最近、もの忘れが激しく、そのうちに記事にしようと温めていると、なんとなく・・・
そのうちに、まとめて、OPINION のページに入れますが・・・
というわけで、そのうちに、そのうちにと言って、毎日が・・・
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2025.12.29. 小利と大志
①連立政権や野党の在り方を考えていると、日本が情けなくなってくる。さらに「国旗損壊」を刑罰化しようとしている。誇りまでも捨ててしまうのか。
②野党がキャスティングボートを握ったことは、日本の国政の行方に大きな事件であったがそれを独占して小利を得ようとする野党の行動で「台なし」になってしまった。少数野党が結束して「大志」を実現する絶好のチャンスであったのに、「抜け駆け」のような態度は、結局、政治家の「大志」とはそんな程度のものだったのかと悲しくなる。
③台湾問題はいずれ別稿を立てたいが、与党自民党の「気の緩み」以外の何物でもない。連立政権で今まで通り何でもできるという油断からではないか。それを許した野党も情けない。
④「大志」とは、まず「憲法9条」(安全保障)。この件での賛否はいろいろあるが、大切なのは国民的議論をすること。それには与党が正面から取り組み、野党も誠実に議論をすることが必要だが、このままではお得意の「結論ありき」の改憲論議で済まそうとすることが懸念される。まあ、自民党の党是とはそんなもの。次に「財政立て直し」。楽観論ばかりが先行してバラマキ行政が華々しく横行している。財政へのその場しのぎで乗り切ろうとする自民党の能天気ぶりがうかがわれる。小利を得て宣伝材料に使う野党の態度は許せない。
⑤「国旗損壊罪」は目立ちたがり屋のたわごと。外国の国旗についてはすでに制定していると聞いている。対外的には外交上、非礼になってはいけない。国家の責任で他国の国旗については尊厳をもって(形の上でも)大切にしなければならない。しかし、日本(自国)国旗を大切にすることは当然のことであり、法律で強制することではない。当然のことを、法律で強制する必要があるとすれば、それは「恥ずかしい」ことだと思う。それは国家が誇りを失った証左だと思う。国家態勢の崩壊を意味するようにも思える。
⑥私の関係している「東京君が代裁判」でも、国歌の「強制」に反対しているのであって、「君が代」に反対することとは一線を画している。
なにかを「強制」する法律を制定すれば必ず悪用されるケースが発生する。特に政治的に。強制はあってはならないし、最小限でなければならない。
2025.12.27. 情報・思想は②
①12.21.に「情報・思想は」を書いたが、その直後に私のパソコンが開かなくなり、情報の孤島に放り出された。
②漢字が思い出されなくなって、眼鏡をかけてほこりだらけの国語辞典を広げた。ベルリンの壁の崩壊の年号に自身がなくなり、曖昧な表現に留めた。天気予報が知りたくてテレビ番組を探し回った。あとからあとから様々な問題が発生する。
③私はスマフォを持たないので、メールも止まった。発信する方も待ち受ける方も両方失った1週間が過ぎた。もし、スマフォを使っていてこのような状況になったら、人々はどうするだろう。
④情報・思想と書いたように、情報が途絶しただけでこの騒ぎ。逆に、思想はどのようにして育てていくのだろうか。スマフォに囲まれた「環境」の中でも我々の思想は育っていくだろうが、それはとても危ういものでしかないのではないか。
⑤最近の選挙の結果を見ていると、熱しやすく冷めやすいように思える。政党の離合集散は激しく、うっかり「この政党を支持します」と言おうものなら、何週間もつだろうか。心配なのは賛否が拮抗している時、イギリスのEU参加の問題やアメリカの大統領選挙など国論がほぼ2つに割れていたように思う。今はどうなっているのだろうか。片方に集約されそうになっても、任期は4年以上ある。そう簡単に舵を切れない。
