そのうちに 2025.9.

最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・

そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・

というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・

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目次(日付順) 目次(テーマ別・順次作成中)

 

2025.9.30. 曼殊沙華

①別名「ハミズハナミズ(葉見ず、花見ず)」というそうだ。「季節のたより」が届いた。日本人の「花見」は国民行事で、秀吉の吉野の花見に始まって、秋の京都は花ではないが「紅葉」を求めて全国から人が集まる。これも京都の人たちが長年にわたって、日本中からモミジの苗木を集めたからだという。

②最近は「観光」を目的に見渡す限り特定の草花を「栽培」することが多い。私も、桜から始まって、ひまわりや菜の花を題材にしたことがある。大好きな上高地でも、5月下旬のニリンソウの季節にはそわそわしてくる。6月のコナシは花期が短く梅雨の時期でもあり、退職直後には「泊まり込み」で頑張った。

③でも、「これでいいのかしら」とも思うようになった。生物多様性の時代に、広大な面積を単一種で埋め尽くし、観光として人が「異常に」集中することが、なんだか「不自然の極み」のような気がしてきた。花に限らず、「人寄せ」が目的の行事が多すぎるように思うようになった。

④山を歩いていると、お花畑や紅葉に圧倒される場面に「出くわす」ことがある。大体、10年に1回くらいの幸運に感動し、シャッターを押す指に力が入る。しかし、「ダイヤモンド富士」などは、カメラを構える場所が限られ、ポイントの争奪戦が激しい。別に、そうしている人たちがどうのこうのという気はなく、私もそのタイミングに行き合わせれば、カメラポジションを死守!する。でも、それを目的に撮影に行くことはない。

⑤まあ、私のような人間もいる、くらいに感じていただければいいのだが、最近の「行き詰まり感」を想うのに、参考になればと思う。

2025.9.29. ステマ

①小泉さんのステマ問題で、高校生が「民主主義の信頼性」について質問したことに対して小泉さんの回答は、

②最終的に自身の責任として謝っているのだが、あくまで、事務所の中の問題ということで陣営の中での「再発防止」を強調した。しかも、ステマを呼びかけたのは、もとデジタル大臣というのに。

③問題なのは、高校生が「民主主義」の問題として質問しているのに対して、個人もしくは事務所の問題として回答している点。総裁選の中での失策として受け、謝罪してオシマイ。国政の問題としての受け留めの姿勢がかけらもない。

④残り4人の候補者の姿勢も、どうしようもないほど、他人ごと。

⑤もっと悪いのは、この高校生との受け答えを報じているマスコミの態度。総理としての資質を追求すべき問題なのに、小泉陣営の問題としてしか報道していない。眼前の問題の本質を掘り下げることをしないで、表面的なうすっぺらなトピックとして報じている。

⑥どちらも、私がよく言う「学生レポート」のレベル。そのような5人が与党総裁を争っているということが悲しい。

⑦視点の高さは高校生の方がはるかに上。自民党の代議士の視点は「自民党のフィルターバブル」の中。世間が見えていない。国民は、深い(高い)視点を持つことがむづかしい。

2025.9.28. 吉永小百合さんが

①「昭和100年」というTV番組で・・・

②70年万博の委員に坂本九さんと委員に選ばれたとき、会議で「広島・長崎の事も展示してくださいね」と発言したところ、完全に「無視」されたとの話。

③先進国の国威の展示会から、「祭り」の場と位置付けて発展途上国が参加できる場を目指したということで、個人的には評価していたが、「あと一歩」足りなかったようですね。
ちなみに、彼女は70年万博には「行っていません」「あまのじゃくですから(笑)」
「以降、政府の委員会に参加していません(呼ばれなかった?)」とのこと。

④25年万博はどのように歴史に残るのだろうか。

2025.9.27. どうでもいいこと

①私は、「どうでもいいこと」を考えるのが好きである。どうでもいいことだから、何時間迷っても迷惑は掛からないし、ふたつの楽しみごとに迷うのは「楽しい時間」であるし、決めてしまえば楽しみの時間は無くなることを思えば、しばらく楽しんでいたい。

