そのうちに 2024.12.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

・・・2021年4月分 5月分 6月分 7月分 8月分 9月分

・・・・・・・10月分 11月分   12月分

・・・2022年1月分 2月分 3月分 4月分 5月分  6月分  

・・・・・・・ 月分 9月分  10月分    11月分 12月分

・・・2023年1月分  2月分  3月分  4月分  5月分  6月分   

・・・・・・・7月分 8月分 9月分   10月分   11月分 12月分

・・・2024年1月分  2月分 3月分 4月分  5月分    6月分 

・・・・・・・7月分 8月分 9月分   10月分   11月分 12月分 はこちら

 

目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2024.12.28. 夫婦別姓

①夫婦別姓の議論が最高裁の判断に委ねられる時期も近いような気がしてきた。最高裁が何か言わねば動かない政府の頑なさはしみじみと情けなく思うが、政府の主張の「説得力の無さ」を感じる場合もある。

②一方で、別姓を主張する人たちの理由はそれぞれもっともだとも思うが、例えば「子供の姓はどうするの?」などという具体的な疑問に答えられないことに気づいた。姓の歴史は明治以降の話で、江戸時代までは「家」の名前であったように思う。諏訪の「〇〇新田の次男坊」から「新田次郎」というペンネームが生れたように、「姓」の歴史は最近のもののようだ。

③レオナルド・ダビンチなども、ビンチ村のレオナルドから来ていると聞いているので世界はどこも一緒のような気がする。便利さと不自由さとの問題で、政争の具になるものでもなく、良いか悪いかを裁判で争うものでもないような気がする。

④別の視点に立てば、夫婦別姓に賛成か反対かで二者択一になっていることが心配。中間に漂ういろいろな問題を解決しながら社会を作っていかなければならないのに、賛否の立場で議論するのは生産的でないばかりか、負の側面が大きいような気がする。

⑤というわけで、賛否を主張する両者に問題点と解決策を提案して欲しいというのが私の夢。西欧の名前にある「ミドルネーム」というのも一つの解決策なのではないのだろうか。

⑥余計な知識だが、天皇家には「姓」が無い。③ではジャンヌ・ダルクの例もある。「清水の次郎長」も??。

2024.12.26. オールドメディア

①オールドメディアの評判が悪い。ニューメディア?というものが何を指すのか知らないが、二極対立の風潮がここにもある。最近の選挙で、TVや新聞などのメディアの中には誤った情報を伝えたものもあるし選挙の公平性から制約も多かった。それに対して、報道されなかった情報を「真実」として強調して、陰謀論などと絡めてSNSで炎上した。

②そもそもSNSに代表されるニューメディアの信頼性はどこにあるのだろう。それぞれが好き勝手に言いたい放題発言している中から、どのようにして「真実」を探すのだろう。アメリカの大統領選挙を見ていると、真実かどうかはさておき「同じことを、繰り返し」発信することにより目にする情報頻度は増大し、「みんながそう言っている」ことが真実のように思えてくる。SNSを見ていると、短い文章で、断定的に発信されることが多い。自然と「正しい」か「誤り」かの二者択一の論理展開になる。

③民主主義の基本に「多数決」があるが、イギリスのEU離脱やアメリカなどの大統領制の国々で、競争が切迫した場合、国論を二分する結果になっている。日本でいえば憲法改正論議がこの傾向に向かっている。主張が拮抗している時に「多数決」に頼ると、どちらに触れるかは「時の運」になりかねない。

④大切な結論を出すためには、「三分の二」の判定が必要になるのではないか。実際、議会などの審議で「重要事項は2/3の賛成」が一般的である。しかし、国民投票などで決定する場合、「世論」の動向で決まりかねない。

⑤まあ、国民ひとり一人が責任ある判断ができれば、もしくは判断できるだけの情報を得られていれば、それも「国の行方」として認める?べきであろう。
それが、両極端の選択であった場合は、ガラポンになりかねない。

2024.12.26. 教員の給与

①文科省が教員の給与を10%上げるという。私にとっては関係ないが、「よかったね」と喜ぶ気になれない。問題は一つも解決しない。
追記 : 給与が上がるのかと思ったら、「教職調整額(現行4%)」を段階的に10%にするという。「定額、使い放題」は変わらず、本給は据え置き。(2024.12.28.)