⑥日本でいえば、安全保障の考え方が二分しているように思える。軽はずみな言動で片方に重心が移れば、船は転覆する。平和憲法も勢いで改定すれば元に戻すことは至難の課題となる。いや、戻れないと言っても過言ではない。戦争を「感情的」に扱わってはいけない。個々人の「思想」が大切になる。「思想」を育まねばならない。
2025.12.26. 小池さんが
①小池さんが・・・今年の世界情勢について、ベルリンの壁崩壊に匹敵する大変動だと発言したそうだ。なるほど・・・と思ってしまった。さすが政治家と見直した次第。
②政治のシロウトがそう思っても、小池さんのプラスにはならないと思うがとりあえず記録に残しておこうと思った。
③ベルリンの壁は資本主義と社会主義の戦いで、東西冷戦という言葉で表現されるように世界を二分する壁の象徴であった。現代の世界をどのように見るかは人それぞれであろうが、一方ではプーチンさんの「常軌に逸する」とでも表現できるような支配体制がこれからの世界でどのように存在するのか、自然と消滅していくのかが気になるところだが。
④他方で、トランプさんのアメリカが立て直される次期政権が生まれるのか国家資本主義と名付けられた現政治体制が引き継がれるのか、中国がそれにどのように関与するのか。3人の政治指導者の今後数年の行動にかかっている。まさにベルリンの壁崩壊時に感じた世界情勢の変動に匹敵する。
⑤さて、私の想いはいずれの指導者とも相容れない。結果が出るまで生きているか、自覚的な判断が続けられるかこころもとないが、いずれにも反対の立場にいる。そろそろ次のリーダーが登場する時期だが、それも怖い。
2025.12.21. 情報・思想は
①「情報・思想は求めるものであって、与えられるものではない。」自分で文章を書いていて、はたと気づいた言葉。
②思想と言えば大げさだが、人間は「自信をもって」もしくは「責任をもって」発言し行動する時がある。その際は生まれてからの環境が裏付けとなっているが、ある年齢から(物心ついた時から)情報を意識的に集めて、発言や行動の基盤とするようになる。
③知らないことを知るのは、自身の成長を感じ、喜びを感じる。しかし信じていたことと異なる事実に出会った時、思考の枠組みを変更しなければならない時、大きな苦しみをともなう。終戦の時、多くの日本人が感じた思いだろう。
④ノーベル賞受賞者の話を聞いていると、誰も考えなかった領域・テーマと取り組んで成果を挙げている。生まれてこの方、学んできた「常識」と異なる発想である。学習というのは「与えられること」であって、成果は「求める先」にあるようだ。
⑤日本の教育の最大の問題は、大学入試以降が「与えられたもの」の習熟度がその成果で判定されていることのように思える。アメリカのSATなどは、十分な言語(英語)理解と基本的な計算能力があれば、学生が求める情報は学内で与えられるという環境・自信に見えてきた。
2025.12.21. 米騒動
①よくわからないのは、備蓄米の売れ残りがどの程度あるかということ。最初は9月までに売り切る約束で、それが売れないので10月、11月と延長されたが、売り切れたという報道が無い。安い備蓄米が並んでいれば、新米は売れない。そこに輸入米が割り込んできている。
②備蓄米を放出するに当って、「翌年、同じ価格で同量を買い戻す」という条件が付いていたはずだが、新米が高騰した今、そんなことができるはずがない。JAですら予定の30%しか手配できていないで、残りの70%は自主流通米・ふるさと納税の返礼米・自己消費などになっている。そもそも、作付けの前から契約されていた新米を、備蓄米の買い入れ価格で売ってくれるわけがない。
③精米したコメは「生鮮食品」だから、売れ残りは許されない。しかし、精米する前であれば保存状態が良ければ「劣化」は免れることが今回の騒動で分かった。今年の新米が来年になって、新米から7年度米になっても「暴落」はしないのではないか。大量に精米してしまった業者、買い入れ過剰で臨時に倉庫を借り受けている業者がリスクを負うことになるが、これは経済原則、仕方ない。消費者としては価格の維持・継続は覚悟しておいた方がよい。
