そのうちに 2025.7.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2025.7.31. サプリメント

①日本のサプリメント市場が1兆円規模だという。一方、「サプリメント効果は殆んどない」という記事に出会ったので、私の体験を少し。

②15才の時、抗生物質の副作用で骨髄が白血球を作りにくくなった。人間の細胞は3年間で入れ替わるから、それまで待つしかない、というのが医者の見立て。薬は必要なし。十分栄養を取って・・・。地獄の高校生活が始まった。

③当時?、投薬しないと健康保険が利かないので自由診療となる。「せめてビタミン剤でも」という母に、「余計なビタミンを排泄するだけでも体力を消耗する」という頑固なお医者さん。おかげで私は命を取り留めたが、家計は「火の車」???。

④先日の「紅麹事件」はその後の報道に触れていないが、本当にサプリメントが原因かウヤムヤのような気がしてならない。カビが見つかったが、それが原因との確証もない。
無関係とは思わないが、そもそも体調不良の人が摂取していたのだから・・・。

⑤私の「恩人」がいうには、現代社会で栄養不足はあり得ない。バランスの良い食事をとっていれば十分である。思うに、不足分を補うにしても微量で済むはず。薬屋さんは効果が見えるように過剰に含有させるだろうことが予想される。

⑥おかげで、私は「良く薬の効く体」を得た。同時に、サプリメントに頼っている人の「老後」が心配される。私にとっては、どうでもよいことが気になる。これも「年頃」。

2025.7.30. 津波あれこれ

①津波騒ぎで気づいたこと。大きな被害が無い時でなければ、のんびり考えていられないから。科学のページ「津波」も参照。

②破壊力。例えば1トントラックが暴走した状況を考えると、衝突したら大事故になり被害は大きい。しかし、1リットルのペットボトルが1㎏。縦横10本で100本。10段重ねれば1トン。海の中では「点」にしか過ぎない量。その破壊力は人知を超えている。

③牡蠣の以下だが流されて大きな被害が出ている。何トンもの重しがつけてあったというが上記②の破壊力を想えば、当然。さらに、海水が「動いた」結果のようだ。普段の波は海水の(その位置での)緩やかな「回転」だから大きな水の移動は伴わない。膨大な海水が筏とともに移動したのだから、被害は大きい。

④スピード。海岸に寄せる「波」は「横波」。海水は動かないで付近を回転しているだけ。ドンブラコ・ドンブラコしながら「波エネルギー」が伝わっていく。津波は「縦波」。押すな押すなと押し寄せてくる。海水の塊そのものが押し寄せてくる、その「先端」が津波。

⑤速度。
むかし、『月と地球を金属の「棒」でつないで、片方を押したら反対側が瞬時に動くだろう。エネルギーを瞬時に伝えることが出来るではないか。光速よりも速く。』という。この理屈は誤り。
「棒」を海水と置き換えたのが津波。早いはずだ。(液体は圧力で膨張・収縮はしない?)

⑥方向。
大気の流れは、高気圧ならば中心からまっすぐ外へ向かって噴き出すのではなく、地球の自転の影響で右に60°曲がって、時計回りの渦巻きになる。低気圧は左回りに噴き出す。震源からあふれ出た海水は南下する過程で右方向に曲がり、日本列島を東から襲う。
1960年のチリ津波の話があった。チリで発生した津波が様々な方向に伝播したのだが、地球は丸いので180°進む(地球の反対側:日本)と再び合流するのだそうだ。

⑦太平洋の広さで、海底が数センチ上下動しただけで、莫大なエネルギーが放出される。海水の押しくらまんじゅう。電気エネルギーに変換できれば100年は持つのだが・・・。

⑧ハワイは太平洋の中心。太平洋の周りを大陸プレートで囲まれている。どこで地震が起こってもハワイに影響する。だから「太平洋津波警報センター」があるのだという。なるほど。

⑨海が浅いと、波のスピードは落ちる。深いほど速くなる。なるほど砂浜に打ち寄せる波は波打ち際で平行になる。陸地まで海の深いリアス式海岸では、津波は速くて強い。

⑩ロシアに救助支援の必要はないか。日本は政界の激震で、それどころではないが。

2025.7.28. 温暖化

①1960年代に国連の事務総長だったウ・タント氏が「10年以内に世界は決定的な対策を打たねば、不可逆的な困難に陥ることになる」という趣旨のことを表明している。(成長の限界)当時は資源の枯渇や経済が問題点であったが、現在は温暖化であるが、本質は変わらない。