②逆に、「大切なこと」の判断は速い。大きな判断であればあるほど周りの人への影響は大きい。迷うときは、五分五分のことが多い。だから、迷うのだと思う。両方を選べないのだから、どちらを選んでも「大した違いはない」と思う。選択し方の結果が悪いほうに出ても、逆を選べばよい結果になったわけではない。大切なのは、選択した方向に全力で取り組むこと。

③ちなみに、両方に魅力があって、でも決めないといけないときはサイコロ。隣の人に「偶数と奇数、どっちが好き」と聞くことにしてる。聞く前に、あらかじめ偶奇を決めておくのだが。

③山を歩いていて判断に迷うことがある。もちろん、危険性が少ないほうを選ぶべきなのだが、「危険性」は「量」ではない。むかし、奥多摩を歩いていて「ほんの1m」登山道が凍っていた。スリップすれば谷底へ転がり落ちてしまう。大きく「高巻き」して難を逃れたが、正しい判断をしたとは、今でも思っていない。アイゼンを準備すべきであった。

④自分にすなおであれば、大体、正しい判断ができるもの。残りの方向に「未練」があるから「迷う」。結局未練の捨て方かと思う。残り少ない人生にどれほどの未練があるか、これからが勝負。サイコロではなくコインの裏表の判断かな?

2025.9.26. 南海トラフ地震

①30年以内に80%程度の確率で起こる。この予測を、60~90%、20~50%と改めた。事情はいろいろあるのであろうが、この予測の「正しい意味」の報道が全くなされていないように思われる。

②そもそも、根拠となるデータは古文書や地層、それも数百年分の情報であって、科学的なデータとしてはここ数十年の事しか分からないのが現状。地震は数千年の規模でおこること。

③政府の発表した数値の受け止め方としては、「20~30年のうちに大規模な地震が起こる」。これに対して「可能な限りの準備をしておこう」ということ。言葉を換えれば、あなたたちやお子さんたちが生きているうちに、「かならず」と言っても言い過ぎでないほど、大きな地震が起こるということ。
確率が多い・少ないを議論するのではなく、ほぼ確実に・いつかは起こる。それも、近いうちに。

④話は全く逸れるが、昔、日本古代史の論文を読んでいた時、古代人の遺骨の分析結果の数値が、「17の倍数が多い」ことに気づいた。51%の人が「***」である、34%の人が「***」であった、というように。よくよく調べてみると発掘された遺骨は6体に過ぎないようだった。数値化されると、なんとなくそんな気持ちにはなるが、1000個、10000個の資料から導き出された数値ではない。

⑤しかし、地震は「私たちが生きているうちに」「相当な規模で」起こるだろうことは科学的にも間違いない。そのことを報道機関は「正しく」伝える責任がある、と思う。

⑥昨今のSNS などの「炎上」を見ていると、「一粒の種・・・」に火が付いたように思われることが多い。「ホームタウン」問題も、直後にこの欄で指摘しておいたが、AI の誤訳ではないかと推理している。「ホームタウン」という単語は日本人と英語圏の人たちでは、ニュアンスが異なると思う。お互いに都合よく解釈したのではないのだろうか。そこに「最悪」の解釈を指摘した結果のように思う。

⑦ずいぶん以前、沖縄が変換されるとき、「in a few years」という文言があって、その時間をめぐって日本中が「大炎上」したことがあった。日本人なら「数年」と訳すが、英米人はそうでもないらしい。

2025.9.24. 議論

①少数与党が原因なのは仕方ないが、総裁選のどの人も「十分な議論を踏まえ」、野党とも「合意を図る」という。話し合うことが民主主義の基本だから、頷きながら聞いていたのだが、まてよ、どの候補者も自分の意見を言っていない。

②相手の言葉に耳を傾け合意点を模索するのが民主主義なのだが、自己の意見を述べないのではどうしようもない。候補者同士が自己の意見を隠しながら、うわっつらの発言を繰り返している。

③国会などの「諮問会議」などの話を聞いていると、調査の報告に終始していて、結論について「どうすべきだ」という意見は少ないようだ。そういう発言に対して、「どうして、こんなやつを委員にしたんだ」と言った座長がいたとかいないとか。
最後に座長が、「皆さんの意見を踏まえて、こうしたいと思います」で会合終了。これでは「結論ありき」ではないか。

