そのうちに 2025.2.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2025.2.28. 反トランプデモ

①大規模な反トランプデモのニュースが流れた。その中に、参加者は99%白人だったという。その理由は、もしも暴動に発展した時に、黒人などが身の危険を感じているからだという。インタビューに答えたその白人女性は「その人たちのために」代わりに参加しているという。

②1960年代、高校生であった私の友人がAFSの留学から帰国した。ワシントン広場?での独立記念日の写真であった。友人は「白人ばかり」であることを指摘して、「自分は白人のグループに入れてもらっているから、そこに居る」ことを教えてくれた。

③当時、黒人と白人は異なる学校に通い、通学バスも異なる。プロ野球すら別々のリーグであったという。ケネディ大統領が共学を行うために、軍隊が警護したという。

④半世紀前の時代に戻ったように感じるとともに、「差別」の解消はそれほど難しいものだと再認識した。オリンピックの水泳で黒人選手を見かけるようになったのは、つい最近?のような気がする。日本でも差別の感覚は「根強い」。

⑤トランプさんが軍のトップ(黒人)を更迭したようだが、閣議のメンバーの中に黒人は居たのだろうか。そういう視点からアメリカの行方を見守る必要がありそうだ。残念なことだが、この状況を修復することはとても困難だと思う。

2025.2.27. 自己矛盾

①この記事は、数日で抹消しますが・・・憤懣やるかたなし

②吉村さんが「秘密会なのだから、隠すべきではなかった」というが

③その同じ派閥のひとりが、秘密会の内容を、録音して漏洩した

④「気持ちはわかるが」・・・わかっちゃいない・・・わかってはいけない
信頼を失いますよ

2025.2.24. 手間ひま②

①若い頃、資源の枯渇が騒がれていたころ日本の経済が世界で生き残るためにはどうすれば良いかをまとめたことがある。原本が無いので記憶の中から拾い出してみた。

②頭の隅にあったのはドイツ製の文房具。定規やコンパスなど、日本製と較べて3~5倍ぐらいしていたような記憶がある。しかし、それらは50年経った今でも使っている。そんなことを念頭に今を考えてみた。

③資源の少ない日本では食料ですら輸入に頼らなければならない。何か作ろうとしても、材料を輸入しなければならない。輸出できるものと言えば「手間ひま」しかない。当時は自動車や電気器具が輸出の花形で、大量生産で十分な貿易黒字を得ていた。コンピュータの時代になっても半導体で優位に立てた。

④大量生産・大量消費の時代は終わったと思っていたのに、日本人の価値観は逆方向に向かっているように思われる。最近日本橋や丸の内で昼に食事する機会があったが会費5000円程度だったが、おいしいのだが「何を食べても同じ味」がして感動が無い。近所の町中華の方が味わいがある。

⑤登山で長野県の方に行くことが多いが、田んぼの中に新築家屋が目立つ。ひと世代ごとに家を建てていたら、人生を家のために費やすことになる。ヨーロッパで石造りの古い町並みが見られるが、中は相当近代化して家族で住んでいるようだ。むかし日本の住居を「ウサギ小屋」と揶揄された時代があったが、解決の方向が「億ション」では解決にならない。

⑥松本にいたころ、家具を買いに来た外国人が何度も下見していたのに来なくなった。一年後に訪れて、「お金がたまったから」と言って買って行ったという話を聞いた。最近日本では「宅配」が当たり前のようになってきているが、私には「手間ひまの浪費」のように思われて仕方ない。

⑦コンクリートの家は50~100年くらいで建て替えるというが、木造建築は400年くらい保つと聞いた。数世代が蓄積できる家財は相当な量となるのに。もったいない。先の短い身としては・・・後の祭り?。

2025.2.24. 選択すること(2.26.追補)