②当時学生であった私は、数学で寄与できないかと考えた。しかし、次のような思考の末に「そのことが、不可能」という結論になり現在に至っている。

③当時、アメリカ人と同じレベルの生活を全世界の人たちが享受するとすれば、地球2.5個が必要と言う試算があった。現在では3.5個くらい必要だという。これは「不可能」、ではどうするか。

④地球1個分に下げるには・・・と考えていくと消費レベルを半減かそれ以下にしなければならない。一方、発展途上国は先進国に追いつこうとするし、それを否定することは出来ない。先進諸国は発展を止め、後進諸国が追いついてくるのを待たねばならない、いや、追いつくことに協力しなければならない。

⑤この命題がいかに実現不可能なものかは、誰にでもわかる。最近の「MAGA」などを見ていると、眼を閉ざしたくなる。

⑥むかし、文科系の学生に「どうしたら、実現できるか」と問いかけたら、「温暖化の影響で数百万人の死者が同時に出る事態になれば・・・」という答えが返ってきた。理系とは異なる発想で「なるほど」と、自己の発想姿勢を振り返る機会となった。

⑦人類が絶滅することはないだろう。その程度の「なぐさめ」で結論としなければならないことに思い至った。人口は100分の1程度になるだろうが・・・。数学的には「もう、間に合わない」と言うのが私の立場。

2025.7.23. 見てられない

①自民党の断末魔。国民として見ていられない。選挙の結果や石破さんの辞任問題が理由ではない。自民党の動向が、党としての断末魔だと思う。

②党の総裁が交替をせざるを得ない事情に追い込まれたとき、去っていく首長に石を投げるような言動が噴き出す状況を見ると「このような党に政権を預けていたのか」という想いが強い。石破さんに同情したり擁護したりするつもりはないが党内の結束が見られない。

③「仮にも」党として一国の政治を預かっている自覚があるなら、党をあげての協力態勢でいたはず。主流に反対の立場にあっても、国政を預かっていた「誇り」というものがある。石破さんの主張に反対であっても全力を尽くして協力した結果の選挙結果という自覚がない。

④一方、下野すべきだという意見については、これほどの無責任はない。野党がバラバラでまとまれないことは国民みんなが理解していること。その中で下野すれば、日本は大混乱になり、「誰も何も決定できない国」になってしまう。国益を論じるどころの話ではない。自国で判断することのできない国は他国の「配下・植民地」になるしかない。

⑥自民党は歯を食いしばってでも日本国を運営しなければならない。それを誰が担うか。

⑦最悪の状況に真っ逆さまに落ちてゆく状況と思う。

追記 : 名前を出して批判するのは本意ではないが、小泉さんの批判が気になってならない。言葉尻を捉えて、リーダーの進退を批評するべきではない。在任中の苦労をねぎらい、自分の至らなさも含めて、これからの事に言及することが「真の次のリーダー」に相応しいと思う。小泉さんは米大臣として「言われたこと」はやったが、内閣の運営にどのように貢献したかについては聞こえてこない。米問題も、果たして「正解」だったのか、はなはだ疑問である。

2025.7.22. 憲法注意報

①今までは与党が国会議員の2/3を占めなければ憲法改正を「発議」できなかった。しかし、今回の参議院選挙の結果を見ると、野党の一部が「相乗り」すれば発議の可能性も出てくる。

②おりしも、参政党の「憲法草案」?なるものが公表された。思い付きに過ぎない程度の内容だが、方向性は明瞭になった。この草案についての意見は、そのうちに・・・。
しかし、その話題の中で気になることがひとつあったので、取り上げておく。

③法律は国民を縛るもの、憲法は法律を縛るもの。立法府の暴走を食い止めるのが憲法の重要な役割。最終的には最高裁判所が「憲法違反」を判断する。そのよりどころとなるのが憲法ということなので、裁判官は、憲法に書かれていないことを判事することは出来ない。

④裁判所は法律に照らして判事するので、裁判に持ち込むときは「どの条文に反している」かを指摘しなければならない。違憲裁判でも憲法の条文の解釈が重要になる。解釈は判例により徐々に固まっていくので、戦後80年の中で出された判決が重要視される。

