルの検索が可能となった。AI が開発され、定型化された文章や画像は自動化できるようになった。はたして、それでいいのであろうか。

③人は「母国語」でものを考える。バイリンガル・トリリンガルの人たちはさておいて、自身の想いを表現しようとするときに、相手に理解できるような「ことば」を使わなければ「不可能」である。理解することがコミュニケーションであるから、その能力は「語彙力」にかかってくる。
アメリカの大学進学の検定試験、SAT は以前「英語」と「数学」であった。数学は比例計算程度の計算力が求められていると聞いた。しかし英語の試験は、英語圏の人たちでも困難を極めるほど難解で、相当なスピードで反応することが求められると聞いた。私の伝聞での知識であり、最近はコンピュータの知識も求められると聞いているので、内容もずいぶん現代化しているのであろう。

④言葉を正確に使うことが出来れば、どのような学問と取り組んでも成果を上げることが出来るという思想なのかと思う。欧米の教育をみていると、
①関心のある分野に熱中する
②自分の考えをはっきり表明する
③他人の意見を尊重する
として、広い知識は要求されない。

⑤IT の進化で「教育」の内容が試される時代になってきたと思う。「博学」という言葉は意味を持たなくなってきた。政府の教育改革は完全にピントがずれているように思う。小学生に英語やコンピュータの授業を導入しているが、ほおっておいても子供たちは馴染んでいくだろう。むしろ、語彙力・表現力の育成が必須と思う。SNS の表現力に日本文化の将来を心配する。

2024.2.14. バイト先で

①ピザ店や寿司屋さんなどでのいたづら(犯罪)動画が拡散された。飲み仲間の間では「まだあんなこと、やってるやつがいる」と、「あきれ顔」で「酒の肴」なのだが・・・。立ち止まって、ひとこと。

②テレビなどのニュース番組の合間に、交通事故や無謀運転の動画が注意喚起の目的で流されることが多い。また、「思わぬ事故」をとらえた監視カメラの映像から犬や猫などの滑稽なしぐさなどの映像が流されることもある。それらを見ていて、①の「いたづら動画」との関連が気になって仕方ない。

③まず、街頭でのハプニングだが、当の本人にとっては笑い事ではない事故である。命に係わるかもしれない事故である。少なくともその瞬間は恐怖を感じる事態だと思われる。テレビ局としては「無事」を確認して「注意喚起」のつもりだろうが、視聴者は「無事」を当然として「ハプニング」の面白さを楽しんでいるのではないか。

④以前の「回転ずし」などの事件では、学生の「配慮のなさ」を笑いものに仕立てていて、その後の学生の悲惨さを報じる場面はない。多くの視聴者は若者の将来を想像できるが、「面白さ・滑稽さ」でチャンネルを切り替える若者もいる。報道関係者のいま少しの配慮を期待する。

⑤つぎに気になっているのは「監視カメラ」の問題。昭和64年、昭和天皇の病気が悪化した時期、折しも学生運動が過激化していたころ、不測の事態を理由に「監視カメラ」の設置がどんどん増えていった時代があった。監視カメラが国民の行動をどのように「監視」するのか、その是非が大きな話題となった。いわゆる「監視社会」になるのではないかと危惧する報道も多かった。一方では中国などでは監視社会が徹底し、うかうか街も歩けない状況になっている。日本では、とりあえず民衆に受け入れられているようで、官憲にもその動きはない。学生運動も沈静化?した。

⑥しかし、事故の現場や車載カメラの分析技術の発達を考えると、諸刃の剣なのであって慎重な取り扱いが望まれる。中国での面白おかしい映像を他人事のように扱う報道関係者の猛省を促したい。その滑稽さにつられて「ついつい」いたずらをし、SNSにアップする、そんな軽薄さを感じてしまう。

2024.2.9. 授業時間

①学校で教師が担当する授業時間が話題となっている。時間数だけを話題にすると理解してもらえないと思うので、現場の状況を整理しておきます。

②むかし新任の校長が職員会議で「1時間の授業には1時間の準備(後整理も含めて)を心掛けてほしい」と挨拶した。持ち時間が18時間とすると、授業に費やす時間は週に36時間になり、勤務時間の40時間に迫ることになる。