④そもそも、「米」という作物は1年に1回収穫したものを1年間徐々に消費していくもので、価格の変動が少ないし、変動してはいけない食料だと思う。その流通に変化が生じたことが今回の騒ぎの原因であろう。農水省は未だにその分析を行っていない。
⑤おこめ券が話題になっているが、これは真実を隠すための茶番劇としか思えない。500円券を数枚配っても、高収入の人にとってはふるさと納税に回避しているし、真に必要な人にとっては「年に数キロ」の米でどれだけ役に立つのかと言いたい。
⑥備蓄米の残存量とその処理手順がわかれば、先の計画も立つと思うのだが・・・。
2025.12.18. どちらが幸せ
①SNSが普及する前と現在を比べて、どちらが幸せ?、ということが話題になっている。SNSが生活に沁み込んでいる今、「いまさら」感も拭えないが、折しもオーストラリアで16歳以下のSNS禁止令がでた。
②マイナス面では、コミュニケーションの衰退と思う。メールによる通信は緊密になったように見えるが、「意思の疎通」にはほど遠いのが現状。対面での会話はどんどん衰退していく。このようなことを書くと、年寄りの「ぼやき」とも受け取られかねない。しかし、語彙力は風前のともしびのように「私には」思える。
③オールドメディアという言葉で新聞・書籍やマスコミの情報が否定されている今日この頃だが、では「ニューメディア」の信頼性ははなはだ心もとない。威勢の良い言葉で、短く、繰返し流れる主張があたかも真実のように受け取られている。それが選挙戦をも左右するようになった。さすがに現実が見えてくると支持は減少しているが、議員の任期は6年。
④最近友人と一杯やっていて、何かわからないことがあるとスマフォの登場となる。大変便利が良いように思えるが問題点もいくつかある。ひとつは情報に信ぴょう性。私もこの欄を書いていて、その「正確性」に迷うこともある。「~らしい」などと逃げることもある。インターネットの草創期に情報の授業を担当していた時、有名な野球選手の基礎データの検索を40人の生徒で行ったことがある。出身高校のみならず生年月日でも、いろいろあった。
もう一つは、「双方」の情報が公平に提示されているかということ。特にAIの時代に入っているのでとても心配である。
⑤Wikipediaで情報を得ることが多かったが、信ぴょう性の信頼を保とうとする運営者の姿勢が見えた。しかし最近はAIを使っているようで、どこが責任を持っているか全くわからない。「すぐに答えがでる」という便利さはあるが、それが真実であるという「保証」がどんどん「あやふや」になってきているように思う
⑥SNSのプラス面はもちろんたくさんあるが、「鵜呑み」だけは気をつけたい。
2025.12.17. 露出補正
①フイルムカメラの時代に、私を最も悩ましたのが「露出補正」であった。誰に聞いても満足のいく答えが得られない。結局、試行錯誤の末、「経験」に頼るしかなかった。
②被写体の適正露出とは何かというと、そこを照らしている光源の明るさを知ることにほかならない。スタジオなどでの撮影ではモデルさんの顔のあたりで光源の明るさを測る、絞りとシャッター速度を決める。しかし風景写真ではそうはいかない。上高地から雪の穂高での光度を計ることは出来ない。闇夜のカラスではなくとも、薄暗い森の中から梢の間に垣間見える、「輝く尾根」を撮るにはどうすれば良いか。
③カメラはレンズから入ってくる光の強さを分析して、光源の明るさを推定する。白人の皮膚の反射率は17%と聞いたことがある。そうであれば、100/17=5.9。つまり入ってきた光の約6倍の光源(野外では太陽・室内ではライト)がそこを照らしている計算になる。
④このカメラでスキー場の風景を撮ると、雪原の反射率は80%くらいあるから80×6=480、つまり太陽が5個くらいあることになり、カメラは1/5の光量に絞ってしまう。したがって、薄暗いスキー場のゲレンデの写真になる。強制的に絞りを5倍に明ければ、白銀の世界を写せる。