②教員は「定額、使い放題」と言われているように、少々給与を上げたぐらいで解決するものではない。そんな予算があるなら、教員定数を増やすことは出来るはず。1クラスの定員を35人を目標に減らしたいというが、私が高校生の時(60年前)50人だった。教員になったとき48人だった。その後、45人になり40人になり現在に至っている。30人ぐらいになると目が行き届くようになるが、それ以上減ると社会性が育たないという。

③放課後の学習指導やクラブ活動を通じての生活指導も、よほど時間に余裕が無いとできない。初任の頃、昼休みに緊急を感じさせる電話があって収拾に半日かかったことがあった。その間の授業その他を、他の教員にバックアップしてもらって事なきを得た。

④小テストを作って、印刷・実施・採点を考えると、どうしても3時間はかかると思う。放課後の2時間の半分は無くなる。授業授業を週16時間持つと、授業準備を4時間で済ませても週の勤務時間(40時間)の半分が必要になる。(一人が3~4種類の授業を担当)

⑤補講・インフルエンザ・不登校・いじめ・・・そうそう、教務や進路・生活指導などの校務(学校運営)もあります。給料の増額で志望者が増えるとは考えられません。現場は「歯をくいしばって」眼前の生徒と取り組んでいるのです。(文科省・教育委員会の「調査」も。)

⑥「103万円の壁」問題も、パートをせざるを得ない主婦の生活が顧みられていない。防災省も必要かと思うが、能登の現在を見ると「何もしていない」に等しい。

⑦年寄りの愚痴になってしまいました。来年は反省して・・・。

2024.12.24. 続・年賀状じまい

①21日に「年賀状じまい」を書いていたら、あまりにも消極的な側面が強くて、気持ちが沈んでしまいかねない。バランスをとるために、今日は対極的な意見を試みてみよう。

②私の理想は、数十年ぶりに会った人と「今」を語り合いたいこと。懐かしい昔話をしていると、別れた後に「何だったのだろう」という感想では、もったいない。近況を語り合って、疎遠だった時間を満たすのは大切だが、「これから」を語りたい。

③夏に還暦に近い卒業生と会ったが、インド人家族の観光ガイドのための下調べだという。数時間にわたって植物の名前や写真・歴史など取材の手伝いもかねて会話を交わした。数十年の空白が埋まり来年の計画など話し合った。老人にはもっとも大切な時間となった。

④先日のクラス会では、LINEによってつながった仲間の力を感じることが出来、SNSの効用?を感じたが、急激に変化する現代社会の中での「生き方」を考えるヒントになるだろう。そのようなことを考えながら、せっせと年賀状を書いている。

⑤年賀状は、通信や交流が困難だった時代の「先人の知恵」だと思うが、その効用を維持するための手段を考えなければならない。写真や映像なども、スマフォの中に入れっぱなしでは、いずれ・・・。歴史家も、歴史資料の後世への伝達に悩んでいるそうだ。

2024.12.21. 年賀状じまい

①季節の話題と言えばそれまでだが、一年に一度、考えてみるのに良い機会と思う。

②TVの特集を見ていると、「父が亡くなって、喪中の葉書を出そうと思ったが・・・年賀状も住所録もなく、困った」という。それはともかく、故人が友人や社会の中で結び続けた人間関係が跡形もなく無くなってしまうのが「死」だ。

③通夜や葬儀は儀式という面もあるが、残された人の「こころのすきま」を修復する時間だと思う。交際の長さや深さによってさまざまであろうが、必要な時間だと思う。

④訃報が届き葬儀に参列した場合、参列した人たちと故人を偲ぶことが出来る。喪中の知らせを受けて、はがきを前に個人を偲ぶとき、その時間は短い。連絡が届かない場合、「なんとなく」記憶から失われていく。なんだか、さみしい話になってくる。

⑤そのために「年賀状」を書くというわけではないが、近況を交換することにより「意識の中に」存在が続く。そんなことを考えていると、「年賀状じまい」が大きな「損失」のような気がしてくる。スマフォの中で処理できるものなのであろうか。
しばらく、考えてみたい。

2024.12.20. 小野党

①現在の時給1000円で考えると、1日4時間・週5日・年250日働くと、年収100万円。これでは年末に「103万円の壁」に当たることは自然な現象。

②「壁」は当初、物価上昇に連動して引き上げられていたというから、制度としては妥当。制定時は時給が現在よりも低かったので、「壁」は感じられなかったのだろう。

③しかし、ここ10数年、引き上げを怠っていたので、今回の事件?になった。

④一方、178万円を逆算すると1日7.12時間の勤務となる。パートで働く人たちが7時間以上働くことを希望するだろうか、家事や子供の世話などで支障が起こる。保育園などの支払いも増えるだろう。自民党案の125万円だと1日5時間。1時間の増加で年間250時間の余裕が出る。