③週16時間が標準なので5日間で割ると1日3時間余り、4時間ある日は勤務時間のほとんどは授業に費やされることになる。小テストの採点をしたり宿題のチェックする時間や生徒の質問や悩み相談に応じていると、次の授業のチャイムが鳴る。

④出勤時間の8:30から授業が終わる3:10が終わると放課後。あと2時間しかない。職員の打ち合わせ、生徒指導、クラブ活動・・・。こうして1日が終わる。

⑤昔ながらの授業だけなら年齢を重ねると多少とも経験がものを言うのだが、「黄色いノート」で授業するわけにもいかない。最近はコンピュータの活用が求められているが教材が整備されているわけではない。
余談だが、「新しい授業」として研究授業をしている場面が報道されることがあるが、その準備には数十時間もの準備を要する。年間35時間(週1回)の授業準備は長い間の歴史の積み重ねの結果なのであって、新機軸の授業など不可能に近い。

⑥実技を伴なう教科は、もっと大変。調理実習などは食材の仕入れから調理用具のセッティング・後片付けまで一人でやらなければならない。体育などは更衣の時間も授業外の時間。ビデオ教材を使った事があるが、教材の選定・頭出し・解説の台本などにまとまった時間がなければならない。体育祭や文化祭・修学旅行・入学(卒業)式などは年に1回とはいえ準備は大変。教務にでもなれば、春先に1年間の授業時間割を作る作業がある。50人以上の教員の授業時間を無理が無いように組み合さねばならない。まだまだあるが・・・。

⑦そこに教育委員会からの調査・報告などが飛び込んでくる、よく話題になる保護者からのクレームなどは双方に問題があるので仕方ないが・・・。

⑧学校はコロナの時期を「よく切り抜けた」と、私は思う。退職後だったので「対岸の火事」として冷静に見ていられたが、現場は文字通り「火事場」だったと思う。

2024.2.7. 偶然と必然②

①人類が文化的に大きな成長を遂げた理由に、「意思の疎通」や「農業」「富の蓄積」などの要因が指摘されています。「進化」という生物学的な偶然を人類は受け止めることが出来、必要性と欲求をかなえることに成功しました。無制限な欲求は適度の倫理観・宗教観で制約を受けることで現在の文化を育ててきたと思います。

②しかし、現状は科学技術の高度化と生活欲求から情報と資源の奪い合いの様相を呈しています。結果として、地球温暖化という「必然」を招いている状況です。人類が宗教というものから得た倫理観のような制約は、AI の時代に生まれてくるのでしょうか。

③この問題は、半世紀も前に問題提起され、多くの知識人は理解することができたはずです。しかし、50年の時を経て、その兆候は見受けられません。二酸化炭素の抑制や持続可能社会の育成など、対症療法にしか過ぎないと思います。

④人類は地球を「冷やす技術」を持っていません。いかなる人類の行動も多かれ少なかれ「温める方向」に作用するものだと思います。必然です。

2024.2.6. 偶然と必然

①J .モノーの著書「偶然と必然」を「こころに残る本」に取り上げました。実は「こころに残る本」を始めるにあたって、最初に取り上げたかった書物なのです。1974年に出会った本で、私が24才の時でした。翌年25才のときに東京都教員採用試験を受けて、数学教師として採用されました。数学の世界に残るか、他の職業を選択するか、高校教師として生きるか。人生の大きな分岐点を迎えた年でした。

②とにかく、難解な本でした。生物学者としてノーベル賞を与えられた筆者が、分子生物学の視点から進化論を取り上げている。その進化に「合目的的要素」が大きく関わることを述べ、哲学的にも宗教的にも大きなテーマで論理を繰り広げている本でした。世界の価値観が大きく変化している70年代を考える時、極端な言い方をすれば「新しい信仰」を必要とする時代でもありました。そのためフランスでは賛否の議論が巻き起こったそうです。