①特急券を購入する際、数えてみると25回くらいのキーを押さなければならない。後ろに列ができる。セルフレジでもたもたしていると、店員が寄ってきて教えてくれる。そんな年齢になったのかとも思うが、なぜもたもたすることになるのか?
慣れている若者は半分くらいの時間で用を済ませている、どこに違いがあるのだろう。

②初めての機械の場合、私のような年寄りは全体を観察している。画面に何が表示されているかを認識して、最初にタッチするキーを確認する。次の画面に移って、また同じことを繰り返す。銀行で現金を引き出すときは「手順」が決まっているので早いのだが、たまに預入するときはよく流れを確認するようにしている。

③画面上で、次に入力するべきキーの位置が分かり易ければ、少しは時間の短縮になるのだが・・・と思うが、若い人たちは画面全体を見て反応しているのではないか。
むかし、大人と子供で漫画を読むスピードの話が出た時、子供は画面全体を見るのに対して、大人はコマ順に「読み進む」ことが話題になった。子供はページ全体を見てコマ順にこだわらず読み進むという。ゲームに慣れた若者は画面全体を見て、押すべきキーを見つけるのではないか?

④インターネットを使っていると、思わず「不要な」キーを押してしまい予期しない画面に入ってしまうことがある。その画面から脱出する方法が分かりにくくなっていることが多く、電源を落とさざるを得ない。そこでジタバタすると相手の思うつぼ。
悪意を持つ者は自分の画面に引き込むように「真剣に」考えて取り組んでいることに対して、一般のシステムを構築しているエンジニアはそこの工夫が足りないのではないか。

⑤例えば、JRで切符を購入した時、必要なキーを押して次の画面に移行するのを待っているのに一向に変わらない。よくよく見ると画面が変わっていたのだが、変わったのは数文字だけ。次に求められる操作を理解するまでに時間がかかる。
そうかと思えば細かい説明が延々と続いて、なかなか進めない。必要な説明なのだが延々と書いてあるため何が必要なのか分からない。つまる工夫の跡が見られない。

⑥高齢化社会にさらなる工夫が必要ではないか。

2025.2.24. 手間ひま

①「ものの値段」というものを考えてみた。一次産業では、米、魚、肉、野菜などなど。江戸時代などは生産者が生活できる程度の価値でしかなかったと思う。武士階級の消費が「上乗せ」されていた。製造業や流通業で「労働力」の概念が出て、貯蓄が始まり、店舗拡張資金が値段に含まれるようになった。

②近代になって「情報」の価値が重要になってきた。株価などを見ていると意識的な「ニセ情報」も織り交ぜて「かしましい」世界になってきている。
私が気にしているのは「便利さ」への価値が商品化されていること。例えば、カーナビはとても便利ではあるが、それを支える情報の費用はどれくらいのものだろう。もちろん価格に含まれ、納得して販売されているのだから問題視する必要は経済的には無い。しかし費やされる労働力は膨大で、精度を維持することが困難になってきているのではないか。

③上下水道の老朽化が問題になってきて、補修が追い付かなくなってきている(資金面・労働力)が情報の面でも似たような問題が起こっているのではないか。最近ひとと待ち合わせることになって、喫茶店を探した。HPが普及し、大体の情報は得られるが「食べログ」なども見ると営業時間がマチマチ、極端な場合は閉店しているのにHPは健在という例もある。だれも「正確性」を保障していないのが現実。

④信じられる情報を選択する必要もあるのだろうが、人工知能は正誤の判断を出来ないから、どのように解決していくのだろう。それに掛かる費用・労働力は利用者が支払うのだろうが、可能なのだろうか。心配している。少子化による労働力不足と言われているが、情報収集からくる労働力が拡大しているのではないか。

⑤情報は常に正確でなければならない。私個人の住所録も最新の状態に保つには相当な努力が必要になってきている。写真や切手の趣味の世界の情報は私の責任範囲ではあるが、この欄で誤った情報を書いてしまったとしても、修正する体力も気力もない状況。心してお読みください。

