最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・
そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・
というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・
・・・2021年4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分
・・・2022年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 11月分 12月分
・・・2023年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 6月分
・・・・・・・7月分 8月分 9月分 10月分 1Ⅰ月分 12月分
・・・2024年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分 はこちら
2024.6.30. 同性婚
①6.28.に夫婦別姓を扱ったが、この問題、個別のケースを考えたり社会的な影響など扱っていると議論が泥沼状態になってしまっている。視点を変えて別の方向性からの提示をしてみたい。
②問題の基本に「男」と「女」という二者択一というところに無理があるのではないか。「人間」という広い視野で考えれば、誰が誰と一緒に住もうが名前をどのように名乗っても他人がどうこう言うことではない。医療やスポーツなどは「肉体的な性別」は無視できないだろうし、「精神的な性別」を尊重するなら社会的ルールを決めて浴場・トイレ・更衣室などの運営をするしかない。ルールの整備で折り合うしか解決策は無いと思う。
③現代科学は2個の細胞があれば同一人物のものか別人物のものであるか「判定できる」時代に入っている。その中の性遺伝子で二種類に分類できるからといって、それを根拠として扱いを変える理由は低い。高校時代に「科学は分類することから始まる」という言葉を知り、目の覚めるような感動を得た。しかし、分類が「すべて異なる」というところまで行っては分類ということの意味を失う。どのようなレベルで線引きをし、分類するかで「文化の価値」が問われる。
④人を人として尊重するならば、人類のおおきな成長と思われる。
⑤それに比べて、マイナンバーカードの視点の低さが、あまりにも情けない。
2024.6.29. お天道様が
①日本には「お天道様が見ている」という言葉がある。「だれも見ていないだろう」と言って「ちいさな悪戯をする」ことを戒める言葉。他国にはあるのだろうか。土俗的な宗教の一種かなとも思うが、「迷惑になるから」とともに日本文化の深い部分に浸透している素晴らしい文化と思う。
②一方で、「法律に違反していないから」と、居直ってしまう風潮が目立ってきた。裏金問題でこの言葉を使った自民党は、日本文化を揺るがしているのではないだろうか。都知事選での広報版の事件など、早速に影響がでているようである。軽はずみと言ってしまえばそれまでだが、このことが日本文化に与える影響は計り知れない。それが政治の中枢部で反省もなく続けられていることに「危惧」を感じる。
③どこの国でも「宗教」の一部がこの役割を果たしていた。日本では神道、西欧ではキリスト教。私の感想では、現在の中国政府の行動にはこのようなものが無いか、「無視」しているように思っている。「水戸黄門」などが人気あるのも、天誅という発想があるからだと思う。
④善悪の判定をすべての場合に基準を設けることはできない。戦争になれば殺人でも「英雄視」することもある。「武器:人殺しの道具」を作って経済を立て直そうという発想もある。子供から「どうしていけないの」と聞かれて返事に困る状況は皆さん経験があるのではないでしょうか。
⑤今回の事は「法の整備」という形でなんとかしなければならない、とは思う。しかし、文化を守ることを、「意識的に」考えなければならない時代になったのか?