⑤逆に、対象物が黒いと反射率は9%くらいだから、9×6=54となり光源が太陽の半分とカメラは勘違いして絞りを開いてしまう。そのため、木立の間の明るい景色はまっ白に「とんで」しまう。むかし海外協力隊でアフリカに行っていた友人が現地の子供の写真は、ー1くらい補正して写すんだと言っていたが、当時は経験則であった。
⑥さて、デジタルのこのご時世になぜこのようなことをむしかえしているのかというと、デジカメで露出補正して撮影しても、更に、カメラが内部調整しているのではないかという疑問が私の感触からぬぐえない。どなたか、詳しい方にお聞きしたい。それまでは、試行錯誤して「経験」に頼るしかない。
⑦結論的には、カメラのセンサーが「色彩」を感知できれば良いのだが、そうでもないようだ。あと一歩の進歩を望む。
2025.12.10. 品格
①例えば、同じ境遇のAとBの二人がいて、ある時たまたまAに幸運が舞い込んだ。Aの努力のたまもので幸運を手にする資格があると誰でも思うような状況。Bも同じ。
②この時のBの行動が二つに分かれる。まず、Aを祝福して自分もその幸運を受けるべく努力する。逆に、Aを羨んで「平等でない」と言ってAの幸運を否定する。
③なぜこのようなテーマを述べるかというと、最近、東京都の財政が豊かであることに様々な批判が巻き起こっていることに疑問を感じるから。私など介護の必要な人間にとって、東京都の施策はありがたい。県境を越えてとなりの県はそうでもないという。子供の教育環境もずいぶん異なる。
④ここで道が二つに分かれる。隣りの自治体も同じような施策を講ずるべきだとして国に地方交付金の増額を求める、建設的な解決策。一方、豊かな東京都から税金の一部を国に吸い上げて地方支援の財源とする案。その場合、東京の施策は縮小せざるを得ない。
⑤東京に住んでいて、介護の必要な境遇であれば満足できる。しかし、家賃の高さは日本一。何か買い物をしたいと思っても、バスと電車で一日がかり。以前松本に住んでいたころは、自転車で5分走ればたいがいの用事は済んだ。土地も家賃も安い。
⑥どこかに不平等が起こったとき、良い方向に平等化する姿勢が本来の姿で、足の引っ張り合いをするのは最悪の方向。「平等でない」「特別扱いだ」「ずるい」などの感情。同じようなことが最近の「外国人差別」にもある。外国人が有利だという言説があるが、どうも外国人に不利なような方向に解決策が進んでいるように思われてならない。外国人には住みづらい国になっていくように思われる。
⑦このような問題は大きく言うと「国力を削ぐ」ことになると思う。個々の問題の解決策はそれぞれ異なるが、どちらを採るか。国の「品格」を問われているように思う。
追補 : 「出る杭は打たれる」というよくわからないことわざが日本にはある。国民性に根差しているとすると「取扱注意」。
2025.12.8. 外国人観光客
①12/5に外国人観光客の問題に触れたが、では、どうすれば良いのか。いろいろ考えてみたが結論から言うと「自分が海外旅行をしたとき、いやだと思うことは、しない」であった。
②パキスタンに登山に行った時、「現地人専用」のホテルに泊まった。宗教的に飲酒が禁止されているので「外国人専用」のホテルに泊まれば「自室での飲酒」は許可される。でも、現地でのルールを守れば格安で泊まれる。イスラム世界は戒律が厳しい。私も何度か「睨まれた」。しかし、それはルールを軽視してしまったためで、理解して訪れるべきであった。
③観光地での「地元割引」は抵抗ないのではないか。心地よく迎えていただく「お礼」と思えば納得は行く。しかし同じホテルでの外国人料金は疑問。同じ施設・同じサービスで外国人だからという理由は成り立たない。日本人が泊れる料金を維持すべきだと思う。帝国ホテルに代表されるような、ミシュランのような「★★★」をつけて対応するのが合理的??。
④少なくとも「足元を見て」というのは慎むべきであろう。そのような配慮が、結局日本という国の価値を高めるのではないか。ともかく、難しい問題であることは確か。
2025.12.5. 差別・区別?
