そのうちに 2024.8.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

2024.8.27. 「色」ってなに

①白内障の手術をしました。現代医学はここまで来たか、というのが率直な感想。これからの人生の考え方を自己修正。

②それはともかく、左右の目で色彩感覚がすこし違うような感じ。安定するまでに1か月ほどかかるというが、すこし、心配。もっとも私の目は「右」がすこし赤みが勝って見える現象があった。撮影に使うフィルターの一番薄い程度の違いで「よく気づいたね」と言われる程度。さらに映像がすこし傾いて見える。したがって右目でファインダーをのぞくと、画面が「傾いて写る」。

③白内障の手術中に気づいたのだが、左右の目で見た映像のうち鮮明な方を脳が選別している。以前、「黒い雲・白い花」(2021.8.11.)で書いたことと関連するが、私たちは「なにを見てなにを感じているのだろう」という想いがしてならない。画家は心で見た景色をカンバスに描いていると思っていたが、もしかしたら「あのように見えている」のではないかと思う。

④振り返って、写真を撮っているわが身に照らせば、今まで撮ってきた映像は「自己満足?」、もしかしたらほかの人はまったく異なる色彩を感じていたのではないか。去年から始めたデジカメは、「機械の目(プログラム)」で情報を処理して、私は「ソフト」を使って自分の感覚に近いものを製作するが、鑑賞する人が同じ「写真」を同じように見えているか、はなはだ、疑問。

⑤自民党の総裁選を見ていると、「なんでこんな人を」と思ってしまう。人間の「見る眼」の多様さにしみじみ驚く。多様性が減少してシンプルになるのには反対だが、こんなにもイロイロだと、話し合いはとても疲れそう。「自己満足」に陥らず、多様性を受け入れたいが、譲れないものもある・・・。

2024.8.23. 勘ぐり

①「下衆の勘ぐり」という言葉がある。自分でもそうだと思うが、書かずにいられない。どうでも良いことが気になって頭から離れない。数学なら大発見に向かうのだが。

②自民党の総裁選挙で候補予定者が10人を越えるという。定員1名。どんな社会でも代表を選ぶとき、候補者は数名に落ち着くものなので、不思議でならない。岸田さんが早々に不出馬宣言をしたのは、閣僚から立候補させたかったからだろうと思い、誰なんだろう?と思ってみているが、10人という人数が不思議だった。

③「ハタッ!」と膝を叩いたのが、下衆の勘ぐり。「石破さん対策?」。石破さんは党員票に強い。党員票が散らばれば、決選投票に生き残れないかもしれない。決選投票になれば、議員票で勝負することができる。

④誰が画策したのか。10人もの候補者に20人ずつ推薦者をまくばらなければならない。その10人が地元の党員票をまとめれば大きな数になる。それが可能なのは、旧派閥〇〇の××さんということになるのでは。

⑤立候補するだけで1億円以上の資金が必要だという。立候補に手を挙げるのは簡単だが、有力者ににらまれることになり、それだけの資金を融通することは難しい。、不思議な話。

2024.8.23. 沢の水

①熊本の轟の滝で水遊びをしていた多くの人が腹痛を訴えている、という報道があった。長年登山を趣味としている身としては、不思議でならない。原因について多方面の識者・研究者と言われる人たちが見解を述べているが、無理やり原因を絞り出しているようでならない。

②日本の山々を歩いていて、飲料水で困ることは、まず、無い。例外は北海道のキタキツネの媒介する寄生虫、上流に鉱山がある場合くらいしかない。もちろん、上流に人家や山小屋がある場合は要注意。登山者による汚染は自業自得。わが身の行動を考えれば「ここは、危ない」ということがわかるはず。このような知識は山の先輩から受け継ぐものだが、最近はそれがないようだ。

③それにしても100人を超える人が腹痛を起こしている。たぶん、暑いので水遊びを長時間やった結果「おなかを冷やした」のではないか。泳いでいて「水を飲んだ」というが川の水はごくごく飲むものではない。吐き出すのが原則。
追記 : ニュースによると、天草ではしばらく雨が降っていなくて滝の水も少なくなっていたようだ、滝の写真が「資料映像」で、涼やかで水量豊富の感覚で見ていたが、どうもよどんだ生ぬるい滝つぼの様子が正しいようです。先入観はこわいですね。