⑤自民党の成案にはいろいろな「裏事情」があるのだろうが、今回に関しては、結果的に非常に妥当な提案のように思われる。今、議論すべきことは社会事情に応じてこの「壁」を適切に連動させる制度を考えることだろう。

⑥国民民主党も、「とりあえず178万」と言っているだけで、予算措置も何も考えていなかったのだから、「徐々に見直していく」ということで来年度の125万円を実行させるべき。キャスティングボートを握った嬉しさに、はしゃいでいる時ではない。これではいつまでたっても「小野党」でしかない。

⑦むしろ、7時間以上の労働となれば労働者として1人前。正規採用にして所得税も健康保険も負担すべきで、それに対応した賃金制度を考えるべきで、「扶養控除」なども見直すぐらいの大胆な税制改革を提案してこそ、「次期与党候補」なのではないか。

2024.12.18. 知らなかった

①政倫審(政治倫理審査会)の答弁で、「知らなかった」が連発されている。「知らなかった」で済まされる問題ではないと思うが、「知らなかった」から「仕方ない」でしょうということらしい。

②「党議拘束」というのがある。政党幹部が決めた方針に、採決では「賛成票」を投じなければならない。だからというわけでもないが、タレント候補が有効になる。仕事は官僚に任せて、決断は幹部が支配して、タレントは「票」を集める「広告看板」として働く。

③マスメディアが「知らなかった」と言ったら袋叩きになるだろう。それでなくとも、言葉の端々を取り上げて炎上しきりの世の中である。SNSはなんの根拠もなく「言いたい放題」。当然、責任は取らない。「知らなかった」でOK.

④一方で「知らせなかった」も横行している。これは確実に犯罪であるが、その摘発は難しい。一部は「知らなかった」の中に含まれるのであろうか。心理学で、都合の悪いことは「無かったこと」「見なかったこと」「知らなかったこと」にする本能があるそうだ。

⑤逆に、被害の恐れのある体験は記憶の底に蓄積する。自己保全の本能である。
権威が崩壊して、自分を信じて判断するしかない時代といえる。AIの発達で映像も疑わしい世の中になった。[百聞は一見に如かず??」。人類はどこに行くのだろうか。

2024.12.18. 年賀状じまい

①毎年のことながら、今年も「年賀状じまい」の季節が来た。「年賀状」の季節と書かないのは理由がある。

②ネットで「年賀状」を検索すると、にぎやかなことこの上もない。年賀状の歴史から、マナー・例文集など、みんなが「年賀状じまい」をしているようで、そういう意見ばかりが飛び交っている。私のように「年賀状の効用」などを言っているサイトは無い。

③これがSNSの世界かと、改めて思った。一度この世界に飛び込むと、よほど強固な意志が無いと「やめようかな」という気持ちに引きずり込まれる。

④最近では、「おねだり」から始まってその真偽もわからないまま不信任。次は「陰謀」「誤情報」の根拠のない世論が散乱して、前にも後にも動けない状況で「裁判?」。百条委員会は誹謗・中傷のなか「および腰」。「オールドメディア」などというレッテルを貼られてマスメディアは信頼を失っている。次のターゲットは「103万円の壁」。

⑤冷静に、「自分の意見」を持つことが必要になってきている、そんな時代だとおもう。
私は、今年もたくさん年賀状を書きます。
ふれあいが無いと、喧嘩もできませんから。

2024.12.17. 豊かさ

①よく、「おいしそうに飲んでますね」と言われる。つらそうに、「今日の一日を忘れるために飲んでいるんだ」という人に会ったことがある。幸せは、「思ったもの勝ち」だと思う。自分の人生が幸せであると思って生きていれば、幸せな気持ちになれる。

②NHKの「鶴瓶の、家族に乾杯」という番組を、ときどき見る。鶴瓶さんとおない年のせいか親近感がある。芸能人として、幸せいっぱいをまき散らしているところが良い。地方が舞台の事が多いので、どこも過疎で悩んでいる。しかし、登場する人たちは幸せな表情で、ゆったりとした家に住んでいる。

③東京の片隅で、この様なブログ?を書きながらコンピュータに向かっている身としては、考えざるを得ないものがある。でも、この画面の向こうには多くの人がいて、読んでくれていると思うと限りなく幸せを感じる。

④最近、楽しい話題が減って、時事問題に偏りがちになって、山の話・切手の話題から離れているのが寂しい。深刻にならず余裕をもって「高く広い視点」を心がけようと思う。話が深刻になったときは、読んでくれている人に申し訳ないと思う。