難問です。
2024.6.28. 夫婦別姓
①経団連の突き上げで政府も重い腰を上げるようだが、私の予想では「ウヤムヤ」で終わると思う。理由はこの問題に「家父長制」が深く関わっていて、自民党を支えている人たちの深層意識に深く関わっていると思うからである。
②「家父長制」の考え方を推測すると、①「家」は「主人(世帯主)」が中心となって家庭を経営する。②長男が家督を受け継ぎ、苗字を継承する。③「家」は日本国を形成する基本単位である。などなど。
③例えば、給付金は世帯主に一括して支給される。健康保険証も少し前までは家族で1枚の発行であった。戸籍も、家族に統合され結婚に際して「分家」される。主婦のパートなどの制限も世帯主の収入の影響を受け、制限される。「扶養家族」という概念も、まさに家父長制の自然な結果から生まれている。
④以前、給付金の支給で家父長への一括支給と個人支給が混在して、始まったばかりのマイナンバーが大混乱を起こしたことは記憶に新しい。マイナンバーカードが普及しないのも、自然な結果かもしれない。自動車免許は完全に個人的なものだが、健康保険は多分に家族が関係している。私も一人暮らしだが、毎年扶養家族などの変更の有無を届けなければ、健康保険や介護保険の税率が定まらない。そういう仕組みの上に、形だけのマイナンバーを設定しても効果は少ないと思う。
⑤そもそも、皇族制度が家父長制の典型であって、その存続に四苦八苦している現況である。マイナンバーカードが普及すればするほど、まだまだ矛盾が広がるのは間違いない。
2024.6.20. 公文式
①コロナが落ち着いて、学校教育がもとに戻ってしまった。このように書くのはオンライン授業の準備で現場は大変だったと思うのだが、そこから得られたものが「失われてしまう」ことが残念だからである。
②動物は生まれてからすぐに、「生き延びるための教育」が始まる。人間の場合「言葉の修得」が必須になる。その次に来るのが、いわゆる「読み書きそろばん」。そして「興味・関心」に基づく知識の集積。これを発展させて研究生活に入る人もいるだろうし、社会人として組織に入り経済を支える人もいるだろう。
③AIが進化して、多くの過程がAIに取って代わるだろうと言われながら、次のステップを企画する動きがない。私は、「読み書きそろばん」の領域はむしろコンピュータを活用したほうが子供の成育に合ったシステムが組めるのではないかと思う。小学校の低学年では児童の発達段階には大きな差があり、「落ちこぼれ」が生じるのもこの年齢だからである。
④「読み書きそろばん」は思考に必要な「知識」の獲得の土台になるからである。日本語の修得・計算能力のほか、外国語の修得なども含まれると思われる。アメリカの大学入試資格試験のSATが、英語と数学を中心としたものだと聞く。数学は易しく、比例計算程度だが英語は深いニュアンスの理解・表現がもとめられるという。逆に言うと「ことば」を自由に使いこなせる資質があれば、あとは努力次第で関心のある分野の研究を深められるという。
⑤むかしは、新聞や書物から新しい言葉やニュアンスを身につけたと思われるし、それが教養と呼ばれていた。しかし、コンピュータやスマフォの普及で「新しい教養」の在り方が求められるようになった来たと思う。特に小学生段階の学校教育は「整理」する必要がありそうに思う。その意味で公文式の手法は大きな力を発揮するだろう。中学・高校段階については公文式よりも発展したシステムが必要だと思う。
⑥文科省は学習指導要領の抜本的な改定を行い、新しい教育体制を組まなければならない。
2024.6.19. マイナンバーカード
①河野さん、もう、イイカゲンにしてください。
②スマフォの本人確認をマイナンバーカードを使うことを「義務付ける」という。よく聞くと免許証でも良いそうだが、それを曖昧にして普及を図るとは「姑息」と言われてもしかたない。そもそも4人に1人はカードを持っていない。
③すごいのは、ロマンス詐欺を防ぐために、マッチングサイトは、既婚か独身かをマイナンバーカードで確認するとよいという。
④そもそも結婚しているかどうかをマイナンバーカードから確認できるようにするのか。データ項目に含めるのか。誰も承知していない。「事実婚」とか「同性婚」などもあるし、DVが原因で裁判中というケースもある。極度に個人データの性格をもつ情報をマッチングサイトが照会することが出来るのか。
⑤技術的に考えても。結婚届の提出で二人のデータを正確にスピーディーに書き換えられるのか。その逆に離婚は書類一枚で書き換えても良いか。離婚訴訟中の場合は?・・・。データを管理することに不安を覚えることが、マイナンバーカードが普及しない理由だということが、河野さんはわかっていない。