④熊本は水の豊富なところ(注:滝は天草で、阿蘇とは無関係)で、阿蘇に降った雨はいったん火山灰土壌に吸い込まれ、伏流水として湧きだした水が川となる。富士山と同じ。海外では(カラコルムの経験)生水は厳禁。氷河の水も、いったん伏流水となり湧きだしたもので、しかも湧出口から汲んだものだけが飲める。現地の人たちは「耐性」を持っているので真似をしてはいけない。

⑤今回の事件、心配しているのは「自然の水はあぶない」と言って山での脱水症状を招きかねないこと。日本は世界でもまれな「水に恵まれた国」であることを自覚して、大切にしたい。私の好きな上高地も、水のきれいさで人気があるが、本流の水質は低下してきている。飲める水はそこら中に流れているので、味わってほしい。

⑥ついでに、「大腸菌」が水質の安全性の基準になっているが、私の理解では「大腸菌が繁殖する環境では他の菌も繁殖する」「大腸菌は測定しやすい」というのが理由で、大腸菌そのものに罪はないそうだ。セーヌ川もお台場も、彼らには住みやすい環境ということ。1964年頃の墨田川は「大腸菌も住めない」環境だった。それに比べれば「良くなった」。

2024.8.21. 内輪の選挙

①自民党の総裁選挙を聞くともなく聞いていると、あることを思いだした。

②ある候補者がAという改革案を出せば、Aに反対している議員票を失う。BとかCとか、小さな主張であっても、その分議員票を失う。政治と金の問題と取り込もうとすればほとんどの支持を失う。結果、誰もが賛成しそうなことしか発言しない。これでは討論にならない。

③選挙一般だが、自民党の中にもいろいろな意見があるだろうに、「最小公倍数」的な主張に終始することになる。思えば、選挙は「最大公約数」的な意見を飛び交わせ、投票する方はより大切な意見を主張する候補者に投票する。Aを主張する候補とBを主張する候補がいて、AもBもと思っても、Aがより大切だと思えばAを主張候補に投票する。みんな大切なことしか言わない、より大切なことに取り組む候補に投票することが選挙の原則。当たり障りのない立候補者ばかりだと、見えない力の動きに左右される。

④「党議拘束」の内側も「派閥拘束」であったのがいままで、これからを考えるのが「自民党」が生き残れるかどうかの瀬戸際。

⑤学校での職員会議なども、相互選挙の場面が多いが、最近は自由に「物が言えない」状態になっている。校長そのものが教育委員会に首根っこを押さえつけられている。営利を目指す予備校が栄える理由もここにある。

追伸 : このページを書いているうちに、小泉さんが「取り上げたい争点」で憲法改正を提案していた。都合の良い、あたりさわりのない争点ですね。党内では。
ちなみに、石破さんが党内に人気が無いのは、なんでも争点にするからではないでしょうか。関わりたくないんでしょう。

2024.8.17. 差別と区別

①オリンピックが終わって、余震が続いている気がする。

②ボクシングの問題は、よく理解していないのだが・・・当人の体は女性で、子供のころから女性として育ったという。染色体を調べると「XXY」だという。女性の「XX」と男性の{XY]の二つのタイプを遺伝的に共有している。したがって筋肉などに男性遺伝子の影響が表れているという。男性は女性と較べて肉体的(筋肉)には強いので、大体のスポーツは男女別に行われている。

③以前、男女混合でバレーボールの試合を出来るか?というとき、ネットを極端に高くすれば公平になるという。しかし、それでは試合にならない、という結論になった。勝敗に体格が大きく影響する以上、そのあたりで線引きをするしかない。

④一方、ボルダリングで身長差が不公平であるとの異論が出ているが、バスケットなどのように体格差が有利‣不利を分けるのは仕方がない。しかし、ゲームの面白さを考えるとスタートポイントに立てないようでは話にならない。ルートの難易度を調整して、幅広い得点が得られるようにすべきである。ボルダーで0点で、ルートで満点近いというのは、どこかおかしい。