⑤したがって、「憲法改正」というのは「原則」を変更することになるので慎重であらねばならない。法律は国会で改正できるが、憲法はそうではない。
その重要性をこころに留めて、情勢を見る必要がある。

2025.7.22. 「だから」

①選挙インタビューを聞いていて、気になる言葉があった。「〇〇だから」である。
端的には、「外国人だから」「日本だから」ということば。「日本ファースト」も同じようなニュアンスで使われている。

②私が関係している、東京「君が代」裁判でも国旗・国歌に対する「日本人だから」と言う姿勢を「強要される」ことが焦点となっている。

③以前は、「男だから」「女だから」「長男だから」はては「子供だから」「教師・生徒だから」というものもあった。漠然とした表現の中に「~であるべき」という圧力を加えるもので、注意すべき言葉、危険な言葉と思う。

④「外国人だから」という言葉が、ネガティブな意味でヘイトスピーチにつながっている。「外国人だから」というフレーズで何を求めているかを見極めて、「日本人だから」の使い方に配慮しなければならないと思う。

⑤このことについて、しばらく考えてみたいと思う。「そのうちに」と言っている時間はなさそうな気がする。

追記 : 「政治家なのだから」と言いたくなるが・・・。

2025.7.18. 「沈黙の春」

①レイチェル・カーソン : 「鳥がまた帰ってくると、ああ春がきたな、と思う。でも、朝早く起きても、鳥の鳴き声がしない。それでいて、春だけがやってくる」(1962)

②この本を読んだのは1970年代だったと思うから、出版されて10年は経っていた。それから50年余り、この言葉を読んだとき、その時の衝撃?がまざまざと思い出された。

③ちょうどそのころ、「成長の限界」が出版され、私の「こころ」の土台が形作られた。手塚治虫の「火の鳥」と合わせて、 人生を豊かなものにしてくれた書物である。

④「こころに残る本」で取り上げるべき本で、失念していた。

⑤なお、「沈黙の春」は化学物質による汚染が主体で、「成長の限界」は資源の枯渇がテーマであったが、現代は環境そのものの存続が課題になっている。半世紀の時間が、「瞬時」のような変化の速さだと思う。

2025.7.15. 外国人問題

①参議院選挙の動向で、「外国人問題」が注目されている。2025.7.11.「ガイジン」として日本人の「外国人感」を扱ったが、選挙に当たって、ひとこと。

②例えば「外免切替」。もともと日本人が海外で取得した免許を有効にするための制度なので、外国人を想定していない。日本の交通ルールを知っていることが前提であった。制度の不備は政府の責任。ルールの間隙を縫ってツアーを企画することには「あきれる」が、それは制度を改善すれば解決すること。

③土地取得問題で、国籍が理由になる要件は無い。現在問題になっているのは、取得した土地や家屋の「違法利用」などの問題であり、そこに国籍が関わる部分はない。投機目的でも、シェアハウスでも、法整備が追い付いていない。

④教師だったころ、担任の生徒の家庭(外国籍)が「日本国籍」取得に、あと半年だという。いろいろな条件があるのだが、「日本の法律の遵守」があり、たとえ交通違反でも取得できなくなる場合があるので車の運転を避けているという。日本人なら「ごめん」「気をつけます」で済むようなことも問題になる。

⑤入学相談をしていると、ついつい「日本語はどの程度、話せますか」と聞いてしまう。授業が理解できないと困るのだが、「日本語をマスターしてから、出直してください」と、突っぱねていることになる。入学できる条件整備を家庭に押し付けている形だ。
日本人が海外に行って、現地校を選んだ話を聞くと、日本とは異なるようだ。

⑥いろいろ考えていると、混乱してくるが、要は「日本人だったら」「外国人だから」というフレーズが出てきたときに、一度立ち止まって考えることが必要かと思う。

⑦選挙演説を聞いていて、「日本は」「日本人だったら」「外国人が」と言う言葉が出てきたら要注意。「ヒトとして」同等な立場でものを考えるのは、とても難しい、が。

2025.7.11. 岩手県北上市

①お年寄りが、家の居間でクマに襲われた。ニュースを聞いていて北上市の和賀村と知り驚いている。このHPでもたびたび触れている、私が是非訪れてみたいと思っている村だ。

「自分たちで生命を守った村」(岩波新書)。戦後乳児死亡率が最悪であったが、当時の村長の努力で乳児死亡率0を達成した村であった。日本で初めて「老人医療の無料化」を実施した村でもある。尊重と医院長が国会で証言したこともあった。
乳児死亡率 : 生後1年以内のする乳児死亡率。人口が多くても少なくても困難な目標で知られる。村長の名を採って「沢村賞」と呼ばれる。