⑥言いたくはないが、そんな人が総理候補という自民党、ひいては日本国が情けない。うまくいかないと大声で怒鳴りつけるというウワサも聞こえてくる人だ。このような愚痴を漏らすのも、今回が最後にして欲しい。
⑦ちなみに、顔写真のない身分証明書で「自分が自分であること」を証明することは、とてつもなく「困難」である。そのため、私は利用する予定もない「原チャリ」の免許を30年も更新し続けている。安全なマイナンバーカードが必要なのだが、不安が先走ひ、踏み切れない。
2024.6.17. 神宮外苑
①神宮外苑の再開発が都知事選の話題になっているが、どうも焦点が違うような気がする。私の素朴な意見は、「東京の人口集中をこれ以上加速するのですか」という気持ちです。そのことはさておき、過去の経緯を整理しておきます。私の知識が間違っているかもしれませんので。
②東京オリンピックで国際競技場を建て替える時、将来はトラック部分を削ってラグビー・サッカー専用にするという。陸上競技の世界大会を行うにはサブトラックが必要で、東京オリンピックの際は老朽化した都営住宅の立ち退きを求めサブトラックを確保した。都営住宅の老人たちは転居を余儀なくされた。
③この時点で神宮外苑の再開発の計画が出てきた。そうするとサブトラックがなくなり、予定通り国立競技場はサッカー・ラグビー専用にしてイベント会場として運営するのだろうか。陸上競技で国際大会が行える競技場をどうするか、全く報道されていない。
④モト教員としては、選手村跡地でタワーマンションが林立するとそれに対応した学校施設が必要になる。投資目的の購入者が相当数いるようなので、10年後に学校施設が必要かどうかは疑問になる。まして50年後には多摩ニュータウンの二の舞になるのではと危惧する。
⑤東京の人口集中を食い止めたり、バランスの取れた人口構成が本来の「都市」の在り方だと思うので、晴海などの「検証」が必要ではないか。それでなくとも東京オリンピックでの密約の調査がおざなりになっている時でもあるので、立ち止まって整理してみてはどうだろうか。
2024.6.16. 世界大会
①バレーボール・ネーションズリーグの日本対アメリカの試合が始まった。国歌斉唱の時、口ずさんでいる選手も居れば、緊張から顔をこわばらせている選手もいた。以前、アメリカンフットボールの国歌斉唱時に、人種差別に抗議して選手が膝まづくことがあった。喧喧囂囂の騒ぎになったが、アメフトのコミッショナーや当時のアメリカ大統領が、意思表示の正当性を認める声明を出すことで一段落したことがある。
②思い出すのは、1960年代当時のAFS(?)を利用してアメリカに1年間留学してきた友人が、独立記念日のワシントン広場(?)の写真を見せてくれて、「群衆の中に黒人は一人も映っていない」と話してくれたことが印象に残った。黒人にとっては独立記念日は・・・。彼は日本人であったので「白人扱い」されていたようで、分け隔てなく交流させてもらっていたという。しかし、一線が引かれているような違和感もあったようだ。
③それから半世紀、偏見は徐々に改善されているようにも見えるが、スポーツの世界で、水泳・体操・テニスがもっとも遅れていると聞く。そのためにも世界大会で多くの国の代表が交流することが大切だとおもう。
④しかし、日本の高校では卒業式などで国歌斉唱が義務付けられ、起立しなかった教職員は「処分」される状況が続いている。この問題を話題にすっると、必ずと言っていいほど「オリンピックでは・・・」という発言がある。私たちは「処分」を背景に「強制」することがいかに危険であるかを争っているのであって、それ以外の何物でもない。しかし、最高裁すらもその判断ができないところに、日本人の民主化度が心配される。
⑤国際大会で口をつぐんでいる選手がどうのこうのという声が聞こえてくることもある。残念なことである。
2024.6.15. 大学授業料
①この問題を考えているうちに、井上靖「天平の甍」を思い出した。遣唐使として派遣された留学僧の物語である。当時の国家プロジェクトであり、莫大な予算と犠牲を払って仏教(当時の最先端文化)をもたらした事業であった。
②江戸時代の寺子屋に象徴される日本人の教育に対する熱意は、明治初期の留学生の派遣につながり、アヘン戦争に象徴されるヨーロッパ文化の侵略から日本の独立を守った。近くは敗戦の中で「小学生並」と揶揄されながら奇跡的な戦後復興をとげた。これらの背後には日本人の「教育」に対する姿勢が大きく影響していると思う。
③誰もが高等教育を受けられるような時代になって、その価値観が大きく変わってきたように思う。そのことを論じることは日本の針路を方向付けることにもなるだろう。とりあえず、「授業料」に話を限りたい。