④総裁候補は自民党のこれからを担う5人。本意を言って「味方を増やす」のではなく、言うと「敵を作る」と思っているようだ。敵が多いと選挙は負ける。
味方を増やして選挙に勝つのではなく、敵を作らないことが「自民党流」なのか。これまでもそうしてきたし、これからもそうなのだろう。
そもそも、同じ意見を持つ人、味方の集まりが「政党」だったはず。今の野党乱立の状況もそこに原因がある。

⑤国連総会で石破さんが「本音」を述べたようだ。味方が増えることを期待する。

2025.9.20. 崖に近すぎないように

①シュワルツェネッガー氏が、カーク氏の殺害について「慎重な」呼びかけをしている。

②曰く、崖に近すぎないように、崖から落ちたら、そこにはもう民主主義はない。
(記憶から引用しているので・・・その程度に理解を!)

③続く言葉は、現在の社会状況を考慮して、配慮を払っているが、おおむね意は尽きると思う。

以下、報道の部分的引用です。

俳優で元カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーが、アメリカの民主主義が崩壊の危機にあると警鐘を鳴らした。
南カリフォルニア大学での講演で、「崖に近づきすぎないよう、非常に注意しなければならない。なぜなら、その崖から落ちた先には民主主義は存在しない」と語り、「人々の力でこの流れを変えることができる。究極の力は人々にある」と強調した。

2025.9.17. 9秒77

①今年の男子100mの優勝タイム。20世紀の終わりごろ、10秒の壁を破ることができなくて、陸上界も暗礁の乗り上げたような閉塞感があった。人間の骨格や筋肉の構造から記録の限界があることを説明したような話もあった。隔世の感がある。

②今日、なんとなくニュースを聞いていたら、小学生の50m走の平均が9.7秒だという。
「なんだ、2倍か」と言ったら、どう返しますか?
あんなに苦労した結果が、小学生のたった2倍の速さ?
東大生がスゴイと世の中では評価されるが、実質は大した差ではない。しかし、その少しの差が大変なんだと思うと、世の中の見方が少し変わりはしないか。

③小学生の頃、習字とピアノを「習わされた」。自身、なんの意識もないが結局なんの役にも立たなかった。教師として「なぜか」を考える必要性もあったのだが、陸上選手のインタビューを聞いていて「走るのが好き」だったという。私のように、お手本通りの字を書いたり、譜面どおりにピアノの鍵盤をたたくというのでは面白いはずがない。だんだん苦痛が募っていってやめることになった。

④在任中、高校生の進路相談では好きな分野を伸ばしたいという希望は多い。しかし、この歳になって異なる人生もあることに気づいた。例えば70~80%の力で社会生活ができるのなら、残り30%の力で本当に好きなことを実現できるのではないか。人生80年の30%は24年、好きなことなら細く長く、わずかな進歩でも満足できる。誰とも競うこともない。「今頃になって」と思う今日この頃である。

2025.9.17. 宅配50億個

①私としては、あきれてしまう。労働力不足にもなるわけだ。もし石油が止まったら、物流の停滞から、生活を凌ぐことが出来るのだろうか。

②30年前ここに引っ越してきたとき、近所に中華店・すし屋さん・クリーニング屋さん・スーパーがあった。現在は少し離れたところに町中華があるのみ。最寄りの電車の駅まで行っても、無い店がある。例えば、靴屋さん・傘屋さん・写真屋さん、皆さんどこで買っているのだろう。

③私が時代に遅れていると言えば、それまでだが、われわれの生活が貧しくなっているように思えて仕方ない。靴屋さんでも傘屋さんでも、行けば専門家の知識が得られる。東京だと新宿あたりまで行かなければならないが、ゆっくり話す時間は無い。

④大量生産された、どこで買っても同じものが買えるというのもひとつの考え方だが、それが望むべき将来(未来)なのか。男性も女性も明るいうちに仕事を終え、買い物をして、夕食の支度をする。そのような生活も選択肢にあっても良いように思う。

⑤松本に住んでいたころ松本家具のお店で、外国人夫婦が何度も訪れて話を聞いていた。しばらく来ないので、あきらめたのかと思っていたら、1年後くらいに訪れ、購入していった。お金がたまるまで待っていたそうだ。私の生き方を大きく変えた話です。