③1960年代、日本最年長の村長と最年少の村長がいた県でもある。最年長は遠野、最年少は田野畑村。遠野は民話のふるさと、田野畑は犠牲者を出さない百姓一揆を成功させた村と聞いた。現代の村長も過疎に悩む田野畑で、「出ていく村民は残念だが、残った子供たちを大切にしよう」として、子供たちに積極的な留学の機会を作ったという。

④最近では、和賀村のおばあちゃんたちが「わがや」と言う「行列のできる食堂」を切り盛りしているという話題があった。(2023.12.14.) 話し出したらきりがない、そういう土地柄であると思うと、残念でならない。せめて我々は真剣に生きていきたい。

2025.7.11. ガイジン

①教師となって言葉に気を遣うようになった時、「ガイジン」という言葉が気になった。「外国人」の短略形と言えばそうなのだが、微妙なニュアンスの違いがあるように思えた。

②「異邦人」という小説があった。ストーリーなど全く記憶にないが、自身が異邦人として扱われる外国人の心情がテーマだったように思う。
私は「ガイジン」は日本に「外(国外)から来た人」、「外国人」は日本以外の国の人という風に使い分けている。(基本的に「ガイジン」は使わない。)

③「ガイジン」と言うとき、日本の文化を理解していなくて、何を考えているのか「推し測れない」という、日本社会での価値感の相違から「馴染めない」存在と理解されているようだ。一方「外国人」と表現すれば、日本以外の国から来た人のことで、出身国の文化をもつ存在としてとらえられている。今では死語となっているが「三国人」という偏見を孕んだ言葉があったが、「ガイジン」はさらにその向こうの人への呼称として使われている恐れ・可能性がある。

④今回の選挙を見ていると、ガイジンを「差別・区別」しようとしている政党の羽振りがいいような気がする。外国人との間に、文化の違いによる摩擦が見受けられるのは、国際化の結果であり、お互いの理解でのり越えていかなければならないのに、国籍・文化・肌の色など安直な区分けで「ヘイト」行動を声高に叫ぶのは過ちである。日本の国際化はその分、遅れる。

⑤学生の頃、日本人の白人に対するコンプレックス感の理由を考えたことがある。江戸時代?から、日本に来る外国人はそれぞれの国のエリートで待遇も良かった。尊敬し教わる相手であった。しかし、戦後はそうでもない。(日本の)マナーを理解しない人々も、労働者として来日する人も、自国の文化がファーストという人たちも増えた。そのため、日本ファーストと思い違いをする人たちもいる。
しかし、この混迷の状況が国際社会の標準のように思う。どのように対処するかでこれからの日本の成長が決まる。

⑥1960年ごろのアメリカの黒人差別は、今となっては「知る人ぞ知る」状態で、MLBなども白人と有色人種が別々にやっていたそうだ。現在のアメリカの深層の理解は十分ではないが、ここまで来るのに半世紀以上かかっている。日本も、あせらずに、ゆっくりと、しかし、急いで・・・。
誰かの言葉に似ている。理解し合うのは難しい。

2025.7.10. フィルター バブル

①先日パソコンをいじっている時、関心のある広告があったので数秒間内容を見た。するとパソコンの画面の端々にそのメーカーの広告が登場するようになり、それまでと景色が一変した。煩わしいので、カメラのレンズを2~3機種検索すると、その広告が取って代わった。

②以前TVを見ていたら、「戦車」「プラモ」というキーワードをメールに多用すると関連の広告が集まる、という話題があった。私はメールでの実験はしていないが、「ありそう」という感覚でパソコンと付き合っている。

③情報化社会と言うが、この程度のフィルターがかかっていることは覚悟しなければならない。逆に考えると「広い視点」に立とうとすれば、相当な努力が必要ということになる。

④わかいころ、新聞社のA社とM社の比較検討した記事があった。購読者の年収や新聞広告されている品物に「明らかな差」が認められるという。政党支持率にも違いが出たそうだ。

⑤コロナのころ、二人の友人からワクチンについての「情報」が送られてきた。末尾に参考文献のリストもあり、主張の根拠も述べられていたが、論理的に納得できるものもなく、論文の掲載雑誌も聞いたこともないような団体がほとんどで、私自身「参考にできない」という結論だった。