④大学の施設・研究環境・教職員などを考えれば授業料など微々たるものにすぎない。しかし、支払う側の家庭にとっては少なからぬ出費となる。その費用が将来の就職や人生設計に大きな影響を及ぼすことから「平等性」という立場での議論が起こることになる。「だれもが、おなじように」。
⑤現在少なからぬ大学生が「奨学金」都いう名の「借金」を強いられている。卒業時に数百万円にものぼる額になっているという。私が学生の頃、国立大学の授業料は月1000円であった。物価の違いもあるが、貧しい家庭の友人が大学寮で生活しながら月8000円で卒業することが出来た。確かにそれでも進学をあきらめなければならない学生は居たし、大学進学率は25%くらいだったと思うが、「道はあった」。
⑥社会として、国家として、今の状況を良しとするのだろうか。「国家を担う」というと古めかしく聞こえるが、教育には「ボトムアップ」という側面と「英才教育」という二面性がある。親の経済力が教育機会を左右することは、国家のおおきな損失のように思う。
⑦私の時代、どんなに貧しくても公立大学に入れば「何とかなった」。私立でも異常に学費の安い大学もあった。しかし、東大が10万円の授業料値上げを検討し、年間60万円くらいを考えているという。月5万円の学費は18歳の若者には困難だし、家庭の教育費としても論外だと思う。私立はもっと高い。
2024.6.13. 達成感
①先述の「サプリメント」の項を書いていて、ふと、思いついたので一言。
②幼児を連れた親御さんを見ていると、「あとすこし」というところで手を貸してあげて、出来たときには「我がこと」のように褒めてあげる。これが子育ての極意で、子育てはそれに尽きるように思う。大人になっても同じことで、学校でも会社でも、そのような教師・上司に恵まれれば、感謝というしかない。
③最近、デジカメに移行して「完成度が高い」ことに辟易している。シャッターを押した後の充実感が少ないように感じる。数学の問題を解くにしても、正解に近づいている実感があればこそ「あと少し、あとすこし」なのであって、答えを教えてもらっては「身も蓋もない」。
④数学の教師として、「あとすこし」の生徒には「がんばれ」と応援するしかなく、挫折して撤退されるのが最悪。正解から遠い生徒には直前の段階まで導く必要がある。あくまでゴールテープを切るのは本人であって欲しい。
⑤ノーベル賞を受賞する人たちは、見えないゴールに向かってひた走るのであって、ほとんどの研究者は挫折する。なにが彼らを勇気づけるのか。このHPで「10をつくる」と「難問」の項を提案した。ひとつはゆっくり出発して、だんだんゴールが見えてくる問題。正解があることを保証されて取り組める問題。ふたつ目は答えがあるかどうかも分からない「未解決問題」。しかし、取り組んでいるうちに足元が見えてくる不思議な問題。いずれも私が大好きな問題である。
⑥最近のITの発達で、先が見えてしまうようなケースによく出会う。デジカメもその一つのように思われて、興味が減退していく今日このごろである・
2024.6.13. サプリメント
①私が15歳の時、抗生物質の副作用で衰弱したことがあった。骨髄が破損し白血球が作れなくなったという。医師が言うには、全ての薬物を絶ち、体力を温存し、自然治癒を待つしかない、という。新しい細胞に入れ替わるには3年かかるという。
運動するな、勉強するな、思い悩むな、こうして高校生活が始まった。3年の12月に解除された。
②医師が言うには、現代社会で生活していれば必要な栄養素は十分得られる。薬や栄養剤は排泄するだけで貴重な体力を消耗するという。以来、半世紀の間、歯科治療・予防接種・帯状疱疹・水虫以外の薬物は使っていない。10年前に心不全を患ったため、薬を使用したが必要最小限の投与に止めてもらっている。
③紅麹に付随した化学物質が腎臓に影響を及ぼし、大変な騒ぎになっているが、そもそも必要な物質を摂取していたのかどうかが大いに疑問として残る。摂取していた人は多かれ少なかれ腎臓の機能に不安を抱いていた人たちだと思われるし、医師の処方を受けていたとも思われないから、なおさら不安である・
④例えば、Aという物資が不足して100必要なところ80しか摂取していないとしよう。医師の治療では排泄されることを見込んでも20~50の投与で済ませるだろう。一方、市販薬では50~120くらいの物質を含んでいることが予想される。「よく利くように」多めに含まれている可能性がある。さらに付随して他のビタミンやミネラルなども「健康増進」の目的に含まれているのではないか。あくまで想像の範囲だが・・・。