⑥「要支援」の立場で、週3回食事を届けてもらっている。こんな贅沢はないと思っている自分がうれしい。感謝する気持ちがいっぱいある。幸せな人生と思っている。

2025.9.16. 世界陸上

①陸上競技というのは、「走る」「跳ぶ」「投げる」なのだということを聞いたことがある。言われてみればその通り、とても分かり易い。数学では「公理」と呼ばれるものがあって、公理から導き出されることだけが研究対象となる。

②しかし、陸上競技のトレーニングを見ていると、ひたすら「走るだけ」。中学生の頃、兄がマンドリンを始めて、曲の数小節だけを朝から晩まで練習していた時期があった。同じ屋根の下に住む者としては堪ったものではない。解けない数学の問題を朝から晩まで考えている私と良い勝負であることに最近、気づいた。

③「包丁一本、さらしに巻いて~~」という歌があったが、職人の世界も「そうなんだ」と思った。日本料理は材料の良さを生かすことに集中している。フランス料理も好きだが、「作られた味」のような気がする。日本酒とワインも同じ。

④最近の歌謡番組を聞いていると(観ていると)、歌詞やメロディーはともかく、照明や振り付け・衣装・BGMその他の要素が多く、それぞれが洗練されてきているので歌手の個性が見えてこない。いや、歌手の個性そのものも慎重に構成されたキャラクターのように思えて勘ぐってしまう。昭和歌謡にノスタルジーを感じるようでは・・・ついて行けない。

⑤「数学の面白さ」を尋ねられて困ったことがあったが、意外と原理原則から出発した純粋性とでもいうものにあこがれていたのかもしれない。SNSに代表される混沌とした世界について行けないのも、つい、頷いてしまう。

2025.9.14. AI閣僚

①アルバニアがAIを閣僚のひとりとして「指名」したという。予算関係を担当し、汚職防止だという。それ以上の情報が入ってこないので、以下、想像と妄想の世界。

②コンピュータだから計算間違いは、しない。下心があるときは、都合の良いデータを揃えるのが常套手段。人口増加率は何%で計算するのか。経済成長率はどれくらいを想定するのか。高度経済成長の時代には、道路も橋も想定を超えて建設され、それでも間に合わなかった。

③内閣の一員に「本当のことを、全部喋る」閣僚がいたら、さぞかしやり辛いだろう。ウソや間違いは無くなるだろうが、「言わなくてもいいこと」もある。「バカ正直」という言葉は良い意味には使われないが、心の中に留めておく必要もある。

④ヒトの社会は、融通性のある情報に満ちていて、その弾力性で成り立っている。相手を決めつけたりレッテルを貼れば議論は分かり易くなり、判断も単純になる。曖昧さを加味して「総合的な判断」をするのが政治かとも思うが、「総合的」という言葉にかくれて、偏った判断をしてはいけない。

⑤最近の選挙を見ていると、「言いたくないこと」が多すぎる。それを「決めつけて」相手を否定することが目に余る。SNSでの炎上など、自身を一方的な立場に立たせて、言いたいことを言っている。言いたいことが言えるのが「民主主義」の基本だが・・・。言いっぱなしはよしましょう。

⑥アルバニアのこれからは注視したい。

⑦ついでに、IT利用の教育で最先端を行っていたフィンランド(だったと思う)がこれからは紙の教科書に一本化して、IT教科書の利用をしないことを決定したという。教育のIT化にこれから取り組むという日本は、十分検討すべきだと思う。関係ないようで、同じような問題があったのかもしれない。

2025.9.8. 10円50銭

①ネットでこの言葉を聞いた時、最初は意味が解らなかった。しかし使われた場面を知って、全てが理解できた。この言葉を知ったのは半世紀前。学生時代だったから、50年間私の頭の片隅で、生きていたのかと思うと驚きとともに哀しくなった。

②以前、勝共連合(そのうちに 2022.7.)という言葉が統一教会との関連で「まだまだ(議員さんの中では)生きている」と思ったが・・・。標記の言葉が集会のヤジで交わされるようでは、その生命力の深さを感じる。

③たとえば、言語を表すとき「日本語」などのようにその言語が使用されている地域名で表記するのが一般的だが、「ハングル」という表記が一般的なのは、まだまだ「気遣い」が必要ということ。「ハングル」は使用する文字の名称。