2025.2.22. 写真展

①今年も上高地の開山祭(4月27日)から8月いっぱいまで写真展を開催できることとなった。十数回目でもあるし年齢のこともあるので、そろそろまとめる時期かとも思い、感想も含めて書き残しておくのも、少しは意味があるのかな?と思う。

②会場に並べる20枚の作品を選定していて、当然ながら自身の力不足を感じる。見てほしい作品は数枚はあるのだが、20枚となると不本意なものも出さざるを得ない。しかし、何回か展示を重ねていくうちに、「足りないところ」が明瞭になっていく。撮影に区切りをつけることによって、つぎに取り組むべきテーマが判ってくる。

③「上高地に咲く花」をテーマにしようと思った時、展示できる作品は数枚しかなかった。いわゆる「日の丸写真」(中央にきれいな花を大写しにする)ばかりで、植物図鑑を見ているようで情けなくなった。上高地の環境の中で咲いている花を環境とともに写すように心がけて、開催まで十数年かかった。

④写真展にテーマを持たせるようになって、上高地の「空気」のようなものを感じるようになった。20枚の写真で表現するという、組み写真のような展示を試みた。「静寂」「光彩」「厳冬」などの抽象的な言葉は、上高地にたちこめている魅力の一面だと思う。そうすると全く異なる被写体が互いに結びついていく。

⑤多くの友人を得た。友人というのは失礼で、多くを学ばせていただいた方々である。上高地に撮影で通うことの価値が、何倍にも増幅した。「撮影」は孤独な作業で、シャッターを切るときは「ひとり」にならなければならない。発表の場を得ることによって、そこから成長することが出来た。

⑥まだまだ書きたいこともあるので、しばらく時間をください。

2025.2.19. 終末思想

①人類が始まって以来「終末思想」が絶えない。文明が発達し成長していく中で、どこまで成長するのか、限界はあるのかということを「漠然とした不安」として心の片隅に持っていた。

②私が成長したころ、世紀末ということもあって、さまざまな世紀末思想があった。漠然とした根拠のないものが多かったが、実質的に問題提起を起こしたのはマルサスの「人口論」だろう。人口の増え方と食料生産の違いを「幾何級数的」「算術級数的」という言葉で表現した。現代では「指数関数的」という言葉で表現されている。

③その後、エネルギー資源・核利用・気候変動・温暖化などが問題視され現代に至っている。ここに至って、人口知能の発達が現実化してきた。その利用に際してさらなるエネルギー問題が発生していることが現実化してきている。

④人工知能の発達はこの数か月だけでも目覚ましい発達を遂げているが、情報処理のためにコンピュータが必要とする電気エネルギーが余りにも軽視されていることが気がかりになる。省エネルギー型の半導体をTVコマーシャルを見かけたが、ことはそんな生易しいものではない。
「情報の相互関係」を分析する作用は爆発的(指数関数的)に拡大することは必至で、そうなれば電力提供の大きさが国力を支える。

⑤この競争で勝てる可能性のある国は、アメリカと中国しかない。広い国土と見境の無い原子力発電所の建設ラッシュが必要になることが必至だからである。

⑥「なぜ、宇宙人は地球に来ないのか」と問われて、「そのような高度な文明はその発達の段階で、それ自体が崩壊するのだろう」というホーキンスの言葉が思い出される。

2025.2.19. 映像表現の世界

①一昨年からデジタルカメラに移行して2年が経つ。自身の変化を分析してみた。

②上高地をベースに写真を撮っていたのだが、振り返れば写真展を目標としていたように思う。感動したシーンを映像に留め、見た人に同じ感動を広めたい、そのような気持ちが背景にあったような気がする。これは、いわゆる「映え」に通じるものがある。

③瞬間を固定するというのが写真の本質とすれば、「動画」に発展するのが自然。実は私もムービーを念頭に、「雲の流れ」や「水の流れ」を静止画で固定する努力とともに動画ならどのような表現ができるかを考えていた。スマフォの発達により「動画」が手軽に扱えるようになり爆発的に広まったと思う。