⑤オリンピック選手やボディビルダーなどは厳密な栄養設計に基づいて調薬されているが、一般的なサプリメントと呼ばれるものは「しろうと判断」で摂取されているように思われてならない。よほどの「偏食」がない限り、三度の食事を習慣づけるだけで問題は解決すると思う。それ以外の症状は医師の診断が必要とおもう。
⑥ちなみに、私の場合、薬漬けの様相の10年を終わって、最少限の内容まで薬を減らすことが出来た。安定期に入ったと自覚している。
2024.6.12. 皇位継承
①個人的にはあまり関わりたくないが、政権与党の基本的な思想に関わるので、とりあえず。
②まず、皇室の維持。女性皇族が結婚した場合皇室を離れるが、皇室に止まって国事に携わっていただく件。結婚相手の男性はどうするのか。真子さんの事であれほどもめたのに、その難しさを理解していない。男性にしても、基本的人権の大部分を放棄して皇室に入るのは難しいだろうし、進んで皇室を望む男性は、それはそれで問題であろう。
③終戦の時にGHQの命令で皇室を離れた人たちの子孫を養子として皇室に迎えるという案。当の本人にしてみれば。現在の生活を捨てて皇室に入ることになり、当事者が難色を示している。男系男子ということで、男子だけにその「価値」を見出す論理には無理があるだろう。
④女性天皇を認めること。そもそも遺伝子の概念が無かった時代には、父親と息子は顔つきも性格も似ていることから、「男系男子」が尊重されてきた歴史がある。確かに女性天皇から生まれてくる子供たちは遺伝的には天皇家の血筋から「遠い」。その子孫を国家の象徴と認めるには、広い国民の理解が必要であろう。
⑤ヨーロッパで女王が成り立つのは、そもそもヨーロッパの王室は互いに姻戚関係にあり、王室以外の血筋が交わることは少ない。最近のイギリス王室のごたごたはそのあたりに問題の本質があるように思う。それを日本でも認めるかどうか。
⑥個人的には、皇室の方々の基本的人権が保障されるような環境になればよいと思う。しかし国民の同意を得られるような解決策は思いつかない。
2024.6.7. あたりまえ
①昨日の東京新聞の記事に、多くのコメントが寄せられていて、多くは否定的な意見が目立った。しかし、内容を分析すると基本的な問題点が明らかになっていると思う。
②「日の丸・君が代」に関して、「国旗・国歌だから」「日本人なら」「学校で教えるのは当然」など。これらの発言の根拠にあるのが「あたりまえ」という認識である。そういう認識を大前提での発言が多く、東京新聞の報じている趣旨とかみ合っていない。
③当事者である私としても、この議論のすれ違いから問題点を説明するには「時間がかかる」。「あたりまえ」を見返すことは個人の価値観に関わることであるだけに、辛抱強い話し合いが必要になる。
④問題化されているのは、「強制」なのである。知事や教育委員会が通達を出したことより、反対する教員は「処分する」という。退職すらちらつかせる。そのような組織の下に「公教育」が行われて良いのだろうか。職員会議での賛否を問う「挙手」そのものまで「禁止」されている。そのような組織で子供たちが育てられていることを支持する人はいるであろうか。
⑤多くの人が「あたりまえ」と思っている「君が代・日の丸」のような事案から始めて徐々に「強制」を広めていくのは、専制国家の常道です。ここでボタンの掛け違いをすると、「もはや逆らえない」状態になって後戻りができない事態に遭遇することになる。
⑥平和憲法の下で、警察予備隊・自衛隊、防衛庁から防衛省、防衛予算、対基地攻撃能力、武器製造・輸出など、順調に戦争が可能な状況に突き進んでいて、政権交代ぐらいでは引き返せないところまで突き進んでいるように思われる。「他国から攻撃を受けた」という引き金で、「議論している時ではない」となって、突き進むしかない状況になる。
⑦似たような議論は、「国民・国土を守る」「子供を産まずして・・・」「家族は・・・」「家父長は・・・」「男系男子」など、無意識に「あたりまえ」と思っていることは多い。「あたりまえ」なことを、「思い直す」ことは思いのほか難しい。年をとると更に難しくなる。
2024.6.6. 東京新聞の記事から
①数葉の写真が掲載されていましたが、割愛しています。勧告の翻訳は市民団体によって作成・紹介されています。本稿でもたびたび取り上げています。
②残念ながら、コメント欄には批判的意見が多数寄せられていますが、問題の本質が理解されていないように思います。
日の丸・君が代強制、国連の是正勧告が1年半も「放置状態」なのはなぜか そこに安倍政権の影響を見た