③この本の紹介を考えている時、72才となった現在の社会の状況や私の信条が当時とあまり変化していないこと気づきました。60年代当時、ローマクラブの依頼を受けてマサチューセッツ工科大学(MIT) から「成長の限界」が発表され、国連のウ・タント事務総長が地球の危機を声明した時代でした。より大規模で収拾のつかない時代に突入している。そんな思いがあります。

④折しも、AIが開発され科学が人類の価値観を越えて変化し、急速な環境の変化が制御できない状況で浸透しているように思えます。その危険性の本質がどこにあるかを考えるために重要な本だと思います。

2024.2.1. 教員採用試験の問題の一本化

①先日、文科省が全国の自治体で作成している教員採用試験の問題(一次試験のみ)を一本化したい、と言いだした。

②教員採用試験には一次試験で「教職教養」と「専門教養」があり、二次試験が「面接」「書類選考」となる。専門教養は大学入試程度の内容・難易度だったように記憶している。問題となるのは「教職教養」の方。

③憲法や教育基本法など教育職員として「知っておかねばならないこと」。大学でも教員免許を取るためには「履修」が義務付けられている内容ではあるので、そのこと自体には問題はないが・・・。

④例えば、教育基本法は十数年前に改訂され、公権力の影響が懸念されている。戦前の教育勅語に代表される教育の国家統制の反省からできた「旧教育基本法」を変更して、現行教育基本法は統制強化が色濃く反映されている。憲法そのものを変更しようとしている現状で、少なからず不安である。

⑤具体例を一つ。先の戦争で日本軍が中国大陸に行ったとき、それを「侵略」と表現するか「侵攻」と表現するかが、社会科教科書の「検定」でもめている現実がある。もし大学入試試験で出題されれば、どちらかが「○」逆が「×」になり、合否に影響する。その事情を授業中に解説すれば、教師は「処分?」されかねない。
卒業式に、日の丸に向かって起立し、君が代を歌わないことを理由に処分されるご時世である。採用試験でどのような問題が出されるか、恐ろしい。もちろん、東京都教育委員会作成の問題でも可能性はあるが、国単位となると、不安である。

⑥杞憂と言えばそれまでだが、司法が指摘できないように「抜け道」を作るのは政治家の常道?

2024.2.1. 「謝罪する」ということ

①夢うつつで枕もとのラジオを聞いていたら、「謝罪する」という言葉について話題になっていた。番組の名前も何もわからないが、印象に残ったのでかきとめておく。

②「謝る」という行為には、二度と繰り返しませんという「約束」が含まれているという。口先だけで「ごめんなさい」というのは、謝ったことにはならない。
そういえば、原爆慰霊碑に刻まれている「過ちは二度と繰り返しませんから」という言葉が思い浮かぶ。慰霊碑と書いたが、誓いであって、約束を果たそうとする市民のその後の努力はまさに約束を果たそうとする努力であろう。国や世界に、その視点が広まることを祈るのみであろう。

③学校などでは「処罰」という言葉が不適当であるから「指導」という言葉を使うが、(「指導」という言葉を使うことから、自分が偉くなったと勘違いする教師も多いが)過ちを認め、二度とやりませんという「約束」に導くことである。

④話がそれてしまったが、「裏金問題」で口先の謝罪は異口同音に謝っているが、口裏合わせの謝罪は意味がない。裏金を作った経緯を分析し、二度と起こせない対策を尽くしてこそ「本当の謝罪」になるのであろう。

⑤ついでだが、収支報告書不記載で3000万円以下は不起訴となったが、総計90人、6億円以上となれば「集団犯罪」として起訴できないのか。90人全員を起訴しなくとも責任者の5人は起訴すべきであろう。検察は個人としての起訴は見送ったが、集団による犯罪とみれば基礎可能ではないか。そうでないと「均等割り」すれば400億円くらいまで起訴されないことになり、使途報告義務が解けたところで「山分け」すればよい。

 

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