⑥「フィルター」を通過した情報の「バブル」に周囲を埋め尽くされた状態を「フィルターバブル」と言うそうだが、人は誰でも「多かれ少なかれ」そういう状況だと思う。
「パンが無ければ、お菓子を食べればよい」という言葉もあり、昔から話題になっていたことではあるが、最近のSNSなどの話を聞いていると、自身、心配になる。

2025.7.7. 米の値段

①5㎏の米価が3600円くらいまで下がったという。詳しく聞くと、銘柄米は数十円くらいの値下がりで、輸入米・備蓄米が値下げされている。

②原因は、備蓄米は8月中に「売り切る」ことが契約にあり、どんどん精米しているから精米後の味の劣化を考えると夏のうちに売り切らねばならない。輸入米も短期取引だから「売れる分」を輸入・精米している。一方、銘柄米は年間契約で流通・販売しているので、いままでどおりの流通を保っている。

③小泉さんの政策はどこに効果があったのであろうか。備蓄米を安価で放出すれば、平均米価は下がる。確かに生活が苦しかった家庭には救いだったのだが、流通の仕組みが変わったわけではない。新米が出てくると、今までと同じことが起こる。そのころ誰が小泉さんの跡を継いでいるのでしょう。自民党としての改革になっているとは思えない。

④心配なのは今年の米価である。田植え前から価格競争は始まっているので、そうそう値下がりは期待できない。価格の高騰は流通過程にあると政府は言っているが、問題点や改善点への言及はない。その中で小規模な販売店は営業不振とと説かっている。さらに、備蓄米の新規購入はどうするのだろう。数年かかって買い留めた「備蓄」は底をついている。平年の3~4倍の量を確保できるのか。輸入米に頼るのか。価格は?

⑤今回のドタバタを振り返ってみても、原因は全く分かっていない。下手をすると米価の高騰の下地を作っただけかもしれない。小泉さん、あと5年くらいは農水大臣をやってくださいね。責任ある仕事とはそういうものです。

2025.7.6. 満足感

①最近TVのCMを見ていると、人々は何を求めて生活しているのだろうかという疑問を感じることがしばしばある。旅先で自然に親しんだり、おいしいものを食べたり、話題のジェラートを食べたり、それぞれ「楽しかろう」と思うので批判する気持ちは全くないが。

②小学生の頃、みんなと同じように「切手集め」をしていた。図案の事をもっと詳しく知りたい、外国の珍しい図案にあこがれる、100年も前に発行された切手の歴史を知りたい。関心を抱くとどんどん深入りしていって74歳の現在に至っていて、現在は第一次世界大戦の頃のポーランド切手の局名を調べている。

③高校時代の闘病生活を越えて、山歩きを始めた。北アルプスをはじめとして日本中の山に登った。台湾やパキスタンまでも足を延ばした。技術的にはたいした経歴ではないが、自然や民族の奥深さに触れて、視点が変わった。「百名山」を制覇した人とは異なる感覚である。
45歳から始めた「写真」は芸術性の理解の幅を広めてくれた。写真を通して仕事以外の多くの知人ができた。

④さて、冒頭で述べた「違和感」は何だろう。今の言葉で「はまる」と言い、少し前までは「おたく」と呼ばれていたように、興味を持ったことに没入していく子供が昔はいた。いまのTV番組の「博士ちゃん」のような子供が多かったように思える。今も当然いるのだが、最近は子供だけではなく若者までもが、「深入りしない」傾向にあるように思えてならない。

⑤親は子供に、「好きなことを」と言って多くの習い事をさせ、学校や社会は広く浅く勉強した生徒を高く評価する傾向にある。私のように「数学だけは」とか、休みがあると上高地、という人間は「一風変わった」ように見られている。いまどき、年賀状を160枚も書く人間は確かに変わっているが、幸いにもそういう人生を全うできそうだ。幸せをかみしめている。

2025.7.6. 夜間登山

①富士山で夜間登山をしていて、夜間の恐怖に耐えきれず救助要請をした外国人女性について、登山家の野口健さんが「そもそも・・・」とコメントしていた。

②二十歳の頃、住んでいた松本近郊から美ヶ原高原(2000m)まで夜間登山したことがある。満月の夜、林道をたった一人で黙々と歩いた。集団での夜間登山の経験はあったが単独では初めての体験であった。月明りで足元の小石は日中と同じように鮮明に見えたが、木々の影は漆黒の闇で「本当の暗闇」とはこんなものかと思った。その暗闇の中に動物の目がきらりと光っているのは、恐怖と言うより戦慄、自然に対する自身の「無力さ」を感じた。