東京都教育委員会が都立学校の教職員に入学式・卒業式での「日の丸・君が代」を強制している問題を巡り、国連自由権規約委員会が審査結果の中で、思想や良心の自由を保障するよう求める勧告を出してから1年半以上たつ。政府は勧告をいまだ和訳せず、都教委はわが事ではないように振る舞っている。度重なる国際的な勧告に正面から向き合わず、いつまで逃げの姿勢を続けるのか。(山田雄之、森本智之)
◆2022年に公表された審査結果、外務省はいまだ和訳せず
「国民の知る権利の観点から、早急に仮訳を公表すべきではないか」。4日の参院外交防衛委員会。自由権規約委が2022年11月に公表した日本政府への審査結果について、外務省のウェブサイトに和訳が出ていないことを高良鉄美氏(沖縄の風)が指摘した。サイトでは1年半以上たっても、英語など国連公用語版しか掲載されていない。
上川陽子外相は「(審査結果は)範囲も広く、関係する府省庁も多岐にわたる」「専門用語、法令用語を踏まえる必要がある」などと説明。「正確な仮訳を作成するために時間を要している。できる限り早期に公表できるよう努めたい」と述べた。ただ、日本弁護士連合会は23年4月に審査結果の和訳を公表しており、外務省の消極姿勢が浮かぶ。
審査結果で厳しい目を向けられたのが「日の丸・君が代」問題だ。
◆石原慎太郎都政期に規定、計481件の処分
石原慎太郎都政期の2003年、教職員は「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」と規定し、従わない場合は責任を問うことを明記した通達が出された。文部科学省によると、03〜22年度で計481件の停職、減給などの懲戒処分があった。
自由権規約委は審査結果で「教師の消極的で暴力的でない行為の結果、一部の者が最長6カ月の職務停止の処分を受けたこと」「式典中に生徒に起立を強制するために有形力が行使されたこと」に対して懸念を表明。「締約国は、思想及び良心の自由の効果的な行使を保障し、このような自由を制限するいかなる行動も慎むべきだ」と勧告した。
これに先立ち、国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の合同委員会も2度にわたって、「起立や斉唱を静かに拒否することは、職場という環境においても、市民的権利を保持する教員の権利」などとする是正勧告を出している。
◆「勧告されたのは国だから東京都には関係ない」で通る?
処分された教職員らでつくる「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」は自由権規約委の審査結果を受け、今年2月に外務省と文科省との意見交換の場を持った。外務省に対し、審査結果の早期の和訳や地方自治体への送付を要望したが、担当者は和訳作業のめどを示さず、「完了したらサイトに掲載して周知する」と自治体送付を受け入れなかった。
文科省には「強制は人権侵害だ」として都教委に通達を撤廃するよう指導を求めた。だが担当者は「最高裁判決では、都の通達は制約を許容しうる程度の必要性・合理性が認められている。是正要求の予定はない」とかたくなだった。
市民会議は5月下旬、都教委が審査結果への見解などを都議にレクチャーする場に同席した。担当者は「都教委は地方公共団体として、国際人権規約に答える立場にない」という回答に終始したという。
これらの場に同席していた市民会議メンバーで元教諭の渡辺厚子さん(73)は「いずれの対応もあまりにも不誠実だった」と憤る。「外務省も文科省も国際的な勧告をないがしろにしており、人権を軽視している」と批判し、都教委には「そもそも自分たちの問題だし、地方自治体は国をつくる一部だ。『国への勧告だから関係ない』というのは詭弁(きべん)にもほどがある」と切り捨てた。
◆文科省「国連はわが国の実情を理解していない」
「こちら特報部」は5日、関係当局の見解を改めて確認した。
自由権規約委の審査結果について、外務省の担当者は「所管する関係府省庁で十分に内容を検討していく」としたが「法的拘束力を有するものではない」という位置づけをした。和訳の遅れの理由は上川外相の国会答弁と同じ説明だった。
都教委の担当者は「答える立場にない」と、都議に対するのと同じコメントを繰り返した。
先述のILOとユネスコの勧告は文科省が所管する。同省は「わが国の実情や法制について、十分に理解されないまま勧告されている」と反論。「必ずしも受け入れていない勧告の内容だけが広がるのを防ぐため」として和訳もしない考えだという。
◆教員採用試験の倍率は過去最低を更新、定員割れ寸前
勧告を無視するような行政の態度は、教育現場にも悪影響を与えかねない。
武蔵大の大内裕和教授(教育社会学)は「日の丸、君が代の問題に限らず、教育行政は、教員への締め付けを強め、教育現場の自由が失われている」と指摘する。都教委が昨年度に実施した小学校の教員採用試験の受験倍率は定員割れ寸前の1.1倍にとどまり、過去最低を更新した。首都圏の他自治体と比べても低迷した。