⑤小学校低学年で、試験の基本は「平均点が90点」となるように問題を作ることが原則とされている。「差」をつけることが目的でも、「参加」する意欲が亡くなっては競技にならない。幼児は褒められて育ち、子供は競争することに夢中になり、大人になってメダルを競うようになる。大人でも「競う」ことに価値を置きすぎてはいけない。だれもが「生きるために」「社会のために」頑張っているのだから。

⑥頂点に立つことは素晴らしいことだし、それだけで価値がある。しかし、一握りの頂点で社会が成り立っているのでもなく、個人ひとり一人がその人の頂点を目指せる世の中が大切。トランプさんなど、言ってあげたい人がいっぱいいる。話は飛躍するが、これを克服しないと温暖化は食い止められないし、人類そのものが・・・。

2024.8.16. 年甲斐もなく

①兄弟げんかをすると「お兄ちゃんだから」と言って我慢させられる場面がある。「男の子なんだから」「女の子らしく」という場合もある。教師も「教育者のくせに」、年をとると「年甲斐もなく」と言われる。

②社会人になると、なにやかや周囲の「声にならない声」がある。それが文化だと言ってしまえばそうなのだが・・・。
性差による圧力は徐々に薄められてきているが、地位による「上から目線」はなかなか減らない。注意(指摘)することが難しい場合が多いのもそうだが、個人の資質によるものが多い。最近の政治家の不祥事を見ていると、「自省する感覚」の欠如が顕著である。どんな無理難題でも、部下は「従うものだ」「それが当然だ」という発言・行動が目に余る。

③親の七光りで育った「わがまま息子」は当然だが、そうでなくとも、最近そのような人が増えた気がしてならない。原因を考えてみると「社会性のなさ」ではないかと思うようになった。携帯電話の普及とSNSの発達で、「なにも言わない人どうし」の中で育ったのではないか?という気がしてきた。

④教師などは「何かを言う」ことが仕事なのだが、言われることも少なくなった。以前は何か言うと反発された。なんの反発もないと、かえって心配するくらいだったが、最近は何も言わず目を背けるケースが増えているように思う。叱る方も、「言い方、しかり方」が下手になってきているようだ(これは自己反省)。

⑤子供のうちに「言いたい放題言って、喧嘩して、親がとりなす。でも、不服感は残る。」という体験を重ねて「大人」になる。逆に、私もこの歳になると、「誰も何も言ってくれない」ことを感じる。自分で気づくしかないことが多い。

⑥念頭にあるのは、岸田さん、河野さん・・・。詩さんやAMIさんも似たような「人たち」の被害者。
総裁選やその先の総選挙、そのような人を選ばないようにしよう。同時に、私たちも「指示待ち人間」にならないように気をつけよう。
反戦(非戦)などは誰も「言い出さない」から話題にならないし、「反対意見」も言いづらい。勇気をもって話題にしよう。それが大人の責任。

2024.8.15. 戦没者追悼式

①戦没者追悼式が執り行われた。靖国神社でも。私の中では、これで戦没者は追悼されるかという疑問が湧いてくる。

②先の戦争で亡くなられた方々や、負傷された人、心に深い傷を負った人さまざまだが、その人たちが本当に望んでいるのは「戦争のない世界」なのではないだろうか。確かに故人に思いを馳せ、忘れないで心に留めおくことは大切であり、戦争を風化させないためにも祈ることは大切である。しかし、非戦へ向かう一歩を重ねる日であることが戦争の犠牲者の夢ではないか。

③長崎の平和祈念式典にイスラエル大使が招待されなかったことで物議をかもしたが、長崎市長が「今の平和」を希求していることが伝わった。政府は長崎市長に責任転嫁し、長崎市長は(圧力があったのか)安全確保を理由に逃げた。もっとも残念なのは、マスコミにこの問題に切り込む能力が無かったことだ。海外の国々は戦争を繰り返し、「平和な世界を築く」などということは、意中にない。

④3.10.が東京大空襲であることも、3.11.に押されて影が薄くなった。体験者の記憶だけでは平和は生まれない。一人ひとりが真剣に「平和」を創造する世界を作ることを目的とする日にしなければならない。