③夜間登山に限らず、たった一人でのテント泊は神経質になる。周囲に登山者が居ればそうでもないが、たった一人で山中で一夜を明かすことは「経験」のたまものだと思った。そうすることを予期して準備している場合でもストレスはあるが、やむを得ない状況でそうなった場合も自力で乗り切る覚悟が必要と思う。

④私は、登山は「山中で生活すること」という自論を持っている。普段の生活でも同じなのだが、自己責任を全うすることは難しい。緊急避難は必要だが、安易に要請してはいけない。日常生活の延長で登山を出来るほどに、常日頃の生活が大切だと思う。

⑤腰痛でアップダウンがきつくなり、高齢と言われる年頃にもなって、救助要請をしなくても良いように毎日の生活を送っているつもりだが、数年前の圧迫骨折は私の対処能力を超えていた。出来るうちにやっておこうという気持ちで生活している。

2025.7.5. 「平和憲法」

①単なる引き写しになるが、憲法前文と第九条を転載しておきます。意識しないと、改めて読む機会は少ないと思いますので。(太字は永原)

憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

憲法九条
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

④改めて読み直してみて、
「恒久の平和」は人類の「崇高な理想」であり、それは互いの「公正と信義」を信頼することによってのみ達成することが出来、世界の人々の「安全と生存」を守ることが出来る。そして全世界の国民が「平和のうちに生存する権利」を有していることを「確認」している。

⑤戦争で疲弊した日本人、なかんづくヒロシマ・ナガサキの人々はこの「崇高な理想」を80年間訴え続けてきた。そのことを忘れてはならない。そのような憲法を私たち日本人は、持っている。

2025.7.2. 非戦

①「戦禍」を後世の人たちに伝えることはとても重要であるが、年を経るとともに体験した人は減少し、戦後生まれの子供たちには社会の戦禍が癒えていくに従って「戦争は過去のもの」になるのは避けようがない。
私は、戦争の体験を「経験」に昇華させることにより、反戦の想いを「非戦」に育てる必要があると考えるようになった。

②「非戦」という考え方が、私の中で形作られてきたような気もするので、そろそろまとめることにした。まとめ切らなければ・・・「そのうちに」になるのだが。

③原爆慰霊碑の「過ちは二度と繰り返しませぬから」という言葉に対して、当初は「過ち」のもとを指摘する意見があった。原爆を落としたアメリカ、戦争を始めた軍部、当時の「世界情勢」などなど・・・。しかし、この言葉を発案した経緯はわからないが、「争い・戦い」そのものを否定する言葉だとして使ったと思う。

④戦争では、「戦争を終わらせるために」「家族を殺された」「神の教え」「敵が侵略してきた」などなどの理由付けはともかく、始まるのは「殺し合い」。
死刑すら廃絶される方向の現代にあり、正当防衛も限られたケースでのみ許され、その際も当事者の心には決して癒されない傷が残る。ところが戦争では、上官の命令で、見ず知らずの人を殺すことを求められる。戦いが終わっても憎しみの感情は、残る。

⑤しかし、例外がある。「ヒロシマ・ナガサキ」である。原爆の戦禍をとらえ、世界に向けて「人類の過ちを繰り返さない」ことを純粋に祈っている。アメリカの大統領も静かな気持ちで参加できたのではないだろうか。ヒバクシャから訪問してくれたことへの感謝の涙で迎えられている。かつて敵対した国民が、フラットな立場で平和を祈る。「反戦」という概念から、はるかに高い視点に達していると思う。

⑥日本国憲法では前文で、「恒久の平和を念願し」「崇高な理想」の下に「平和のうちに生存する権利」を宣言している。これに呼応しているのが第九条であり、その結論がヒロシマ・ナガサキである。

⑦ここまで書いてきて、自身まだまだ、理解が足りないと自覚するが、みんなで考えなければ意味がない。憲法の前文と九条を読み返してみて、この憲法を起草した学者たちの智性を感じる。給付だ減税だと争っている人たちには、「顔を洗って・・・」という言葉がふさわしい。
また、8月15日に考えてみたい。

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