大内氏は「教員不足の理由として長時間労働の問題がよく取り上げられるが、通達にみられる現場への締め付けも教員不足の一因になっている」とみる。その上で「教員不足は、教育の質の低下にもつながる。教える側の教員に自由がないのに、子供の自由な思考なんて伸ばせない」と懸念する。
人権法の専門家も行政側の「不作為」を批判する。明治学院大の阿部浩己教授(国際人権法)は「自由権規約委の勧告は、日本が自由権規約を誠実に遵守する義務を履行する上で、地方公共団体としても当然に考慮を求められる。『我関せず』という態度は、条約など国際法を日本の国内法として扱うよう求める日本国憲法や国際法秩序に背を向けるに等しく、看過できるものではない」と力を込める。
◆安倍政権は国際人権勧告に「法的拘束力はない」と…
東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)も国や東京都の姿勢を「全く対応していない」とバッサリ。「文科省は『自治体の問題である』と言い、都教委は『政府への勧告である』と言うが、ただのごまかしだ。主権国家は統一した対応を取らなければならない。ILO、ユネスコに加え、国連の委員会からも勧告が出されたことは重要で、日本の対応が国際社会では通用しないことが再確認された」と強調する。
前田氏によると、かつては日本政府も国際機関からの人権上の勧告に対して、問題の改善に力を注いできたという。精神障害者の人権擁護をうたう精神保健法の成立や、ドメスティックバイオレンス(DV)、セクシュアルハラスメントに対する法規制などだ。だが「2013年、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる国連人権機関の勧告に対し当時の安倍政権が『法的拘束力はなく、締約国に従うことを義務づけているものではない』と閣議決定した。これ以降、国際人権勧告に対して明らかに後ろ向きになってしまった」と嘆く。
「先進国としてこうした日本の対応は問題だと指摘されてきた。いわゆる先進国として、『自由や民主主義という普遍的価値を共有している』と政府は言う。だが、本当にそうか。自由で民主的な国家に必須の人権を守る努力を日本はしなくなったように見える」
◆デスクメモ
都教委は思考停止も甚だしい。国際的勧告に対して当事者じゃないと横車を押して、逃れようとする。議論を避ける一方、規則を押しつけ処分を振りかざす。誰がそんな強権的、全体主義的な場を好むだろうか。教員不足の原因の一端に政治におもねる教委の姿勢があるのは明らかだ。(北)
2024.6.5. 5月35日
①天安門事件・1989年6月4日が起こった日が、中国では「6.4.」の数字が「禁句」となっていて、代わりに「5.35.」が使われているという。
②当時私のいた学校の近くの都立高校の生徒会が抗議声明を発表し、近隣の学校にも働きかけるという。開校直後の1年生しかいない学校で、どのように対応しようか、心の準備をしていたが「事無き」を得た。15歳、入学してから2か月の生徒を前に、複雑な気持ちで過ごしたことを覚えている。
③折しも靖国神社への落書きが問題になっているが、35年の年月が重く「いまさら」の感があり、逆に35年間「なにをやっていたのか」という思いもある。
④東日本大震災の「3.11.」も以後の検討が十分とは言えないが、「3.10.」が霞んでしまい、振り返る機会が亡くなっている。
⑤「事後の検証」を本気で考える必要が重要になってきていることを、つくづく感じる。
2024.6.5. またか
①交野市が大阪府の姿勢に反発して、万博のポスターを撤去するという。いろいろな意見があるのだろうが私の見解を書いておく。
②交野市は学校単位で全生徒の万博見学について、市としては行なわないことを表明した。大きな理由は貸し切りバスの調達やその費用(5000円)という。裏には爆発事件や引率教員の負担などがあると思う。
③これに対して大阪府は府立学校に調査を行った。行くか、未定か、検討中かの選択肢であったという。「行かない」という選択肢はなかったという。未定・検討中の学校には教育委員会?から電話があったという。管理職の人事権は府にあるので、少なからぬ圧力となる。
④私が現役の時、ふと見ると段ボール箱があり、石原知事の「僕は君のために死ねる」?という映画のポスターと生徒分のちらし・割引券が入っていた。教頭に責任者を聞いたところ「不明」ということで、管理職の許可を得て廃棄したことがあった。交換便を使ったのであろう。