⑤それにしても、靖国神社に総理が行くとか行かないことがニュースになること自体がおかしい。「靖国に行く総理を」などと叫んでいる人は息子や娘が戦地へ動員されても「お国のため」なら良いのだろうか。「亡くなった人より未来の子供たち」を想うことが、本当の慰霊ではないか。

⑥NSNで騒がれている、早田ひなさんの「特攻資料館」発言は、その中で「金メダル」。

追伸 : 早田さんの発言に中国政府が反応しているようだが、きちんと話し合うこと。考え方の違いを日本政府の「教育」のせいにするとはあきれてしまう。まあ、靖国にこだわるような政府とは同じレベルといえばそれまでだが。中国選手との接触を切らせる、そのような国ということなのか。大切なのは「卓球が心置きなくできる」ような平和な関係。

2024.8.13. 安倍元首相銃撃

①2024.8.13.9:00~10:54 日本テレビが放映した番組(仰天ニュース 安倍元首相銃撃)について。私は最初から見ていたわけではなく、酒の席での喧騒の中で番組の存在を知り、あわてての帰宅後、残り1時間程度を見た感想です。

②まず、日本テレビの見識を疑った。裁判中の事件をドキュメンタリータッチとはいえ放映することに社会に対する責任が取れるのだろうか。視聴者は事実として受け止めるだろうし、登場する俳優の表情や仕草は視聴者の記憶に残るだろう。最初は「再構成したもの」として認識するだろうが、時間とともに「事実」として記憶に留められることになるだろう。注意深く、批判的に見た人は少ないだろう。

③過去の映像をつなぎ合わせて、「~~だろうか?」と慎重な言い回しに徹して居るが、それでいいのだろうか。安倍元首相が何を考えていたか、統一教会の行動に対しても、山上被告の発言も事実として取り扱うことは出来ない。裁判で係争中で、真実はこれから。まして、安倍元首相と統一教会との関連、山上被告の理解の内容などわからないことが多すぎる。

④さらに、そもそも関心を持っているかどうかも分からない「芸能人」たちの感想を間に織り交ぜながら、テレビ局としては発信できない言葉を発せさせている。感情的な発言が見られる。

⑤このような歴史的に重大な事件を、ある程度事実が固まる前に取り扱い、放送していることに大きな不安を感じる。全体を見ていないので何とも言えないが、もし、考えたくはないが、ある思想的意図をもってこの番組が構成されたとしたら、身の毛のよだつ思いである。

2024.8.9. 考えてみよう

①宮崎で地震が起こり、大地震の危険性が 0.1% から 0.5% に 5倍 になったという。

②反対側から見ると、安全性が 99.9% から 99.5% に減少したことになる。

③言葉遊びのようだが、気象庁が言いたいのは「緊急の危険性が生じたわけではないが、対策を急いで見直してほしい」ということ。

④いたずらに恐怖感を掻き立てないで、冷静に対策を見直してほしい、ということ。

⑤0.1 でも 0.5 でも、いつ起こっても不思議でないことは、こころに留めおきたい。

追記 : 静岡県が15日の戦没者追悼・平和祈念式典を中止とか。いろいろ事情が在るのでしょうが、「違うでしょ」。

2024.8.9. 原爆忌③

①長崎の原爆忌にイスラエルが招待されなかったことで、アメリカを始めG7の6か国(日本を除く!!)の代表が欠席した。双方の言い分が報道されたが、どうもしっくりいかない。私なりの「まとめ」。

②欠席の理由は、イスラエルをロシアやベラルーシと同列の扱いにしていること。戦争を始めた国と被害を受けている国を同じように扱うことに反対している。反対の立場を発信することは自由だが、出席はすべきである。少なくとも「友達を誘って欠席」するのは大国のすることではない。

③国は長崎市が主催者だからという理由で、判断を避けた。長崎市は(国からの圧力があったと、私は推測するが)保安上の理由に逃げた。

④本質は「正義」の評価だと私は思う。ウクライナは被害者で、ロシアやベラルーシは加害者で「悪」である。イスラエルはハマスに攻められた被害者で、G7側の友好国である。イスラエルの立場は守らなければならない。自分たちが「正義」であり、相手は「悪」である。この論理はG7の価値観であり、原爆忌の趣旨ではない。