①外国人に対する「区別」の風潮が進行している。「差別」は感情の問題なので、人により考え方が異なり良識が問われる問題として、慎重であらねばならない。しかし「区別」の問題はそれぞれのケースバイケースのようにも思われる。
②例えば、姫路城の入場料について「姫路市民割引」を適用するということを聞いた。温泉地の入浴料も「町民割引」があるだろう。料金値上げを考える時、地元の人まで値上げされるのはかなわないというのがもとで、一理あるような気がする。地元は観光地や温泉を維持・整備するために努力している。「県外価格」という考え方はすでにある。これに対して「外国人価格」はどうだろうか。
③最近、松本に宿泊することになった。土曜日でもあるし通常より高いことは覚悟していたが、素泊まり22000円と聞いて驚いた。平日なら8000円くらいで泊まれるので、予定を組み替えて水曜泊に切り替えた。ニュースで見ていると京都などカプセルホテルで40000円のケースもあるという。これでは日本人はおちおち旅行できない。
④ものの値段は需要と供給で決まるのが経済原則だが、単に「高くても売れる」ではいけないと思う。全世界から集まる裕福な人たちの足元を見て値段を決めてはいけない。日本人が京都にも行けなくなるのは本末転倒。私が通っている上高地など、宿の取りづらさは昔からあるが多少の値上げで済ませている。そこには目に見えない努力がある。日本人であることの「地の利」もあるようだ。
⑤日本には「一見の客」とか「馴染みの客」への特別な対応の慣習がある。世の中が悪い意味での商業ベース化が蔓延して、リピーターが育たない環境になってきている。一生に一度の日本観光も大切にしたいが、その人の友人がリピーターのように来日する場合もある。人間同士の触れ合いが生れるような社会であって欲しい。外国の旅行者もそれを望んでいるはず。
⑥少し「視点」を変えてこの問題の解決を考えてみるべき時だと思う。「日本人」・「外国人」の対比で論理を勧めるのは危険だと思う。
2025.12.1. 反省
①先月の「そのうちに・・・」は5回しか書けなかった。あれやこれやと思うことの多かったことは確かだが、だからこそ「そのうちに・・・」だと思う。問題提起すらできない日々だったのかと反省している。
②反省するからにはその原因を分析したくなるのは、私の常。確かに昔担任した生徒たち(65歳)の同窓会があったり、叔母の葬儀に参列して「先輩達」との数十年ぶりの再会、サ高住訪問など。また、閉山祭の上高地を訪れ旧知との団欒、それに加えて上高地・写真集の企画という前向きの活動もあった。
③だからこそ多様な感想と思いがいっぱいあった。しかし、それらの体験を経験に昇華する時間が無かった。高齢者としてはむしろ歓迎すべき環境にあったが、反面、この歳にもなって「まとめる余裕」が無かったことに反省している。
④さらに、この欄に記事を書くにあたっては「一般化」と「問題提起」を心掛けてはいるが、そこまで考えが到達できなかった。その余裕が無かった。大きく反省している。
このテーマを書こうとして、すでに4日経っている。
⑤前項の「一般化」・「問題提起」とは、独りよがりにならないこと。読んだ人が「我が身に照らして」考えるテーマであること。欲を言えば落語でいう「オチ」があること。読んだ人が深刻になっては、なんのために書いているのかわからなくなる。
⑥とりあえず「復帰」したつもりです。(2025.12.4.)