⑤東京都では10.23通達以降、教育委員会の圧力が強力なものとなっていて、管理職が自由に学校経営ができなくなっている。10.23通達は卒業式の運営に関する通達であったが、20年後には学校運営のあらゆる面で「管理色」が強まっている。訴訟も5次訴訟まで続いているが、最高裁もそろそろ考え直して欲しい。
2024.6.3. トランプ裁判
①「陪審員裁判」を知ったのは「12人の怒れる男」を見た時である。後日、演劇の授業で「演技」だけではなくカメラワーク・証明やセリフの役割などを「教材」としておおいに活用したため、細部にわたって理解していたつもりであったが、今回の裁判で認識を新たにした。
日本の風土に合わせた陪審制度を考える上で感想を述べておきたい。
②まず驚いたのは、戸籍が整備されていないこと。聞くところによると①免許証所有者②選挙の登録申請者③その他、などの候補者を100人以上無作為に選び出し、外国人など陪審員の資格のない人を排除し、特定の宗教・政治・思想などに偏見などがないことを確認して、12人+6人(予備)を決定する。かれらは裁判の期間中拘束されるという。一平さんの事件で「有罪を認める」条件が一般的と言われた理由がわかるようなきがする。
③もっとも驚いたのは「全員一致の評決」に至ったことである。まず、現在のアメリカの政情を考えれば、脅迫や殺人の恐怖がある。さらに一人でも意見の一致に反すれば裁判のやり直しであって、全員が確信をもって意見を言える環境と判断力がなければ成り立たない。それが「無作為」で抽出した人々で構成された人々に判断を委ねる制度であることである。
④日本的感覚からいうと、「判断の保留」が頻発するように感じる。日本の陪審員制度は評決に裁判官が加わることで「判決の誘導」があるのではないかという懸念があるが、逆に陪審員だけの表決では、日本人には難しいような気がする。アメリカの民主主義のしたたかさを感じた。
⑤ついでに、この評決の私の意見はおそらく、トランプ陣営の主張になんの根拠も見出せなかったというところであると思う。そうでないとすべての嫌疑に「有罪」の評決は出てこないだろうと思う。それはトランプ陣営の弁護団が一番知っていることであろうし、同時に一番の稼ぎどころではないか。弁護士のしたたかさを感じる。
2024.6.3. 那須・冬山遭難事故
①以前(2022.2.10.)この欄で取り上げた「那須岳・山岳事故」の裁判の判決がなされた。私も山岳部の顧問を10年間務めた経歴を持つので、思いをまとめておきたい。
②まず、禁固2年の実刑判決については、当事者ではないので軽々に評論することはできない。しかし、3人の顧問が50代後半から60代ということを考えれば、十分思い判決であったと思う。
③判決で触れられていないことに、教育委員会の責任がある。特に冬山での訓練は登山計画書の厳しい審査ののち教育委員会が許可する。私の経験でも装備のひとつひとつから非常食の内容、女性教員の付き添いの有無まで、毎回厳しい指摘があった。
今回の遭難事故では、指導者の育成を兼ねて数校の合同登山であったと聞く。顧問の責任の所在が明確でなかったと思われる。死亡した顧問は初心者であったことや、最高年齢の顧問はふもとに居て、現場には同行していなかったと聞く。
④私が山岳部の顧問になったころ、東京都では高校高専の雪崩事故の裁判中で「冬山禁止」であった。顧問になった年に「山岳指導者講習会」に参加して教育委員会の担当者と話し合ったとき、「禁止」が続くと顧問の指導力の育成が困難になるので、一刻も早く解除して欲しいと要望したが、さらに、同一高校での勤務年数が次々と短縮され、登山経験の伝達がより困難になっていく現状がある。(長年勤務の教師は校長にとって扱いにくいというのが理由)
⑤さて、本題の「なだれの予見」が可能かどうかであるが、報道を聞くと「新雪表層なだれ」と推測できるが、予測が難しく「コースの選択」が重要になるケースと思われる。しかし、トップには初心者である若い顧問がいただけのようで、経験豊富な年配顧問は後尾を務めていたようである。数校が別々の顧問の下に行動していたと聞くと「起こるべくして起こった事故」と断罪されても仕方ない。
⑥最後に想像でしかないが、「顧問間の意思疎通」であろう。当時50代の顧問が少なくとも3人同行し、死亡した顧問は30代と聞くと、どのような会話がなされたか、想像がつく。私の時は40代の経験豊富な顧問と多くのOBたちと、学校以外での山行の経験を含めて5年以上の経験で、「やっと」引き継ぐことが出来た。それでも、ルートの選定はそうとう自粛して計画を建てた記憶がある。
⑦裁判の結果は深刻に受け止めなければならないが、その「遠因」はそれぞれの立場の人が「謙虚に」受け止めなければならない。