⑤野球の、今永選手が「挑戦は1勝、失敗しても1勝1敗」と語っていた。最前線でプレーしていて、この余裕はなんだ??と思った。頑張りましょう。

追記 : 1922.3.19.   に同じような観点で書いてましたね。失敗を恐れない世の中。

2024.12.16. 教員採用試験

①日本各地で教員採用試験の応募者が減少し、欠員が出る自治体が多発している。ひところは国語科や社会科などでは数百倍の競争率で、免許所有者の少ない数学科ですら数十倍であった。

②当時、採用試験に合格しても「採用決定」ではなく、欠員が確定した学校が合格者の中から採用を決めるため、一般企業の採用内定と睨み合わせながら「待機」するしかなかった。そのような状況でも、教育職志願者は採用の機会を待ったものだった。

③「教育職」志願者の動機は企業への就職志願に比べて強いものがあり、非常勤や産休補助などの不安定な状況で本採用の機会を待つ者もいた。

④そのころから、管理職の「リーダーシップ」を旗印に、教育委員会の圧力が強まった。職員会議の意見を聞きながら校長が判断していた学校運営を、職員会議での議決を認めず、「賛否を問う」ことを禁止し、「職員会議」を校務の連絡会として、職員の意見に耳を閉ざす方向の学校運営がなされた。

⑤校内・校外人事も教育庁が取り仕切り、校長の裁量権が取り上げられていった。

⑥「教育職」は子供たちの成長を援ける仕事として魅力ある職業と考えられているが、校長を通じて教育委員会の「言いなり」となる現状が、かれこれ20年以上続いている。現在45才以上の教員にとっては「最初から」そのような職場であった。

⑦教育実習をして「教育職」から離れていく学生が多いというが、指導する教員も指導される学生も誇りをもって納得できる職場ではないことを感じ取っているのではないか。

⑧今日は、ここまで。

2024.12.11. 理想論

①「核兵器絶滅」を訴えると、「それは、理想論。現実は・・・。」というような展開となる。場合によっては、「理想論者は現実を知らない。世間知らずの未熟者。」というような論調に発展して議論が進まない。

②同じような状況が、憲法9条を含む改憲論議にもある。「現実を理解して軍備を整えるべきだ」という論理につながる。「戦争の放棄」は理想であるが現実的でない。夢物語であると。

③私は夢や理想がどんなに遠いところにあっても、着実にそれに近づく努力を忘れてはいけないと思う。「現実」という立地点からどの方向に進むかが大切なのであって、近視眼的に足元を見て方向を決定するようでは、たどり着く場所の保証は無い。

④高校教師を長年やっていた経験でいうと、長い将来を見通している生徒は眼前の問題を乗り越える力を鍛えることが出来る。多少「迂回」することがあっても、最終的に幸せな人生を歩んでいるようだ。逆に、内申点を高めて推薦入学を目的としていると、大学入試の次は就職(ガクチカ)そして昇進(風見鶏)・老後(無趣味)という道を歩む。

⑤最近の政治を見ていると、現金給付・離島防衛・補助金行政など、場当たり的な行政が目立つ。少子化の原因を取り除こうとしないで、絆創膏を張り付けることしかしていない。

⑥今回のノーベル平和賞の受賞は、大きな未来に向けての小さな一歩をノーベル財団が認めたということに意味がある。
まさか、国民栄誉賞のような「オチ」は無いと思うが、今の政府にはその程度の「チエ」しかないようで寂しい。国会は、無視する態度を決め込んでいる。その余裕がないようだ。

2024.12.10. 103万円の壁

①手取りが増えるなら、公共サービスの低下はやむを得ない、という意見が過半数を越えているという。同じことが、ふるさと納税にも当てはまる。日常の買い物が無料?で買える(もらえる)?のならと、地方税を地元から流している。自治体はサービスの維持と闘っている。何かの解決策になっているのであろうか。

②現在の日本で、ある程度の生活が充たされている人にとって、多少の市民サービスの低下は我慢しよう、ということになるのかもしれない。しかし、現実はそのようなサービスの低下を直接に、身に凍みて受けている人がいる。

③生活保護を受けている人・年金生活者でなくとも、病気で働けない人・保育園に子供を預けて働いている人・電気代を切り詰めなければならない人・・・。そういう人たちの手取りは増えるのだろうか、ふるさと納税の恩恵?を受けられるようになるのだろうか。