④批評的に言えば、手軽な分だけ「質の低下」を伴なう。それはそれで、良いところ取りで良いと思うが、どのように発展させるか・発展していくかが気になる。まして人工知能の発達で相当な自由度で改変することが可能になり、「写」と「真」が意味をなさなくなっている。

⑤最近、連続ドラマを見る機会があった。普段見ないので5年ぶりのようにも思う。驚いたのはセリフの一つひとつでシーンがカットされている。台本の一行一行がワンカットで、それをつなぎ合わせて展開されている。ストーリーが変化したり心情を表現する必要があると、ナレーションが入る。ここまでテレビドラマが劣化しているかと驚いた。

⑥さて、自分事としてどのような「写真」を撮るか、真剣に取り組みたいと思う。その真剣さが趣味の世界かと思う。

2025.2.14. 高校授業料無償化

①そもそも論・・・はなしがまとまっていません。ご理解ください。

②家庭の経済力によって教育格差が生じるのは、当然の帰結。これを解消することは論理的に不可能と思う。
教育は中世に貴族が家庭教師を雇ったところから始まり、公教育の必要性から学制が、義務教育へと発展した。理想の教育を求めて私学も成果を収めている。

③そのような中で、「教育の機会均等」が求められるようになった。必要最小限の教育を保障することが国の責任となった。「平等であること」とともに「全国民に求める学力」の検討が急がれる。

④アメリカなどでは、SATでは、高度な英語(母国語)の活用と比例計算程度の数学の成績で大学入学資格を認めていると聞く。日本の大学入試の内容を見ると、必ずしも必要とは言えない内容が多い。

⑤全国民が同じ教育を受けることが「平等」とは思わない。英才教育などはその典型だが、芸術やスポーツなどの分野については理解されているようだが、「学歴」と呼ばれる範囲での改革が理解されていないようだ。

⑥大切なのは家庭の経済力で進路が閉ざされないこと。まず、「公教育の充実」。塾や予備校・家庭教師の費用のハンディを乗り越えられる環境。次に、「学費・授業料」。公立学校では無料でも良いのではないか。

⑦高校を卒業したら(高卒の資格があれば)大学を受験でき、自力で大学を卒業できる(借金ではない奨学金も)、そんな環境が必要。どんなに困難な道であっても夢は描ける。

 

2025.2.13. 高額医療費

①命に係わる案件なので、ひとこと。

②私自身、自分が遭遇して初めてその存在を知った制度である。例えば緊急手術が必要になり、その治療費が100万円となると3割負担でも30万円、命には代えられない。しかし高額医療費制度を使えば。年収400万くらいの人で5~8万円程度の支出で済む。最新医療の場合、桁が違う。たとえ治療費が1000万円でも同程度の支出で済む。

③問題となっているのは、「がん」など長期治療が必要な場合。1錠2万円くらいの錠剤を長期的に摂取する必要性がある場合、放射線治療が定期的に必要な場合、いくら補助を受けても長期になればその影響は大きい。

④経済的な理由で治療の間隔を伸ばす必要も出てくる。たとえ、月に数万円の負担増でも年収によっては文字通り「致命的」になることは必至。この法案が通れば、数か月以内に病状が悪化する患者が出る。言葉は悪いが、「殺人」に等しい。

⑤高校授業料の無償化では、年収制限撤廃は高額所得者に有利だと言われているが、この場合低所得者にとっては、「不利」ではなく直接、命に係わる問題であることを理解して欲しい。「平等」という言葉が頻繁に出てくるが、何が平等なのかを考える必要がある。患者は「なすすべを持たない」。

2025.2.8. 高校授業料無償化

①私の時代、早稲田・慶応と言えば大隈重信・福沢諭吉と言われるように「公立」には無い理想を目指す教育機関であった。宗教教育を目指す学校もあった。公立は国の発展を支える人材の育成にその目的があった。受験する方も、それなりの想いがあった。