④教師としての職業柄、差別・偏見をともなう言葉は避けるようにしているが、そのためには一応の理解が必要。最近、相当な年齢の方から、「橋のない川」や「夜明け前」について質問された。数学の教師だからその機会はないが、国語の教師はちゃんと教えているのだろうか。

⑤逆に、落語の「のろまの三寸」(そのうちに 2021.7.)などは天声人語で知った言葉だが、含蓄のある言葉で、ながく伝える生活の知恵だと思う。気配りに神経質にならないでも良い社会が期待される。

2025.9.6. 核融合

①核融合の原理については別項で扱うとして、核融合に反対する理由を述べる。

②以前、世界中の人々がアメリカ人と同程度の生活水準をするには、地球が2.5個必要であるとの試算があった。最近は3.5個必要だということも聞いた。当然、エネルギー資源が問題となるので核融合が実現すればこの割合は緩和されるだろう。

③しかし、エネルギー資源以外の領域も同じような問題を含んでいる。石油などもエネルギー源として以外の用途も多く、エネルギーの開放による経済活動が激しくなれば、問題が解決したことにならない。

④地球環境の持続性のを考えると、自己制御ができるかどうかがはなはだ不安になる。先進国は技術と財力を駆使して繁栄するだろうが、新興国は核融合技術を含めた先進国の援助が無ければ先進国に引き離されるばかり。

⑤温暖化の問題は、二酸化炭素の排出は相当程度抑制されるだろうが、人類が使うエネルギーは終局的には熱エネルギーとなって宇宙に放出される。現在は太陽エネルギーが温室効果で温暖化が起こり、人類が発生させるエネルギーは微々たる量だと思うが、将来は予想もつかない。

⑥AIが知識や情報を解放したため、真偽の判定すら不可能な時代を迎えている。どうも人類は制御不能な「道具」を手に入れたような気がする。

2025.9.5. 自民党総裁選

①どうでもよいことですが、世間が、どうでもよいことばかり議論していて、本来の議論を避けているように思うので。

②安倍さんを失って、安倍派はその後継を立てることもできなくて、5人?による無責任体制をつづけて、総裁を選んでおいて失敗したら「それ見たことか」と足の引っ張り合い。それでも「私にやらせてくれ」と言って方向性の誤りを糺そうとするならともかく、「リーダーが責任をとるべき」「一般の会社なら」という、ごくごくの一般論しか言えない人たちが先の見通しもなく騒いでいる。

③マスコミも、政治と金・宗教の問題をはじめとした、ウヤムヤになっている人たちを糾弾する絶好の機会なのに、総裁選の選挙方法などの詳細を報道することで仕事をしている感を出している。選挙での大敗を分析する絶好のチャンスであり、首謀者を問い詰める最後の機会を見過ごしている。

④新進野党はここぞとばかり元気で、やりたい放題。私としてはそれが成功しないことを祈るのみ。旧態依然の野党はどうしても「無難な」方向性しか示せず、それも仕方ないのだが・・・「国民の判断」が立ち直ることを祈るのみ。

60年安保の時代に育った私としては、「居ても立っても」の気持ちだが、人生はやり直せない。学生さん、もっと考えてよというしかない。20年後には私はいないだろうし、あなたたちは中堅、子育てに忙しい人生の全盛期なのですよ。

⑥「渡す相手の無い遺言のつもり」と、どこかで書いたが、さみしい限り。

2025.9.4. 横断と縦断(追記あり)

①どうでもよいことですが、台風が日本列島に接近するときの用語が「逆」のように思うのですが?

②九州から北海道に向かうのが「縦断」、太平洋から日本海に向かうのが「横断」ですよね。今日の天気予報を見ていると、九州から関東に向かっている台風に「横断」という表現を使っている。もしかして、東西が「横断」、南北が「縦断」と解釈しているのかもしれません。

③道路を「横切る」のは「横断」。車のながれに垂直に渡ること。話の流れに逆らうのが「横割り」。川の流れていく方向を向いて、左岸・右岸。電車の進行方向に向かって、左扉・右扉。この法則に従えば、日本列島が北東から南西に向かって位置しているので、台風の進路が北東なら縦断、北西なら横断と表現するのが良いと思う。