④公共事業として何が必要で、そのための費用はいくらかかるのか。その費用を公平に集めるのが税制であるはず。今回の103万円の壁問題は、その根本的な視点が欠けているような気がする。税制が複雑化してきて、根本的な改変が難しくなってきている。立ち止まって考え直す時機にさしかかっているのではないか。

⑤このままで103万円の壁問題を解決すれば、単にパートの人たちの労働時間が増えるだけではないのか。収入は増えるが生活の自由な時間は減る。豊かさは減る。

2024.12.5. 地球温暖化

①TVなどで地球温暖化について取り上げる機会が増えている。世界各地で起こっている異常気象からの惨事を生々しく伝えている。

②地球に生命体が生れた大きな原因の一つに「水」がある。もちろん、生命に維持には水が不可欠だが論理はその逆で、水があったからこそ生命が生まれた。その理由は「比熱の高さ」にある。

③地球が水に覆われていることにより、気温は一定に保たれる。生物にとっては気温が安定することが生命を維持するために無くてはならない条件である。しかし、その大部分を占める海水の温度が上昇している。

④この欄でたびたび触れてはいるが、人類は気温を上昇させることは出来るが、下げる手立てを持たない。熱エネルギーが宇宙に向かって放出されるのを待つしかない。

⑤20世紀以降、温暖化が緩やかに進行している理由は極地の氷である。氷が解ける時、莫大な熱量を消費して地球を冷やしていた。冬季に雪を貯めることにより温暖化を抑制していた。もし、極地の氷がなくなり地面が露出すれば地表の比熱は水に比べて極端に小さいから、熱量を吸収する方向に働く。

⑥極地の氷の融解は海水面の上昇を招くが、地表が露出した時の気温の上昇は計り知れない。北極の氷は海水上に浮かんでいるので、海水温の上昇はより進行する。

⑦何度でも書くが、人類には地球を冷やす力は無い。そのことを直視すべきである。

2024.12.2. 直系男子

①天皇制の存続のために審議会?が出した案が、(その1)傍系男子を養子として迎える、(その2)女性皇族を結婚後も皇族として残す。

②(その1)今は一般人となっている、旧皇族の男性の子孫(男性)を養子を迎える案。以前、候補の方がインタビューに答えて「難しいでしょうね」と言っていた。ご自身は老齢?で候補者ではない?ので本音なのだろう。「進んで皇室に入るのは・・・」。配偶者がいて子供がいたら???

③(その2)「結婚すれば・・・」と思っている女性皇族は多いと思う。皇族として残ったとき、配偶者の選択が難しい。相手の男性を皇族として認める民意はあるのだろうか。

④根底にある問題は、「基本的人権」であろう。いままで、あまりにも無視してきた。世界中で人権が問題とされていない人がいる国は、先進国では日本だけだろう。「天皇家は特別」とか「日本国の象徴」と言って、思想信条の自由、職業選択の自由など、日本国民なら無条件で保護される自由権がまったくない。一般人がその世界へ入っていったのは・・・だけである。

⑤そのことにこだわっている、少人数?の人たち、その支持を頼みにしている政党。そろそろ、考え直しませんか?

2024.12.2. 同窓会

①先日、教師となって初めての担任クラスの同窓会があった。当時、私は25歳、彼らは16歳。現在、73歳と64歳。5年くらい前に同窓会があったので50年ぶりではないが、それにしても「久しぶり」であった。46人クラスの中、20人が集まった。

②私の高校時代を振り返ると、10人くらいの仲の良い友人が毎年集まるのが精いっぱいで、旧クラスで消息が分かっている人数は数名だろう。なぜか?を考えていると、SNSの役割が顕著であった。LINEで結ばれていて、オーストラリアやアメリカの仲間とも密接な情報交換をしているようだ。

③この会の始まりに「ひとこと」を求められた中、「年賀状終い」に触れた。人と人との触れ合いの大切さと、今でも年賀状の数が増えている自身の「自慢?」のつもりだったが、彼らには別の「武器」があった。スマフォを持たない私が、私のHPをQRコードで宣伝することの不釣り合いと相まって、時代の急激な変化を表していた。

④それにしても、46人のうち40人がLINEを組んで世界を舞台に活動している。女性を含めて多くが現役で働いているのも、「時代」と言えばそれまでだが、頭が下がる思いだった。年齢差9歳の差でこれほど変化したのかと認識を新たにした。

⑤老齢化社会への対策や、青年層の誹謗中傷の問題、SNSを活用した選挙など多くの問題を含みながら時代は急速に変化している。年寄りが昔を懐かしんでいるヒマは無い。頑張ろう。

戻る