②世界的に見て、教育を受けられない子供たちは多い。憲法で義務教育の無償化を謳える国は少ない。日本では小・中学校を義務教育の対象としているが、高校全入の時代に高校教育を無償化することは時代の流れであり、それを可能とする日本の国力でもある。

③しかし、私学進学はその教育を理想としその教育を求める家族の希望であり、基本的には自己負担が原則と思われる。逆に、国は国民が満足する程度に公教育を充実させる義務もある。平等性を主張するなら、公教育に相当する授業料補助が限界だと思うう。

④私学はその経営に支障が無ければ予算の自由度は大きい。一方、経営は授業料と国からの補助で成り立っているから、授業料が無償化されれば国費負担は増える?
逆に公立は経費のほとんどが地方自治体の支出で成り立っていて、自由度はほとんどない。人事権も無い。「授業料」は学校経営とは全く関係のない、いわば「年頃」の子を持つ家庭への税金のようなもので、減税である。

⑤私の考えは、私学を選べる家庭は良いとして、公立学校の教育水準を私学の水準に引き上げ、特色を出せる自由度を認めるべきと思う。

⑥現在の無償化を見ていると、家庭では無償化で浮いたお金を、塾・予備校に回すことになるのは必至。逆に私学授業料は(安心して)値上げされるであろう。

2025.2.8. 高校授業料無償化

①私自身「少数与党」は当然のことと思うし、少数野党が発言権を発揮できるのは良しとするが、最近の「少数野党」の発言には底の浅いものがあって、先行き不安。

②教育の機会均等は誰もが否定するものではないし、国力を発揮するためには人材育成がもっとも大切だと思う。私が教育職を選んだ理由もそこにあった。

③問題となっているのは親の経済力によらない平等性であろう。しかし、経済力の不均等は必ずあるし、病気の親の介護という負荷・子ども自身の障碍などを考慮すると平等ということはあり得ない。大切なのはそれらのハードルを越えるチャンスを作ること。

④半世紀前のことで申し訳ないが、塾も予備校も発達してなくとも、子供の努力で大学入試は乗り越えられた。授業料は月1000円で奨学金も少ないながらもあった。それも、卒業後の進路で返済免除の制度があった。もっと時代をさかのぼれば、優秀な子供は資産家がその家族の生活までも面倒を見ていた時代もある。道幅は狭いけれども、多くの可能性があった。

⑤道幅は広がったけれども、それは「努力をしないでも」安全に歩ける、そのような道(「過保護」な道)ではないか。気が付くと、保護者の負担は増大し、卒業後の莫大な奨学金の返済という落とし穴がある。私も大学進学時に教授から「可能な限りアルバイトは避けて、数学と取り組んでほしい」と言われたことを思い出す。半世紀前でも、アルバイトに頼らざるを得ない学生が多かった。当時「苦学生」と呼ばれていた。

⑥経済的な事情から私学をあきらめ、公立にチャレンジすることが普通であった。大学進学率が20%くらいだったと思う。そのころから思えば、日本経済の復興・繁栄?は目覚ましいものがある。その力の使い道を誤っているような気がしてならない。

2025.2.7. 視角

①一眼レフカメラを買った頃、やたらと望遠レンズを使っていた。広角だと余計なものが映りがちだし何よりも写したいものに近づけることがうれしかった。

②カラコルムにトレッキングに行った時、広角レンズを多用していることに気づいた。あれもこれも写したいものがいっぱいあった。望遠で引き寄せても周辺が気になった。帰ってきて上高地に出かけると、奥穂の山頂をねらっても、望遠では迫力が出ない。高さや迫力は周辺の景色とのバランスで強調される。

③花の写真も、花をアップで狙う姿勢から周囲の環境を気にするようになって、大きく変化した。自然の中での花の姿を求めるようになった。「上高地・息吹」はその成果と思っている。