④山でいうと、尾根伝いに歩くのが「縦走」、それに垂直?なのが「峠越え」。むかし、山岳部の卒業生が太平洋から日本海まで「日本列島横断」を成し遂げた。ひとりは県境のみを伝って、ひとりは国道を伝って。ちなみに、県境伝いのコースは私も部分参加したが、難路でした。若いうちだからこそ可能だったように思うし、お誘いには感謝。貴重な体験。

追記 : どうやら、緯線方向を横断・経線方向を縦断と表現しているようです。ならば、「東進」・「北上」のほうが分かり易いと思う。「縦横無尽」という言葉は「上下」とか「左右」に関係なく活躍する意味だと思っていますが。

追記2 : 地図上の既存のスケールから縦・横を表現をするより、日本列島の「地勢」との相対的な表現の方が実生活に合致しているように思います。政治の世界の「右」・「左」のレッテルが意味をなさなくなっているのと同じように。

2025.9.4. 忙しいので

①ある作家が友人へ宛てた手紙で、「今日は忙しいので、手紙が長くなって申し訳ない」と書いたという。反省の気持ちから、ときどき、川端康成などの作品などを味わっている。

②この「そのうちに」など、長くても短くてもどうでも良いのだが、パソコン画面からはみ出すと読んでくれそうにないという考えから、「終わりが見える」ことを意識している。

③想いや考えを伝えたいとき、「言葉」を使うことが人類が成長できた根源であることに異論はない。言葉の限界を超えるのが「芸術」だと思うのだが、このことを言い始めると「自己矛盾」に陥る。

④昨日の「上高地の魅力」は言葉では表現できないところにある。「来て見てください」としか表現の仕方がないのだが、「来たら、誰もが納得」というのも事実。それが上高地の魅力。誰もが魅力を肯定せざるを得ない場所。それを「表現」しようとするのだから無謀。

⑤限りない、無謀ともいえる目標を目指すところに、楽しみがある。答えのようで答えではない。これが遊びであり趣味でもある。

2025.9.3. 上高地とは

①あなたにとって「上高地とは」などと聞かれた。毎回「良い加減に」答えていたのだが、そろそろ本気で考えてみようかと、「よせばいいのに」と思いながら考えていたら、眠れなくなった・・・。

②父の仕事の関係で西日本を転々と引っ越していた。やっと家族が定住した高校時代は大病を患って・・・生きるのが精いっぱい。信州大学に入学して、解き放たれた気分で、①数学に没頭し②読書三昧③体力の回復とともに里山のハイキングから穂高の山々へ・・・。それまでの呪縛から逃れて、一人住まいをいいことに、自由を満喫した。

③生まれ故郷とは別に、私を私にしてくれた「第二の故郷・松本」「こころのふるさと・松本」という表現がピッタリであり、その重要な要素を担うのが「上高地」であった。しかし、上高地に通うようになったのは写真を撮り始めた40歳を過ぎてからの事である。

④ある日、眠れない夜にホテルのロビーで向かいの山を眺めていると、山の端が明るくなり満月が顔を覗かせた。月はみるみる姿を現し、山々が月の光に照らされた。「枕草子」や「徒然草」の時代に自然の中で「もの想う」ことを体験し昇華した世界を理解した気がした、当時の生活に思いを馳せることが出来た。

⑤朝夕はカメラマンにとっては稼ぎ時で、わずかな変化に神経を研ぎ澄まして、映像に残そうと奮闘するのだが、ひたすら自然を肌で感じて、その想いを「自分のもの」にするひまはない。しかし、そうした自分があってこそ自然を映像化できるのかな?とも思うようになった。

⑥上高地に来て、「河童橋に行った」「黄葉がきれいだった」「清流に出会った」などの感想を聞くが、私がよく言う「体験を経験に昇華した」言葉に触れることは少ない。数学者のガロアが、「数学の風景」について述べていたが、数学を志した私にとっては、うらやましい話である。

⑦先日、「今年、米寿なんです」というおじいさんと宿を共にした。私の写真展が8月30日と聞いて、立ち寄った(旅行中)という。彼は上高地に来て、何をするでもなく、徳澤に行ってきた、誰だれと会った、あしたは富山の「風の盆」に行く。来年のカレンダー忘れないでね、と言って帰っていった。

⑧私にとって上高地とは、そんなところです。

 

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