⑤原爆忌の本質は、立場を越えて、「恒久平和」を目指すもので、敵味方・立場の相違は関係ない。全人類が「恒久平和」を願う式典であるはずだ。だから「投爆国」のアメリカも招待されている。したがって、イスラエルもロシアもベラルーシも招待すべきである。出席するかどうかはそれぞれの国の判断に任せればよい。アメリカをはじめとするG7の国々は、「政治的な理由」で欠席してはいけない。「争いを越えたところに平和がある」。長崎市長はこの点を明確に発信すべきであり、国も憲法9条の理念を表明するべきである。公務員は憲法の順守義務があるからだ。

⑥広島‣長崎の市長は原爆忌の意思を「堂々と」表明する責任がある。誇りをもって発言して欲しい。大変でしょうが。

2024.8.9. メダルラッシュ

①ある番組でコメンテイターが「国を代表する」というオリンピックの開催形態は見直すべきときではないだろうか、というようなことを言っていた。日本でもサッカーやバレーボールの選手の多くが海外のチームに所属している。ラグビーなどの国際大会は所属国を選べるという(1回だけ?は変更できる???)。人種や国籍の壁がどんどん低くなっている時代に「国旗掲揚」「国歌斉唱」も不自然さが残る。ロシアや北朝鮮が「個人として参加」という例もあるし、「難民チーム」としての参加もある。

②人口の多い国は確率的に有力な選手を多く輩出できる。国内での競争が激しく、他国に国籍を移してでもオリンピックに出る場合もある。女子スケートボードの表彰台3人(オーストラリア・日本・アメリカ)は日本にルーツを持つというし、日本代表にも、他国にルーツを持つ選手が増えてきている。ある意味でオリンピックの理念に近づいているともいえる。

③国の経済力も大きな影響を及ぼしている。自国に練習施設の無い小国の選手でも、豊かな国のチームと一緒に練習して、「〇〇初のメダル」という成果を挙げている。やり投げの北口榛花さんはチェコを拠点としている。そこで気になるのは、日本はそういう面で世界に貢献しているのだろうかという疑問である。柔道などは海外からの「留学生」も多いのではないかと想像するが、実情は知らない。水泳や体操など優れたコーチや施設があるが海外勢はどうなのだろうが。

④阿部詩さんのときに、フランスの観衆は「うたコール」で励ましたが、国内では喧々囂々。まだまだ課題は山積のようだ。

2024.8.7. 高校野球

①今日から甲子園が始まった。忙しい限りである。

②毎年、入場行進に違和感を抱くのは私だけだろうか。観衆に手を振りながら入場する学校があったら「受けるだろうな」と思う。女子高生が制服でプラカードを掲げて先導するのも、むかしながら。センターポールの日の丸は1950年ごろには、はためいていた。

③1964年の東京オリンピックの入場行進は、どの国も昔ながらの行進であった。しかし、閉会式は選手が入り乱れて、和気あいあいの行進となり、観衆の喝さいを受けたことから、以降も引き継がれたいきさつがある。実は、選手の整列が間に合わなかったため、そのまま入場したとのこと。

④選手宣誓に、片手を挙げて誓う姿勢は、西欧では「厳禁」。ナチスを想起させるから。デンマークの小学校では一本指を立てて手を挙げていた。最近は選手宣誓も変化したが、入場行進は相変わらずのようだ。「慣習」を変えるのは大変。甲子園もドームにするのも・・・?

⑤むかし、ある学校でイギリスからのお客をお迎えしている時、窓の外の体育の授業で行進の練習をしていて・・・。そんなこともあった。

2024.8.7. 原爆忌②

①昨日の「体験から経験へ」が言葉足らずに思えるので、続編。

②この欄で何度も触れたが、戦争は、見ず知らずの一般市民同士が武器を持って「殺し合う」こと。それが為政者の命令で、逆らうことが出来ない状態で行われることだと思う。その時は「国を守る、国民を守る」と思って。