④一昨年からデジタルカメラに移行して、なんだか気持ちが「しっくりしない」。フィルムで撮るときは、写真展で全紙または半切に伸ばすことが前提で、その意味での手ごたえが楽しみだった。

⑤ところが最近、どうもその手ごたえが無い。ふと感じるのは、HPにアップした時の構成が気になっている。HPではストーリー性が大切なので、ついつい前後の写真でどのような構成になるか、そんなことを気にしている自分を感じる。大伸ばしして額に入れるという手ごたえが無い。

⑥カメラのどのような機能が関係しているのか、私の腰痛が「視角」に影響を与えているのか。スマフォで撮っている若者は、「映え」を意識しているのだろうか。考え出したらとまらない、私の悪い癖ですねえ~~。

2025.2.7. 高額医療費

①一般的に一生に一度、あるか無いかの医療費だと思う。私の場合、心房細動での緊急入院・アブレーション2回で、延べ4か月、1か月の医療費の支払いが10万円以下で済んだ。実際には3割負担でも数百万かかっていた。

②実際に突然の病気になり、命の危険があり、そのあとの支払いを考えると、通常の3割負担ですら重大な出費である。

③今回の高額医療費の限度額見直しでは、例えば5万円が8万円になってももとの治療費を考えると大きな違いがないように見えるが、実際はとんでもない変更になる。政府にはその事情が判っていないし報道もその点を指摘していない。

④私のように「一過性」であれば良いのだが、がん治療のように「継続治療」が必要となる場合は事情がまったく異なる。③の例で、12か月続くとなると、年間出費は60万から96万に跳ね上がる。限度額が5万円になるのは年収400万前後の家庭であり、医療費の増加分が年収の10%近いことになる。年収比では15%から24%になる。

⑤年収400万前後と言えば、生活は相当苦しい。借家に住んでいれば家賃が倍増したくらいの影響がある。病気で働くこと自体に支障がある場合が多いだろうし、治療を打ち切れば命に係わる問題である。

⑥「子育て予算」の費用捻出から発生した制度だというから、何を考えているのだろう。

2025.2.3. 男系男子

①先週の「男系男子」の続き

②現在の象徴天皇制は敗戦によるGHQの支配下で作られた。当時の戦後処理の標準的な判断としては、天皇は戦犯として処刑、天皇家は身分を剝奪し財産没収、くらいの成り行きではなかったかと思う。それに対して、天皇の戦争への関与の実際、国民の天皇に対する親和性??、戦後の日本統治の戦略??などが影響して象徴天皇として現在に至っている。

③80年が経過して、象徴天皇は国民の支持を得ているし、対外的には西欧の王室との関係に有効に働いており、その存在は大きなメリットを生んでいる。アメリカなど歴史の浅い国家にとっては「羨ましい」としか言えず、歴史の遺産が観光立国にも貢献し、日本人としての誇りをも裏付けている。

④そこで「焦眉の急」となったが後継天皇の問題。数十年も前からこうなることが判っていたにも拘らずなんの手立てもしなかった政府の責任は重い。国連の人権委員会から指摘されても実際の行動に移れないのは自業自得だが、日本(国民)としてはそうもいっていられない。一つひとつのハードルを越える必要がある。

⑤「男系男子」と言っても、私の遺伝子は神武天皇以前から(人類が生れた時から)「男系男子」として脈々と受け継がれたもの。残念ながら私で途絶えるが・・・。天皇家を天然記念物扱いをしては失礼である。

⑥問題は、次の天皇家が日本国の象徴として「国民に支持されるかどうか」にかかっている。国民が納得するルールを作らなければならないし、失敗すると「ひと騒動」起こりかねない。そんな議論に巻き込まれては、天皇家も迷惑だ。発言することも許されない環境で見守ることしかできない歯がゆさもあるであろう。

⑦この問題を考える時、大切なことは天皇家の人たちの「人権」を守ること。憲法を改正して「元首」という称号にする(自民党の新憲法草案)など、的外れの議論は誰も望んではいない。

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