③人間には激しい感情があり、他国から攻撃されれば戦うし、ましてや家族が殺されれば憎しみをもって戦うだろう。それでも時がたって、感情が鎮まれば、他者の命を奪ったことに苦しむだろう。決して褒めてもらいたいとか勲章を自慢するものではないはずだ。戦争体験を語る人はいない。

④平和なうちに、戦争にならないための努力が必要なのである。戦争の準備をする時間ではない。どこの国も「国民を守る」ために「仕方なく」戦争をする。相手の国のせいにする。国民がどんなに悲惨な体験をするかを考えない。

⑤私の関わっている、東京「君が代」裁判は国民を団結させるための雰囲気づくりに反対している。前の戦争で「歌と旗」の果たした役割は大きい。オリンピックのような場では国民の象徴として大きな役割を果たしているが、ウクライナやイスラエルの旗を見ていると複雑な気持ちになる。大陸を侵略した時、この歌と旗の下に殺された人は「多い」。その記憶は原爆よりも大きいかもしれない。

⑥我々にできることは、「新しい戦前」にしないことしかない。

⑦オリンピッゥのメダルと戦争の勲章は似ているが、全くの両極端に位置する。原爆忌とあわせてオリンピックの意義を考えても良いのではないか。

2024.8.6. 原爆忌

①むかし読んだ本で、「体験を経験に昇華して初めて社会共通の財産になる」という言葉が印象に残っている。

②当時70年安保の時代で、戦争の話の中で「近頃の若い者は・・・」という言葉が気になった。軍隊生活が「根性を育てた」ような発言であるが、そうだろうか。過酷な体験を乗り越えてきたことに、戦争の本質を理解して、戦争で若者が苦しまないで済むような社会を作ってほしいと思った。

③戦争で悲惨な状況は国民が克服していかなければならないが、政治家は「戦争につながらない世界」を模索しなければいけない。戦争に備えて、「負けないぞ」「今度は勝つぞ」と準備を備えるのは2流3流の政治家の考えること。

④原爆の体験を、「経験」に昇華するためにはどうしたらよいのか。SNS が進化した現代では、国家規模で世界に発信することが出来るようになった。ヒロシマ・ナガサキを目的に日本に来るような環境を作りたい。国家を相手に非戦を説いても効果は少ないが、国民に直接語り掛けることは出来ると思う。そんな時代だと思う。今までは「組織を作って」非戦運動を展開するのが一般的だったが、個人に直接語り掛けることが出来る時代であり、SNSにはその力があると思う。

⑤戦争の惨禍を歴史に留めることは大切なことだが、同時に、平和な世界を期待できる状況をいかにして作ることが出来るか。そのとき初めて「戦争体験が人類の経験に昇華した」と言えるのではないだろうか。

2024.8.3. ふるさと納税

①ふるさと納税の利用が1兆円を超えたという。横浜市は300億円、世田谷区は100億円を超える市民税が流れたという。一方、ポイントを付けるつけないでもめているという。問題点があいまいな中、泥試合が続いている。収入減の自治体には地方交付税に似た形で補充される。これは「国庫」から支出される。「三方一両得」のような制度になっている。

②プラットホームの利用料が20%というから、2000億円。この分が民間に流れている。
まず考えるべきなのは、20%という利用料である。当初はシステムの開発費用がかかるが、現在はどうなっているのだろうか。民間の会社のように「新製品の開発」は必要ない。自治体が考え、手配する。広告なども各自治体が企画するのだろう。売れなかったときの損害は自治体の責任。プラットホームは自社の運営(広告)だけで、システムの開発も新規顧客の開発も必要ない。そうすると、20%のうちの5~10%程度はポイント還元に充てても問題ない。ポイントは他のユーザーでも使えるだろうから歓迎される。

③総務省がすべきことは、ポイントを規制することではなく「利用料(委託料)」を5%程度に減額すべきである。それでも500億円産業である。

④そもそも、これらの過程がすべて「税金」によって運営されていることである。2000億の利用料と、8000億の「損失」への補充で1兆円に近い国税が費やされている。ならば最初から地方交付税として交付すればよい。

⑤故郷への援助のような「美名」に隠れて、1兆円もの無駄使いと2000億円産業の育成をしている。まさか「裏金」が動いているのではないかと勘繰りたくなるのは私だけだろうか・

 

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